201 「上海狂詩曲(2)」

 私は今、鳳一族のターニングポイントの一つにいた。

 上海は、鳳一族と鳳財閥の始まりの地だからだ。そしてそれを示すかのように、休憩後に案内された場所は、租界の片隅にあるあまり裕福とは言えない人達が住む場所の一角。


(私をどうこうしようって言うなら、もってこいな感じの場所ね)


 周囲を見渡しつつ、思わず小説や映画でよくあるシチュエーションを考えてしまう。そしてそこは、そんな風に感じてしまう場所だ。

 中華風の古びた建物。商店なのか、間取りが普通の家屋とは違う作り。そして煤汚れた小さな窓からの明かりしかなく、どこか埃が舞っているような空気。

 車三台を連ねて小太り叔父さんの張支店長に連れられてきたのは、本当に映画のセットのような場所だった。カンフースターかハリウッドのイケメンが出てきても驚かないくらいだ。

 そしてそんな部屋の一角で、案内してくれた張支店長が私に振り向いた。


「鳳のご当主より、伯爵令嬢を最初にお連れして欲しいと頼まれた場所です」


「……ここは?」


「ちょうど伯爵令嬢の立っておられる場所が、玄一郎様がよくお座りになっていた場所だとお聞きしております」


「つまり、鳳の始まりの地という事ですか?」


「はい、左様です。厳密には南京の、ここよりもっと薄汚い場所が始まりと言えるのですが、その頃の記録は流石に御座いません。ですので、鳳玄一郎様が旅立たれた場所を、当時のまま残しております」


「そうでしたか……」


 呟くように答え、部屋の周囲を見渡す。そしてその場所で見渡して、違和感を感じた。いや、違和感じゃない。デジャビューに近いけど違う。これはごくたまに感じる、私の体の主の記憶の残りカスか何かだ。

 そして数秒して気づいた。私の体の主が、おそらくソ連に売られた場所なのだ、と。


「何か?」


「い、いえ、似た場所に来たことがあるように思ったのですけれど、そんな筈はありませんね」


 気づかないまま、口の端がつり上っていたらしい。言葉を取り繕ったけど、その気持ちは続いている。


(鳳始まりの地が、実は終焉の地の一つでもあるって、皮肉が効きすぎ)


 という気持ちが。

 幸いそれ以上聞かれる事もなかったので、こちらもそれ以上答える事もないまま、しばらくしてそこを発った。

 今日は行くべきところが他にもあるからだ。




 次のチェックポイントは、鳳商事上海支店。鳳の大陸での中枢拠点となる場所だ。

 「日本租界」と呼ばれる場所の、川に近いかなり良い場所にある。日本領事館も程近い。

 この日本租界は、租界の中心部の北東、租界の真ん中近く、北四川路や虹江地区と呼ばれる場所にある。さらに租界の外に、鉄道沿線に沿う形でも広がっている。日本人居留民の数は約2万7千人。他に常駐となった海軍陸戦隊が1000名ほどいる。海外では南満州以外で最も日本人の多い場所で、租界の外れには神社すらあるそうだ。

 そして、事前に聞いていた蒋介石による日貨排斥、要するに日本製品ボイコットが行われていると言うけど、日本租界は平穏そのものに見える。私の前世の歴史では、日本製品ボイコットは満州事変のあと激化した筈だから、比較的平穏な状態ならこんなものなのだろう。



「どうかされましたか?」


「話には聞いておりましたが、他に負けない立派な建物だと感心しておりました」


「はい。この建造物は、上海支店も自慢とするところです。そして鳳が、上海を重視して頂いている証しであると、誇りにもしております」


「はい。父祖が足場を築き旅立った地というだけでなく、大陸は鳳にとっても重要な拠点です。それに、ここがもたらしてくれる大陸の情報は、非常に精度も高くいつも助かっています」


「そこまでおっしゃって頂けるとは、感謝の極み。さあ、中へ。中も外に負けておりません」


 そう言われて入った地上5階建の石造りの立派な建物の中は、確かに外観に負けていなかった。正面ロビーは、ホテルと言っても通じるほど。一見古い建物だけど、比較的最近大幅に手を入れた形跡があるけど、元々の建物が立派で頑健な事を伺わせている。

