第56話 首謀者
リフィネ王女の専属メイド、メイ。彼女の下に届けられた手紙の内容、それは──王女の暗殺計画に関するものだった。
リフィネが急速に立場を固めていったため、貴族派内に蔓延りつつあった過激な意見が鳴りを潜めていき……その結果、特に過激な思考を持っていた貴族達は立場を失いかけていたのだ。
メイの実家、ハートナー子爵家も、その一つだった。故に、今回の蛮行に及ぼうとしたのだろう。
「クソッ!! まさかメイの奴が裏切るとは!! これまで育ててやった恩を忘れおって!!」
ハートナー子爵家本邸。
決して金持ちというわけではないにしろ、貧困に喘いでいるわけでもない中堅どころの当主であるノラ・ハートナーは、自身が捕縛される原因となった娘に悪態をつく。
そんな姿を、彼の前に立つ二人の大貴族──カルロット・グランベルとカース・ベルモントは、呆れた顔で見下ろしていた。
「自分の娘を暗殺の道具に利用しようとするなど、貴族として以前に親として失格だろう。そんなもの、裏切りとは言わん」
それに、と、カルロットは得意気に胸を張る。
「自領に引きこもっていたお前は知らないようだが、離宮は既にうちの娘が掌握している。あの子の可愛さの前では、お前のような安い親の情など塵芥に等しい。何せ、この私でさえすっかり籠絡されてしまったからな!」
「こんなところで娘自慢を始めるな、親バカが」
ノラ・ハートナーに向けていたのとはまた別の呆れた表情を、カースは浮かべる。
そんな彼の眼差しに、カルロットは憤慨した。
「何を言うか! どこであろうとユミエの可愛さは世界一だぞ!! 第一、お前の娘だってうちのユミエにご執心だそうじゃないか!!」
「はん!! 今はな!! お前の娘はお前に似てド天然だから、今はまだモニカの溢れんばかりの魅力に気付いていないだけだ!! どうせすぐに、お前の娘の方からモニカにベッタリ取り巻くようになって、お前のことなど記憶の隅に追いやられるわ!! 精々今のうちに、少しでも記憶に残るように甘やかすのだな!!」
「何をぅ!? やるか貴様!?」
「望むところだ!!」
自分は一体何を見せられているのだ、と、ノラ・ハートナーは強く思った。
王国が誇る二つの大家が連名で押し寄せて来たかと思えば、押し留めようとする子飼いの騎士達を赤子のように捻り倒し、瞬く間に本邸を制圧されてしまい──目の前で、呑気に娘の自慢話に花を咲かせている。
あまりにも理不尽で馬鹿馬鹿しい状況に、ノラはただただ呆然と我が身の不幸を嘆くしかなかった。
「父様、ユミエが可愛いなんて当たり前のこと言ってないで、さっさと終わらせようよ。状況が落ち着くまでユミエを離宮から離せないって嘆いてたのは父様じゃないか」
「おっと、そうだったな」
そんな訳の分からない状況を終わらせたのは、まだ幼い子供でしかないニール・グランベルだった。
弱冠十二歳でシグート王子の剣の相手役に選ばれ、今まさに父親であり英雄でもあるカルロットと共にハートナー家の制圧に尽力した武人。
その実力は、既に並みの騎士を優に凌いでいるだろう。これが家柄の差かと、吐き捨てずにはいられない。
「クソ……何が、完璧な計画だ……実行する前に破綻しておるじゃないか……!!」
故に、その言葉は誰に向けたわけでもない、ただの独り言だった。
しかし、カルロットはそれまでのふざけた──本人は真剣だったが──空気を霧散させ、ノラに詰め寄る。
「おい、今なんと言った?」
「……? どんな計画も、実行する前に破綻しては意味がないと……」
「違う、その前だ。『何が完璧な計画だ』、と……その言い方だと、やはりお前一人で立てた計画というわせではないようだな」
そう、カルロット達がこうして素早くハートナー家を制圧したのは、何も王女暗殺という罪の重さを思ってのことだけではない。
それほどの大事を、たかが子爵家が単独で行うはずがないという確信から。対応の暇を与えず制圧することで、背後関係を洗い出そうとしたのだ。
