第5話 祭囃子を味わう

「現くん、お祭り行こう!」


 病院での一件以来、絵空は以前にも増して唐突に、俺が想定していなかったことを提案するようになった。

 先日は人体模型が踊った中学校で肝試し大会をしようと言い出した。ああ、もちろん行ったさ。明らかに出ると分かっている場所で肝試しをするなんて正気の沙汰じゃないと思ったが、絵空が楽しいと思うことをいっぱいしようと決意した直後だったし、腹を括って行ったさ。

 そして後悔した。前回は動き回っているものは人体模型だけだったから大丈夫だろうと甘く見ていたことを。……よくよく考えたら、人体模型だけでなく、ピアノも独りでに動いていたとカウントして、考えておくべきだった。

 まず、肝試しに訪れた俺たちに出迎えがあったのだ。俺と絵空以外、誰も存在しないこの夢の世界で出迎えが。腹を括っても想像しないだろう?

 例の踊る人体模型と人体骨格が肩を組んでラインダンスをするという奇妙な出迎えに遭遇するなんて。

 絵空はきゃっきゃと笑って喜んでいたが、俺は息をこれ以上にないくらい吸い込み、悲鳴を上げるように突っ込んだ。


「一体増えてるんだけど!」


 ちなみに、これは始まりにすぎなかった。

 ああ、このときから嫌な予感はしていたさ。人体骨格まで増えていて、しかも前回のときよりも軽快に動いていて、これで嫌な予感がしないびびりはいないだろう。けど、楽しそうな絵空を前に怖いなんて口が裂けても言えなかった。不幸中の幸いは、夜の中学校に来る前に腹を括っていたかいあって、俺は本能に従って逃走するなんて情けない真似はせずに済んだこと。

 おかげで、人体模型と人体骨格の案内のもと開催された中学校の肝試し大会に参加することができた。もうこの絵面だけで十分ホラーだったのだが、後にもっと凄いものが現れた。

 体育館ではバスケットボールやバレーボールが飛び回っているし、教室ではチョークと黒板消しによる黒板上での熾烈な争いが繰り広げられていた。白とオレンジのチョークで描かれた三毛猫は可愛かったけどな!

 そんなポルターガイストは序の口。階を増すごとにホラー要素は強くなっていった。理科室は案内役を買って出てくれているので不在だ。

 美術室では飾られた石膏像が机をステージにしてパラパラを踊っており、絵画に描かれた人物が絵から身体を半分ほど飛び出して拍手をしていた。それを扉の隙間から覗いた俺たちを発見するなり、絵画から飛び出した人物が上半身を使って追いかけてきたときには本気で悲鳴をあげたし、危うく絵空を置いて逃げるところだった。本能に負けた瞬間である。生存本能というのは案外根強く残るものらしい。自殺者の俺にすら残っていた。

 この中学校にある備品たちは踊ってばかりだなと思い始めた頃に絵画から抜け出してきた人物に捕獲された。食っても美味しくないぞと叫んだら、絵空は便乗してゴムの味しかしないよなんて叫んだ。俺はそう騒ぐ絵空の顔には恐怖とか悲しさとか微塵もなく、笑顔が浮かんでいた。楽しそうにしているのならいいのか? なんて抵抗をやめ、ずるずると美術室の中まで引きずりこまれた。

 そして、美術室の机の上で一緒に踊る絵空を見て納得した。

 絵空はきっと、こういう風に学校の友達と馬鹿みたいに騒いで遊びたかったのだろう。踊っている最中に目が合った絵空はにこにこ笑顔で言った、文化祭みたいだよね! という言葉に、やっぱりそうなんだなと少し切ない気持ちになった。

 だったら、俺がもっと文化祭みたいな体験をさせてあげたいな。なんて、しんみりとしたかったのだが、傍観を決め込もうとする俺を人体模型と人体骨格が引きずって、無理矢理机の上に乗せられたので、絵空に誘われるがまま、一緒に踊ることになったのでできなかった。パラパラっていつの年代だよとは口にしなかった。

