第5話 いつもの朝、のち、夢説否定事象_1

 ピピピ、ピピッピ、ピピピピピ


 アラームを止めようと枕元を探る。しかしいくら探しても見つからない。

 のそのそ身体を起こせば、ローテーブルの上に置きっぱなしだった。このアラーム、私の出勤時間は遅いのだから朝七時に設定する必要はない。これは元カレの起床時間に合わせて設定していたものだ。解除しようと思って、いつも忘れる。

 ――これじゃ未練があるみたいじゃない。

 非常に憂鬱な気分になって、二度寝しようともう一度枕にダイブしようとする。


「あれ……」


 普段より窮屈な感触に自分を見下ろせば、どうやら着替えもせずに寝ていたみたいだ。メイクも落とさずに寝ちゃうだなんて最悪。せめてシャワーを浴びようと洗面所に向かう。

 なんで帰って来てすぐに寝てしまったんだろう。思い出そうとするが、家に戻ってくるまでの記憶もない。お酒を飲んでいたわけでもないし、そこまで遅い時間になってもいなかった。疲れてはいたけど、そこまでだったのだろうか。うーん、と唸って服を脱ぐ。

 熱いシャワーを浴びているうちに頭がはっきりしてきた。

 昨日は、仕事帰りにお弁当を買って。それからいつもとは違う道を辿って帰る最中、なんだかゲームみたいな夢みたいな状況に立ち会うことになって。


 結局、夢――だったのだろうか。


 髪を洗って身体を洗って、ふ、と顔を上げた先にある浴室用鏡の隅っこに何かが映った。ビクッと震えながら見返すと、それはどす黒い小さな人間の顔。

 ――あれ、は……ケトルの中にあった……!?

 慌てて振り返るけどなにもない。そりゃ、お風呂なんだから当然だ。しかも今この家には私しかいない。なにかが映るはずはない。

 鏡をもう一度よく見てみるけど、なにも映っていなかった。

 ――見間違い、だよね?

 ちょっと変なことが続いていたから神経質になっているのかも。なにか、リラックスできるようなアロマでも焚こう。

 小さくため息をついて頭を振る。疲れているような自覚はなかったのだけど、少しちゃんと休んだ方が良いかもしれない。心霊現象だなんて、そんなの認めてなるものか。


 はあ、と朝から何度目かのため息と共に風呂場から出る。部屋着に着替えて、お茶でも飲もうと冷蔵庫を開ける。そこには半額シールのついたお弁当が入っていた。


「これ……」


 昨晩、私が買ったものだ。夜ご飯の記憶もないけど、案の定食べていなかったみたい。家にたどり着くまでの記憶もなければお弁当を冷蔵庫にしまった記憶もない。これは、どう考えればいいんだろう。


 ピンポーン


 冷蔵庫を開けたまま弁当を睨んでいた私の耳にインターフォンの音が入ってくる。モニターをのぞけば、見知った顔が映っていた。


「どうしたの? おはよう」


 玄関を開けると、そこには年下の幼馴染、七央が立っていた。


「これ、母さんが持ってけって」


 ん。と突き出されたのは緑豆春雨と海苔と昆布。見事に乾物ばかりだ。なんでこんなものを、と思わなくもないけどありがたく受け取る。


「入ってく?」

「達也さんは?」


 ――……あー。

 元カレの名前をだされて、朝からまたドッと疲れる。

 そういえば七央に別れたって言ってなかったな。だって、別れた後も私を誘って七央とゲームやったりしてたし? その時も今までと変わらない態度でいたし、アイツ。

 七央と遊ぶのに、私がいないと都合が悪いってことなのだろう。使い勝手のいい女扱いされるのは気分が悪い。のだけど。


「ちょっとね。まあ気にしないで入って」

「そう? ならちょっとだけ」


 のそのそと入ってきた七央は、ふと顔をあげると目を細めて廊下を見回し動きを止める。まるで猫のように、なにもないところをじっと見つめている。昨日はなにもないって言ってたのに、思わせぶりな態度はやめてほしい。


「ちょっと七央」

「あ、うん。なに?」

「それ、こわいからやめてよ。……なにも、ないんだよね?」

「うん……大丈夫」


 ごめん、と言った七央は、しかし笑いを浮かべもしない。普段から不愛想ではあるけど、今日は輪をかけて無表情だ。

 あまり調子が良さそうにも見えない。どうしたんだろう。ちょっと心配になる。

 朝からこんな用事でやってくるのもちょっと不自然だ。もしかして。


「なに? なにか悩み相談にでも来たの?」


 さてはコイバナ?! と盛り上がったものの、七央は白けた顔を返してきた。


「なんでオレがカナ姉に相談なんてするの」

「私しか頼れる相手がいないから」

「そんなわけないでしょ」


 なんだ、と思いながら朝ご飯は食べたのかと聞けば、まだだと言う。家に上げておいて寝るわけにもいかないから、自分のを作るついでに、彼の分も作ることにした。

 朝食なんて簡単でいいのだ。トーストと目玉焼き、レタスを千切ってプチトマトを二個、一枚のお皿にまとめて乗せる。それから、パックのコーンスープをカップに注げば立派なものだ。

「召し上がれ」と並べれば、彼はいただきますと手を合わせた。


「今日はおばさんからのおつかいだけ?」

「うん」


 あっという間にご飯を食べ終えた七央はまたしてもすぐにスマホをいじりだす。まったくこの子はなんともお気楽なことだ。私はこれから仕事だっていうのに。

 と言っても、社会的立場を表すなら私も同じフリーター。実は正規雇用でない身だ。去年までは正規で働いていたのだけど、元カレがあまりに自分と時間が合わないと言い出して。あまりに連日不機嫌になられるので、こんなにも喧嘩をするくらいならばと辞めてしまった。だから今はアルバイトの塾講師だったりする。

 あの時、結婚の意思があるのどうかをちゃんと確認しておくんだった、と後になって後悔したが遅い。結局好きでまた塾で働いていたのだから、警備員をやっている彼の時間に多少は合わせられるようになったとはいえ、擦れ違いが多いことに違いはなかった。その当時は、前ほど彼が怒ることがないのが唯一の救いだと思っていたのだけど、こんなにあっさり「やっぱ合わないわ」とか言って出ていかれるなら、喧嘩してもなにしても仕事を続けるべきだった。


「七央、なんでこんな朝早くから来たの?」


 約束をしていたわけでもない。当然の疑問を口にすれば、彼はスマホになにか打ち込みながら視線も上げずに言う。


「だってカナ姉は夕方とかだと仕事でいないじゃん。基本この時間じゃなきゃつかまんないし、オレ深夜もバイトしてること多いし」

「それはそうかもしれないけど」


 でもなにも八時前から来なくたって良いんじゃないだろうか。しばらくの間、なにも言わずにその場で文字を打ち続けていた七央は、急に顔をあげると「ねえ、カナ姉の次の休みっていつ?」なんて聞いてきた。

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