「どこの家だ? ウェルロッゾか、ドートパンか? 正直に言えば、此度の件は貴様の首一つで済ませてやるぞ」
済ませてやる、と言うにはあまりにも重い罪に思えるが、王女暗殺とはそれほどの一大事なのだ。それこそ、家門ごと潰され、一族郎党処刑されても文句は言えないほどに。
だからこそ、躊躇なく証拠の手紙を提出したメイが異常なのであり、それほどまでに王女へと心酔させたユミエの手腕は流石だと、内心ではごく自然に親バカを発揮している。
そんな、カルロットの言葉を聞いて──ノラは、腹の底から笑い始めた。
「くはははは!! そうか、そういうことか!! 私は、まんまと利用されてしまったわけだ!!」
「……どういうことだ?」
突然笑い始めたノラを訝しむカルロット。
そんな彼に、ノラは可笑しくてたまらないとばかりに語った。
「私は、ある御方に言われたのだ。娘を使い、離宮への侵入の手筈だけ整えてくれれば、いくらでも便宜を図ってやろうと。貴族派を抜け……王族派の一員として迎え入れてやるからと」
「何……?」
思わぬ言葉に、カルロットは眉を潜める。
ノラは、これまで貴族派として活動してきた貴族だが……既に、シグートが次期王太子としてほぼ確定的になった現在の情勢を鑑みて、王族派に取り入ろうと密かに動いていたのだ。
「そうだ、お前達は私を貴族派の手先だと思っていたようだが、とんだ勘違いだったな!! 王女を脅威に思い、狙っているのは貴族派ではない……むしろ、王族派の方だ!!」
「……それくらい、我々とて最初から考慮している。今も、グランベルの騎士の大半は離宮に残って王女の護衛についているのだからな」
「そうかもしれない。だが、そんなことはあの御方とて百も承知だろう。何せ、私の娘がとっくに王女の手に堕ちていることを知っていながら、私に娘を使うよう指示を出したのだからな。現に……こうして、お前達は私のような木っ端貴族を捕らえるために、王都から遠く離れたハートナー領まで来てしまっている」
「…………」
王都からここハートナー領までは、馬を魔法で強化しつつ飛ばしても三日はかかる。つまり、今離宮で何かが起きたとしても、ここにいる者達は何も出来ないということだ。
だとしても、王女の警備体制は万全だ。問題はないはず──
「……ユミエは、誰も守ってない」
「何? どういうことだ?」
そんなカルロットの考えに水を差すように、ニールがボソリと呟いた。
なぜここでユミエの名が出てくるのか、カースなどは意味が分からなかったが……カルロットは察したのか、その表情がサーッと青ざめていく。
「リフィネ王女が変わったのは、ユミエがいたからだ。ユミエがいなくなったら、王女は前の状態に逆戻りだろうし……そうでなくとも、ユミエのためなら一人で警備を掻い潜って、危ないところまで突っ走っていくかもしれない」
ニールは、リフィネとまだそこまで親しいわけではない。それでも、ユミエを介して知り合い、彼女の性格と……何より、彼女がどれほどユミエを慕っているかは十分に知っている。
だからこそ、分かるのだ。もし、ユミエが自身を巡る政争に巻き込まれたと知った時、リフィネがどれほどショックを受けるのか。
そんな状況に陥った時、リフィネがどんな無謀な行動に出てしまうのかも。
全ては、ニールの予想に過ぎず、何の証拠もない。
だが、それがあり得ると思ってしまうほどに、ユミエがこれまで周囲に与えてきた影響は大きかった。
「一体、"あの御方"とは誰のことだ? 知っていること、今すぐ洗いざらい吐け」
カルロットが、剣呑な目付きでノラに剣を突きつける。
切っ先が喉元に浅く埋まり、血が流れ落ちてなお、ノラは不気味な笑みを絶やすことなく──誰もが想定していなかった名を語った。
「決まっているだろう? 王族派の頂点。シグート・ディア・オルトリア──この国の第一王子殿下、その人だ!!」
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