 一汗かいたところでメインディッシュだと言わんばかりの張り切りようで連れてこられた図書室。ここがもう、本当に勘弁してほしい。入るなり目に入ったのは宙を浮く本たち。それだけならまだいい。体育館ではボールが、教室では黒板消しとチョークが飛び回っていたのだから今更驚かない。飛んでくるんじゃないだろうなと警戒して、絵空の前に立つ余裕もあった。が、宙を浮く本たちは飛んでくるのではなく、お経のように本の内容が唱えられ始めた。

 これがまだ紙芝居とか童話とか、そういうものだったらよかったことか。実際に唱えられていたのは数学や化学といった一定層の学生の天敵となるようなもの。絵空って文系っぽいよなと様子を窺うと目をぐるぐるに回して混乱していた。俺も勉強はあまり好きではなく、宿題とかよく忘れてくる類の学生だったので早々にお手上げ状態。

 こんなの聞いていられるかと絵空の手を取って図書室を飛び出そうとしたところ、扉がガタンガタンと激しい音を立てて開いたり閉まったりした。これは最後まで聞けと怒っているのだろうか。俺と絵空は顔を見合わせて、しぶしぶと席に着いた。お経のように数式を唱える声、俺が中学生だったときの教師の声に似ているなと思った。きっとどこの学校も数学教師というのはこういうものなのだろう。


「現くん。げーんーくーん」

「……んあ」

「もう、現実逃避しないでよ。今度は怖いお祭りじゃないからさ」

「いや、別に怖がってるわけじゃない。そう、決して怖いわけでなくてだな。理解を超えた意味不明な出来事の連発に混乱しただけなんだ」

「それって世間一般的に言われる怖いとは違うの?」

「違うと言いたい」


 突拍子もない提案をするようになったのは打ち明けること全てを話して心置きなく甘えられるようになったから。そう考えると気持ちは和むし、悪い気はしないなと口元が緩む。

 しかし、それとこれは話が別だ。絵空が楽しいと思うことをめいいっぱいやっていきたいし、お願いは全部叶えたい。けど、俺ができることには限度がある。

 先日の肝試し大会を思い出し、絵空の言う祭りとはどういう風に解釈すればよいのだろうかと考える。

 またホラー満載なものかな、絵空って怖いもの好きすぎかよ。ハロウィンみたいなものなら実現できそうだけど、既にホラーハウスみたいな中学校がある中でそれをやるのはシャレにならない気がする。

 ぐるぐると考えているうちに意識をどこかへやっていた。絵空に肩を揺らされ、我に返った俺は間抜けな声で返事をする。絵空は俺が話を聞いていなかったことにご立腹なようで、ぷくりと白い頬を膨らませていた。

 はは、可愛い奴め。膨らんだ頬を人差し指で潰しながら決して怖がって躊躇っているわけではないことを主張する。

 そう、別に怖がってなんかいない。絵空の言う祭りが人体模型や人体骨格たち主催の奇妙なパーティー的な意味だったら、今度こそ人魂とかトイレの花子さんとか出てきそうで嫌だなとか考えていたわけではない。いや、まじで。


「というか、お祭りとかやってるの?」

「この間、夢の世界に来たときにね。この町で一番広い公園にふらーっと寄ってみたの。そしたらお祭りの設営がされていて……前の前もあったから今回もそのままなんじゃないかなあ」

「肝試し大会の経験を得た今の絵空の想像力ならさ、屋台の店主は人体模型とかがやってそうだよな」

「それはそれで面白そうだよね。模型くんたちと射的したい!」


 顔の前で両手をパチッと合わせて、目をきらきらに輝かす絵空に頬を引き攣らせる。おっとこれは余計なことを言ったぞ漫画などに例えるなら人体模型たちはぽっと出てくるだけの印象的なキャラクターだったのに読者の人気により出番が増えていく愛されポジションに定着するような流れ。二度目の登場で薄々感じてはいたが、その後押しをしてしまった気がする。

 いやいや、落ち着いてくれ。相手は人体模型だ。そんなに愛着が湧くものでもないだろう。驚き、慌てる俺に手を腰に当ててドヤりと胸を張る姿はちくしょう、なんか可愛いなと思わなくもなかったが。人体模型に可愛いと思ったなんて末期すぎるだろ。だからできれば三度目の遭遇はしたくない。

 よぎった考えを追い出すために頭を振る。それを否定と捉えたのか、絵空はしゅんとした表情を曇らせた。それから焦げ茶色の目を潤ませながら上目遣い。合わせた両手の人差し指を軽く唇に当てて小首を傾げる。


「現くん。お祭り、だめ?」

「絵空さん」

「はい」

「その顔で頼めば俺が頷くと思っているだろ」

「断られたことはないなあって思ってるよ!」

「ああ、その通りだよ!」


 元気いっぱいに頷かれてしまえば同じように腹の底から声を出して肯定するしかない。笑うがいい、俺は絵空の可愛さに完全敗北していると。否定せず、全力で受け止めてやろう。

 勢いに任せて地面を叩いた握り拳が痛い。見れば小石が皮膚に張り付いている。そんな手を見た絵空は怪我しちゃうよと小石を払ってくれた。

 あれこれ言ったが、最初から絵空の提案を受け入れるつもりだった。俺は絵空全肯定マシーンになると決めたのだから当然のこと。けど、そんな可愛い顔でおねだりをしてくれるなら今後、一言返事で受け入れるのではなく焦らしたくなるじゃないか。そしてそのまま小石を払ってくれるところまでを定番の流れにしたい。


「痛いことをわざとやるなんてことしたら怒るよ」

「よし、じゃあ祭りに行くかあ」

「あっ、こら。話を逸らさないの! ……って、本当にお祭り行ってくれるの?」

「うん。行くよ」

「やったあ!」


 話を逸らすなと怒った絵空は簡単に逸らされてくれた。

 絵空は顔を俯かせて肩を小さく震わせる。そこからどう出るかと見守っていれば、満面の笑みを浮かべて顔をばっと上げた。それから胸の前で握った両手を溜め込んでから勢いよく腕を伸ばし手を開く。いわゆる万歳というやつだ。相変わらず全身で喜んでくれるな。俺まで嬉しくなる。

 ぴょこぴょこと辺りを飛び回って万歳を繰り返す絵空に顔を綻ばせて、そうと決まればお祭りがやっているという公園に向かうかと立ち上がる。

 絵空は一通り喜んだ後、俺の前に駆け寄って爛々とした目で言う。


「夕方から始まるし、夜が近い時間に行こうよ。そっちの方がきっと雰囲気あるよ!」

「え、祭りって昼間からやってるものじゃないの」

「え、夕方から夜にかけてだよ」


 何言ってるの。お互いがそんな顔をして顔を合わせる。瞬きを数度繰り返し、首を傾げる。

 おっと、ここでまさかの食い違いが生じるとは思っていなかったぞ。青々とした空を見上げてから絵空を見下ろす。きょとりとした表情でハテナを浮かべる様子に俺は俺の知っている祭りを思い浮かべて説明する。


「早朝からスタッフが集まって、午前遅くから始まるものじゃん。近隣小学校の吹奏楽部とかがパレードしたり、各地から訪れたチームがよさこい踊ったり」

「それは規模の大きなお祭りだよう。こんな田舎に期待しないでよ!」

「でも市民祭りとかはあるだろ」

「あるにはあるけど、それは市の中でも栄えているところがやるものだし。私の住んでいる場所は市の中でも田舎だから……」

「ああ、確かに。病院とか駅周辺に比べると田畑が多い」

「市内格差が酷いだけだもん!」


 小さな足で地団駄を踏み始める。足の動きに合わせて膝丈の黒色のワンピースがゆらゆらと揺れる。

 もう少し膝を上げてくれたら太もももチラ見できるんだけどなあと真剣に見つめていると、視線を察した絵空は俺の両目を手の平で覆い隠してきた。ぺちりと乾いた音が鳴る勢いで覆われたので少しだけ痛い。

 その状態のまま、同じ市なのに栄え方に差があるとか。山を開拓したような場所だから仕方がないんだとか。地元について語り続ける。

 絵空が愚痴を言うなんて珍しいと思ったが、言いたいことは理解できる。住宅街が集まった地域だから市街に比べたら遊び場が少なくて、学生には物足りない場所だ。それ以上に立地が問題だ。市街に行こうにも、隣接の市に行こうにも。勾配の急な坂道を下っていかなければならない。つまり、帰り道は勾配の急な坂道を上るということ。車ならばなんてことない話だが、移動手段が自転車となる学生にとっては辛いだろうな。絵空じゃなくても不満を抱く。

 さて、どうやってマシンガンのごとく吐き出される愚痴を止めようか。両目を隠す絵空の手を取りながら、かける言葉に頭を悩ませる。愚痴を吐き出すほどご立腹な絵空を相手にするのは初めてだからなあ。

 そして、こういうときの俺は大体新しい地雷を踏む。踏んでから言葉選びを誤ったことに気付き、数日間に渡って後悔し、死にたくなるまでがセットだ。


「いいんじゃん。規模の小さな田舎の祭り。盆踊りとか太鼓とかあるイメージで面白そう」

「現くん。無邪気な発想は時として人の心を傷つけるんだよ」

「おっと。まさか絵空にそれを言われる日が来るとは思わなかった」

「そもそも! 薬の副作用で免疫抑制されている私が人が集まるお祭りに行けると思ってる? 本気で思ってるの!」

「分かった、ごめん。謝るから涙目で怒らないで。罪悪感や反省より可愛さにもっと意地悪なこと言いたくなるから」

「えっ、それは気持ち悪いよ」


 案の定、最初にかけた言葉は絵空の地雷を踏み抜いた。やっぱり俺は言葉選びが下手だな、これは夜中に思い出して死にたくなるやつだ。遠い目をしながら、はち切れんばかりに頬を膨らませて、ぽかぽかと叩いてくる絵空の白い頬をむにむにと抓る。

 今ここで、自己嫌悪に陥るわけにはいかないので、まさか無邪気代表みたいな絵空に無邪気さが時として残酷であることを指摘されるとは思わなかったあ。そうやって無理矢理思考を切り替えることにした。


 それにしても病院の一件から本当に包み隠さず何でも言うようになったな。以前なら薬がとか免疫抑制がとか言わず、途中で困ったような笑顔を浮かべて話題を変えていただろうに。

 これも気を許してくれているからと思うと浮かれてしまう。スキップする勢いで浮かれた俺はつい、涙目で怒る絵空も悪くないという感想を口から滑り出してしまった。それまで饒舌になっていた絵空の口は途端に静かになる。


「祭りかあ。祭りと言えばトルネードポテトとか肉巻きおにぎりとかたませんとか、いろいろ食べてたなあ」

「あのねあのね。私、りんご飴を食べるの夢だったんだあ」

「りんご飴かあ」

「現くん、食べたことあるの?」

「あれなあ。屋台によって当たり外れが大きいんだよ。いちご飴とかそういう小さいフルーツの方が当たりが多いよ」

「じゃあいちご飴食べるー!」


 市内格差についてや祭りのことを話しているうちに爽やかな青空に燃えるような赤色や目に焼き付く鮮やかなオレンジ色が混ざり始める。

 絵空の家から祭りのやっている公園まで徒歩三十分ほどかかるらしいので、そろそろ向かい始めていい頃合だ。なにせ、真っ直ぐ向かって三十分くらいだ。道中の寄り道を考えたらその倍はかかるだろう。着く頃には夜が顔を覗かせるはずだ。

 祭りと言えば何を食べていたか。定番の屋台をあげていけば絵空はもじもじとしながらりんご飴への憧れを語り始める。なんだそれ、可愛い。

 真っ赤な林檎が更に赤い飴で覆われてきらきらと宝石みたいだと感動したこと。調子のいいときはお祭りに連れてきてもらえて、一度だけ泣きながら駄々をこねてみたけど買ってもらえなかったこと。くるくると表情を変える絵空を楽しみながらりんご飴を食べた遠い記憶を思い出す。

 ……夢を壊すことを言うようで悪いけど、俺は嫌いじゃないけど強くは推せないな。あれ一本で腹がかなり膨れるし、ハズレを引いたときの苦労と言ったら。

 そこで俺は思い出した。この世界の食べ物の味について。絵空は食べ物に制限を受けてきたから味の記憶も薄い。見た目は集めていたという消しゴムで補完していることもあって、食べたことのないものはゴムの味で再現される。

 これは覚悟しないといけないな。綺麗なお花があると走っていく絵空の背中を眺めながら、これから大量に摂取することになるであろうゴムの味がした食べ物たちを思い浮かべ、固唾を飲む。


「あとねーあとねー。ヨーヨー釣りでしょう、輪投げでしょう、それに射的! あっ、金魚釣りもいいよね」

「人の集まらないお祭りにそんなに屋台が出るものなのか?」

「そういう意地悪はよくないよ!」

「出てないんだ」

「ヨーヨー釣りと金魚掬いはあったもん。……あとは町内会に有志を募ってフリマ的な」

「なるほど」

「それと、市のマスコットキャラの缶バッチとかマスコットの販売。ちなみにマスコットキャラはあんまり可愛くないの」


 ちなみにマスコットキャラはあれだよと絵空が指差した先にあるのは市内の巡回バス。近付いて市のマスコットキャラを確認するなりだっせえと感想が口から飛び出る。それに絵空は力強く同意した。

 マスコットキャラのモチーフは市の花だった。その花を髪飾りにした子どもとか妖精とかにすればまだ可愛らしくなっただろうに、あろうことかそいつは市の花に直接手足が生え、花びらに目と口が浮かんでいる。この緑色の服のようなものは萼片なのだろうか。


「私ね、思ったんだ。マスコットキャラは着ぐるみになったときのことを考えて作らないといけないって」

「あー……この両手足の細さはまんま人間って感じだよなあ」

「そう! やっぱりね、まんまるな形とかが可愛いと思うんだ!」


 何が絵空をそこまで駆り立てるのか。絵空は握りこぶしを震わせて熱弁し始める。その姿を見た俺は、いつでもなんでも楽しんでいる絵空にもそういう不満を吐き出すために愚痴ることもあるんだと安心した。

 そうだよな。絵空は一生懸命、今の時間を大切に生きているだけの女の子であって、聖人じゃないもんなあ。


「しかも次に作られたマスコットキャラは山だよ、山! どう思う?」

「ものすごくだっせえ」

「でしょう!」


 二度目の力強い同意に笑いながらバスから目を離し、歩道橋を渡りきる。その先にある緩やかな坂を歩き、坂の途中にある保育園の壁面に描かれた絵を鑑賞する。

 絵空の通っている中学校へ向かう度に思うけど、歩く分には問題ないけれど自転車を漕ぐとなったら嫌な坂だなあ。本当、どこに行くにしても坂を上るか下るかしないといけない場所だ。

 鼻腔をくすぐる金木犀のほんのり甘い香りは好ましく、通学路で数少ない癒しになるのかもしれないけど、絵の具とか習字道具とかの持ち運びがあるときはしんどくなりそう。


「現くんの一番好きな屋台はなーに?」

「んー。俺は的当てとか好きだったなあ。こんくらいのボールを投げんの」

「それなら私もできそうだよね。やってみたいなあ」

「あるといいな」

「でも見たことないからなあ」


 見たことないものは再現できないもんな。そう言って頷く。俺の言葉に同意した絵空はむむっと眉間に皺を寄せ、自分の経験値の低さが恨めしいよ! と笑う。

 見上げた夕焼けは金色に輝いており、そこに紫がかった暗い青色が混ざり始めていた。空の変化は夜を心待ちしているかのようだった。きっと祭りを前に心を弾ませた絵空の影響を受けているのだろう。


「屋台が少ない祭りでも絵空は全部楽しむんだろうな」

「どれだけ小さなお祭りだとしても、私にとっては一大イベントだからね!」


▷▶▷


 結果から述べよう。


「現くん! 金魚掬い、その隣には亀掬いがあるよ!」

「おお、本当だ。本物じゃなくて玩具だけど、リアルだな」

「ねえねえ、あれ何? 初めて見た!」

「あれは型抜きだな」

「噂の型抜きだ! 私、あれやりたい!」


 町で一番広い公園で開かれている祭りは絵空から聞いていたものよりずっと華やかだった。

 芝生広場には腹の虫を刺激する香りをたっぷりと含んだ煙をくゆらせる食べ物の屋台や心躍る景品の山に目移りしそうなゲームの屋台。野外ステージから伸びる線に吊るされた提灯が食べ物の香りを乗せた風に揺らされている。

 これを規模が小さくて来る人が少ない祭りだと言うのであれば、絵空もここら辺に住んでいる人も祭りへの理想が高すぎるのではないかと思った。

 しかし、この祭りの様子が絵空にとっても予想外のことのようで公園に到着するなり小さな口をぽかんと開いて固まっていた。右を見て、左を見て。ぷるぷると肩を震わせていると思いきや、次の瞬間には喜びの声をあげて飛び跳ねていた。


「これ、お菓子でできてるの?」

「うん。なんだっけな、砂糖とでんぷんだった気がする」

「おいしいのかなあ」

「美味しくない」

「食べたことあるの?」

「お菓子と聞いたらつまみぐいしちゃう少年だったからね」


 俺の回答にふくふくと笑いながら絵空はピンク色に染められた板状のお菓子を指先でなぞる。それに描かれているのはイルカだった。

 型抜きを初めて見るくらいの初心者にとってイルカは難しいぞ。簡単なのにしておいたらとハートが描かれた型抜きを渡す。受け取った絵空はケースに収められた爪楊枝を一本手にし、型抜きを始める。最初はきゃっきゃと声をあげていたが、集中するにつれ言葉数が減っていく。

 集中のあまり前のめりになっていく絵空。重力に従うように横髪が垂れてきて、真剣な表情を浮かべる絵空の横顔が隠れる。邪魔だろうなと思って髪を人差し指で掬い、耳にかけてやれば型抜きに釘付けだった焦げ茶色の目が一瞬だけこちらを見た。


「現くんはやらないの?」

「絵空を見てる方が面白いかな」

「えーっ、なんか恥ずかしいなあ。あっ!」

「割れたな。ハートが真っ二つだ」

「く、悔しい……。それにハートだけになんかやだ! もう一回やる、おかわり!」


 パキッと乾いた音をたててハートが縦から真っ二つに割れる。絵空が恋する乙女だったら最悪な割れ方だ。そうでなくても嫌な見た目をしている。

 握った両手をぶんぶん振って悔しさを表現した後、絵空は型抜きに再挑戦する。お菓子だからおかわりなのかと笑いながら、俺はこの祭りに対して抱いている疑問について考える。

 この様子を見る限り、絵空が型抜きを見たというのは初めてだという話は本当のことらしい。嘘を吐く意味もないからその点については疑っていなかったけど。加えて、絵空は型抜きがお菓子であることも知らなかった。しかし、ここにあるのは駄菓子屋に並んでいるようなものだ。これを絵空の記憶で構成されたものだとは思えない。記憶からの構成ではなく、絵空の想像力で現れるものもあったけど知らないものを想像することはできないだろう。

 では、これは何をもとにして再現されているのか。


「おーい、現くーん」

「え、何?」

「これを見よ!」

「お、二度目にしてクリアするとは筋がいいぞ」

「えへへ。手先は器用な方なんだあ」


 考え事に没頭している間に絵空は綺麗なハートを完成させていた。すごいすごいと褒めれば照れ笑いを浮かべ、慎ましやかな胸をえっへんと張ってみせる。

 可愛らしいので衝動的に頭を撫で回す。くしゃっと乱れてしまったが、絵空はそれよりも撫で回されたことの方が嬉しかったのかこれでもかというくらい頬を緩めていた。


「次はどうする?」

「んーっと。あっ、的当てしよ! 現くんが好きなやつ!」

「よし。鍛えまくった俺の腕を披露するときだな」

「そんなに鍛えたの?」

「わりと本気で」


 思春期の男というのはシモで物事を考えているようなものだ。つまり女の子にモテたい。モテてあわよくばあれこれしたい。モテない男ほどそういうことを考える。

 そして、ある日俺は閃いた。文化祭でもだいたいどこかのクラスがやっている、そしてテーマパークでもぬいぐるみを景品にして展開されている的当て。これをかっこよく決められたらモテるのではないか! と。あのときの俺は自分が天才なのではないかと震え上がった。そして単純な俺は的当ての腕を磨き、文化祭では百発百中で観客を沸かせた。

 だが、後に俺は気付くことになる。遅すぎた発覚。テーマパークどころか文化祭すら一緒に回る女の子が俺にはいないということに! なんたる悲劇! それを指摘した友人は腹を抱えて笑っていた。俺は泣いた。

 あー、なんか思い出したら懐かしくて……それでいて胸と胃が痛くなってきた。


「現くん、一緒に回る女の子がいなかったの?」

「また声出てた?」

「出てたどころか熱弁してたけど、語るつもりだったんじゃないの?」

「こんな欲にまみれた男心を聞かせられるか! って、心の中で感傷に浸っていたつもりだった」

「えっ。現くんの欲にまみれた男心なんていつも漏れてるじゃん。気持ち悪いこといっぱい言うじゃん」


 踏まれてご褒美だとか、ふくらはぎ撫でたいとか。あと慎ましやかな胸を張るって表現も気持ち悪いよ。なんて、無垢な目で言われてしまえばどんな男だって心を抉られ蹲りたくなるだろう。そして叫びたくなる。というか叫んだ。腹から奇声をあげた。

 そんなドン引き必至な俺に絵空は目線を合わせるように膝を折ってしゃがみ込み、さっき俺がしたように頭を撫でてくる。恐る恐ると顔をあげればにこにこ笑顔の絵空と目が合う。そしてこれまた男心をくすぐる爆弾を落としてくるのだ。


「じゃあ、現くんの初デート相手は私になるんだね」

「んんっ」

「そして私の初デート相手が現くんだ。ふふっ、おそろいだねぇ」

「お、おう」

「そんな現くんにプレゼントだよ」


 ふにっと唇に乾いたものを押し付けられる。なんだろうと視線を落とせば絵空が完成させた型抜きのハートだった。まばたきを繰り返していると、絵空は小さな口をぱかっと開く。それを真似て薄く唇を開けば、男の夢であるあーんを実現してくれた。

 なんたる幸福。時間をかけて、味わうように咀嚼する。味の薄い型抜きに唾液が絡まり、ほんのり甘みが出てくる。主成分がでんぷんだからかなと遠い昔に受けた理科の記憶を思い出した。

 噛み締める俺を眺めていた絵空はほんのり頬を桃色に染めて、ふわふわとした笑顔を浮かべた。そんな顔でこんなことを言われて、あんなことをされて。心を揺らされない男がいるなら会ってみたい。俺は心どころか脳も揺らされるくらいの衝撃を受けたぞ。

 なんだかこれ、照れちゃうね。なんて言いながら両手を桃色に染まった頬に当ててはにかむ姿なんて天使以外の何者でもないだろう。痛み始めていた胸と胃のことなんてすっかり忘れてしまった。


「さて、そんな初デート記念に現くんの勇姿を見せてもらうことにしましょう!」

「惚れ直しても知らないからな」

「え、惚れ直すって惚れてからするものじゃ」

「上げて落としてくるなあ!」

「ふふっ。冗談だよ」

「えっ」

「というのが冗談で。あ、その前にいちご飴見つけた! 先にあれ食べよ」


 もし、絵空が天使以外の何者であるとしたら小悪魔なのだろう。そんなアホみたいなことを考えている間に絵空はお目当ての一つだったいちが飴を発見する。目をきらきらに輝かして走っていく後ろ姿は大好きなおもちゃを追いかける子犬のようだった。つまり可愛い。

 そんな姿に心をくすぐられながら、俺は絵空の言った言葉を思い返す。念入りに、主に初デートのくだりを。そしてにやけながら、少しばかり惜しい気持ちになった。


「初デートだって分かっていたらなんとしてでも浴衣を着てもらったのにな」


 天使のように愛らしく、小悪魔のようにおちゃめな可愛い女の子との初デート。しかも、行き先は祭り。なんて素晴らしいイベントなのだろう。そりゃあ、欲が出てしまうというもの。仕方がないことだと許してほしい。

 もちろん、黒色のワンピースもよく似合っている。絵空の白い肌がよく映える。無邪気にはしゃぐたびに揺れるワンピースと見え隠れする白い太ももなんてたまらない。けど、いつも黒色のワンピースを着ている絵空が他の色に染まった衣服を着る姿も見てみたい。例えば向日葵が咲いた白い浴衣とか。

 どのいちご飴を食べようか。隣に並んでいるみかん飴やぶどう飴にも目移りをし、涎を垂らす絵空を眺めながら頭の中であれこれ着せ替えしてみる。うん。ピンクのカーディガンに萌え袖もたまらない。ボーイッシュな格好も似合うだろう。ショートパンツを履いて存分に生足を出してほしい。色とりどりの衣服を着た絵空を妄想し、そしてふと思う。


「黒色のワンピースって、まるで」

「現くん! 早く一緒に食べようよ!」


 絵空の弾んだ声で浮かびかけていた考えが霧散する。何を思いつこうとしたんだっけと首を傾げるが思い出せなかった。浮かんで数秒で忘れることだからきっと大したことないはずだ。頭を振って切り替える。

 絵空の横に並び、屋台のライトが反射してきらきらしている飴でコーティングされたフルーツたちを眺める。確かに、見た目はどれもこれも甘そうで悩ましい。けど、味は残念なんだろうなと思うと悩む時間が惜しくなる。なので俺は果物の種類で選ぶことにした。


「みかん飴?」

「ここで一番まともな味してたから」

「じゃあ、オレンジジュースの味がする飴かもね」

「ゴム味の飴よりかはマシじゃん」

「もしかしたら甘くなってるかもしれないじゃん! 飴って砂糖の塊みたいなものでしょう?」

「ああ、ポテチがまんまじゃがいもの味だったようにか」

「その件はもう忘れてよー。それじゃあ、えいっ……って、あれ、本当に甘い」


 目を丸める絵空に騙されないからなと笑いながらみかん飴をひと思いに噛み砕けば、オレンジジュースではなく、飴の中に凝縮された濃厚な蜜柑の味が口の中に広がった。まさかと思い、ぶどう飴にも手を伸ばす。それもゴム味とか葡萄そのものの味とかではなく、俺のよく知るぶどう飴の味がした。

 俺たちは驚きの表情を浮かべたまま顔を合わせる。お互いの目が期待の色に染まっていた。


「やっ、焼きそば! 焼きそば食べたい!」

「たこ焼きも食べようぜ」

「たこ焼き!」


 その期待は裏切られることなく、どれもこれも知っている味がした。絵空は歓喜のあまりに目を潤ませながら頬張り、俺も濃い味のする食べ物に懐かしさを噛み締めていた。こうして、俺たちの初デートこと祭りは食べ歩きを存分に楽しむ形で終えた。

 ……俺の的当ての腕を披露することを忘れていたのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る