だから
枝いっぱいに咲き乱れる桜の花が、風に揺れている。薄桃色が電車の窓越しに通り過ぎていく。そういえば、昨日読んだ本にもそんな場面があった。桜の木の下、主人公とヒロインが長年待望の再会を果たすのだ。その節を読んだ時、柳白君と出会った始業式の日を思い出した。あの時も、沢山桜が舞っていた。本の続きのストーリーを頭の中で辿りかけて、隣に座る同行人の声が全く耳に入っていないことに気がつく。はっとして横を見ると、彼は少し不満そうに眉を顰めていた。
「ねえ、俺の話聞いてる?」
「あ、ごめん。何の話だっけ」
「最近心ここに在らずって感じだよね、君」
「考えなきゃいけないことが多いの」
「俺より大事なこと?」
「そうよ」
なんじゃそりゃ、と言いながら彼は欠伸をする。てっきり怒り出すかと思ったが、そうでもないらしい。思い返せば、彼は今までに私に対してネガティブな感情をぶつけてきた事がない。最初は能天気で薄気味悪い奴だと思っていたが、それが彼の本質なのだと分かって以来特に気にすることも無くなった。過ぎていく車窓の景色を眺めていると、また退屈になってくる。彼は何故か黙ってスマホを見始めている。煩いのは御免だが大人しくされるのもなんだか癪だ。
「ねえ続きを話して頂戴よ」
「そう!それでその続きなんだけどさ」
彼は同じ自慢話を再開した。結局この人は自分の話を聞いて欲しいだけなのだ。私がそれに対してどう思ったとか、何を感じたとか、どうでもいいのだ。わざわざリアクションを選ぶのすら無駄に思えてくる。だから聞く側も適当でいいのだ。本気で耳を傾けたところで私が得する事は何も無いんだから。
「へえ、それはすごいね」
「でさ!俺は言ってやったわけよ、座長がそんなんでどーすんだよって」
適当な相槌に、食い気味に被せてくる。ほら、やっぱり全然意味が無い。私が愛想良く話を聞いてくれる都合の良い存在だからであって、この役割は私である必要がない。無駄に時間を吸い取られている気がする。ストレスが溜まる。自慢話を聞いてほしいだけなら一人でひたすら壁にでも話しかけていればいいのに。この人、結局何が言いたいのかしら。私がここに居る意味、あるのかしら。今この瞬間に、私が影武者と入れ替わったって、何の問題も無いんじゃないかしら。というかこの人、それに気がつけるのかしら。なんだか、自分がここに居ることすら馬鹿馬鹿しく思えてきてしまって、今すぐ電車を窓から飛び降りてでも帰りたくなった。そもそも約束をすべきではなかったんじゃないか、こんな思いをするくらいなら、初めから断れば良かったんじゃないか。彼の時間を奪っているのは、私の方なのではないか?彼も、自分の話に楽しく耳を傾けてくれる人間と関わった方がいいに決まっているのだ。私は何故ここにいる?どうして私が、こいつと関わらなくちゃいけない。突然、ストレスで気が遠くなりそうになって、彼の延々と話す声が耳から耳へ通り抜け、そうして私の意識がまた桜の花や、今夜の晩御飯や、昨日の小説の内容へと移り始めた頃、ようやく電車が目的の駅へ到着した。なんだか心底解放されたような気分で、鞄を手に取り立ち上がる。
「じゃあね」
「次はどうする?」
「あー…また今度連絡する」
どうして次があるのが前提なんだ。その自信はどこから沸いてくるんだ。私が明日、突然お前の前からいなくなる可能性は?連絡を遮断して失踪する可能性は?そんなことを、彼が思いつく筈がなかった。彼はそんな世界で生きていない。私が分単位で自殺の計画を練っていることなんて、彼が知る筈が無かった。
まだまだ話し足りなさそうな彼を置き去りにして、私は足早に電車を降りる。下手に送られたりしたら面倒だ。鞄の中を漁るが、散らかっており、定期がすぐに見つからないことも私を更に苛々させた。スマホの通知がやたら溜まっている。LINEも溜まっている。鬱陶しい。普段からマナーモードにしているので誰からの連絡にも気が付かない。そこに柳白からの連絡が無いのを確認する。目障りなので全削除。なんだか無性に腹が立って、髪を掻き乱して床に鞄を叩きつけて中身をばら撒きたくなるが、堪える。靴を鳴らし足早に帰路に着く。足が痛い。新しいヒールなんてわざわざ履くんじゃなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます