アリア攻略編6 良い聖女、悪い聖女

 "良い警官good cop,悪い警官bad cop"という尋問の技術が、ある。


 恐ろしい悪人役が対象者を徹底的に追いつめた後に、親身な味方役がすこし優しくしてやると、対象は味方役を信頼して心を開いてしまう、という思考誘導マインドコントロールのテクニックだ。


 お父さんが叱ってお母さんが慰めることで家庭で子供が躾けられるのと構造は同じだ。


 表向きの警官の役回りは"良い聖女アリア・悪い魔王"だろう。

 その裏で、"良い聖女エミ・悪い聖女アリア"という役回りを与えられているんじゃないか? 俺はそう疑っていた。

 エミを味方にしたいのに、心を許して取り返しがつかなくなることが怖かった。エミは聖女じゃないし、何も知らされてないとも感じているが。矛盾した感情が渦巻いてどうしようもなくなっていた。


 人の心は弱い。割れたスマホの画面のように、簡単にバッキバキに砕けてしまう。その弱った心に1滴の優しさを垂らせば、心のをつたって一気に侵食していく。

 秘密を口から垂れ流して、もう1滴の優しさを欲しがる。優しさを恵んでくれる相手に依存していく。


 1滴の優しさでさえ心を開いてしまうのならば、エミのような女から全てを捧げる勢いで愛されれば、そいつは狂ってしまうだろうよ。これは"愛の爆弾"という思考誘導マインドコントロールのテクニックだろう。


 いきなり元の世界の生活を奪われて人間関係を強制的に断たれ、食事も与えられずに暗い地下室に7日も閉じ込められた。朝早くに起こしにくるアリアにおびえて眠りも浅く、巨大蟻との殺し合いを繰り返す。


 そんな限界の状況でエミを警戒していた。密かに。


───エミは信用できるのか。

───アリアのスパイではないか。


 この疑念を、俺はできる限り心に浮かべないよう注意してきた。強靭な理性の力で悪感情は無理矢理まとめてアリアに向けてきた。エミへは、愛のみを向けようと心身ともに振る舞ってきた。


 読心魔法があるからだ。この世界には読心テレパシーの魔法が存在する。エミが善意でも悪意でも、関係なしに心を読み取る方法がある。


 だが、俺はもう、限界だ。限界だった。


 ずっと張り詰めつづけた神経の糸が、たった今、ぶつんと切れてしまった。100メートルのクソ高い雲梯うんていを、手の力だけで進み続けていたような異世界生活だったもんだから、手を離して楽になりたい気分になった。


 エミを信じる。そう決めた。


 反応がないので、もう1度くり返した。


「俺は洗脳されてる、ような気がする」


 エミは、答えない。赤い瞳が俺のことをじっと見つめている。感情の揺れは特に感じられない。なるほど。


「知っていたか」

「うん。マコトが召喚された時に、アリアが洗脳の魔法をかけるの見てたんだ」

「そうか」

「その後でいろいろあったし、あんまり覚えてないけどね」


 あの日のことは記憶が混濁していて自信がなかったが、記憶と現実は一致しているようだ。

 はあ、と大きくため息が出てしまった。

 これは安堵か、不安か。わからない。わからないが、力が抜けた。


「アリアに逆らえないんでしょ?」

「まあな」

「他にもいろいろ命令されてんでしょ? 魔力の波長がいっしょだから、いろんなこと伝わっちゃうんだ」

「そうか。エミには隠しごとはできないな」

「マコトに隠しごとされたくない」

「じゃあ、今のうちに言っておくか」

「うん?」


 願いをひとつ、口にする。


「何も感じなくなるのが怖い。怖いんだ。

 召喚されて全てのものを俺は失った。そんな俺に残ったのは心だけ。心の自由だけなんだよ。

 もし、俺が完全に洗脳されてしまって、感情も意志もすべてを失ったら、エミが助けてくれないか?」


 俺はもう限界だった。心の底に流れる、どろどろの感情を吐き出してしまった。


 エミの瞳に力強い光が宿った。まばゆく誠実な、意志の光が。


「任せて」


 エミの声に俺の心の棘が溶かされていく。


 エミを信じる。そう決めた。

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