 そして案内されるまま応接室へ。

 そして私を上座として、張支店長と対面する。駄弁るためじゃないし、社交辞令を交わす為でもない。

 私は合図でシズが出してくれた布の包みを受け取る。そしてその中身を取り出し、張支店長へと差し出す。


「こちらが、鳳当主麒一郎より預かった手紙になります。また、直接私の口から申し上げるように言付かっている言葉が御座います」


「これはご丁寧にありがとう御座います。謹んで頂戴いたします。して、お言葉とは?」


「二月に前当主鳳蒼一郎が身罷った事、改めてお伝えさせていただきます。また葬儀の際、ご出席と丁寧な手紙を頂いたこと、厚くお礼申し上げます」


 言い終わると、言葉の最後に深く頭を下げる。そしてたっぷり3秒数えると頭の向こうから声がした。


「私どものような者への、わざわざお言葉を伝えて頂き、感謝に絶えません。誠にありがとう御座います。さあ、頭をお上げください」


「お言葉を受けて頂き、ありがとう御座います」


「とんでもありません。鳳は我々にとって、血を分けた兄弟も同じ。そして、あなた方こそが兄ではありませんか。しかも近年は、評価以上の支援を頂いている。お礼を申し上げ、頭を下げるのは我々の方です」


「そんな事はありません。鳳は当然だと考えております。そして、今以上も考えているのですが、お話をしてもよろしいでしょうか」


 互いの座高の差から相手を少し見上げる形になるけど、向こうから見たら鳳一族の特徴である鋭角的な顔立ちが際立っている筈だ。

 とは言え、この程度では表情を変えたりもしてくれない。


「今以上ですか。お聞きしましょう。ですがその前に、一つよろしいでしょうか」


「お答えできる限りで御座いましたら」


「そのお話は、鳳の当主からでしょうか。鳳グループ総帥からでしょうか。それとも……」


 小さく頷いて続けた言葉の最後は、私が話の出どころかと聞いている。『鳳の巫女』の話は多少知っている相手なので、その辺りを気にするのは当然だろう。

 ましてや、日本での大合併、アメリカでの成功の裏話も、多少は伝わっているか、もしくは彼らが独自に調べて裏を取っているのだとお父様な祖父からは聞いていた。

 だから、なるべく悪ぶった笑みを返してあげる。


「当主よりの言葉、という事になります」


「……鳳のご当主様より、ですね。ならば我々は鳳商事の社員としてではなく、幇(ぱん)としてお聞きしましょう」


 その言葉に強く頷き返して口を開く。


「それでは早速、単刀直入にお聞きしますが、浙江(せっこう)財閥の足をどこまで引っ張れますか?」


 言い切った後に一瞬の沈黙。流石に予想外だったらしく、ふくよかな顔の細い目が一瞬大きく開きかけた。


「ハハハっ、確かに単刀直入ですな。しかし興味深い。そして可能なら、足を引っ張るどころか、蹴倒したいところです」


「そうですわね。私も全く同意見です。ですから支援は惜しみません。必要なものは、可能な限り届けさせましょう」


「……可能な限りですか。鳳が最終的に望むのは、どの辺りでしょうか。そこまでお伺いしなければ、安易なお答えが出来ません」


「確かに、そうかもしれませんね。……そうですね、アメリカでの彼らの活動を可能な限り抑え込みたいだけなのです。邪魔なので。だから潰す必要も、全面戦争する必要もありません。悪い噂をたてて広めるだけでも構わないくらいです」


「例えば?」


「浙江財閥は、アメリカと手を結びこの国の経済をアメリカと共に乗っ取ろうとしている国賊である、みたいな?」


 言葉も表情も、できる限り悪いお嬢様っぽく伝えてみる。そうすると、張支店長の細い目がさらに糸目になる。


「宣伝材料も提供できますよ。彼らが後援している蒋介石と宋美齢がアメリカで活動している写真など、色々ありますから。もちろん、活動資金も十分に用意させます」


「そこまでして頂けるなら、幾らでもいたしましょう。我らにとっても浙江財閥は、蹴落としたい相手です。ただ懸念が一つ」


「サッスーンですか?」


「左様です。周知の通り、彼らと浙江財閥は友好関係にある」


「だからこそ、足をひっぱる程度で構いません。抗争の延長で悪評をばら撒いている。あくまでその線を超えない。これは、前提条件だと考えています。これなら悪評を警戒して、サッスーンは表立っては出てこないでしょう」


「しかし出来る事は限定されますね」


「はい。突然訪れてご無理を言う以上、鳳は無茶を言う気は全くありません。また、万事お任せ致します」


 そこまで言うと、小太りチャイニーズに笑みが浮かぶ。

 勝算が出てきたと言ったところか、他にも色々と考えているんだろう。


「資金と材料をもらい、気に入らない奴の悪評をばら撒くだけで良いというなら、喜んでお引き受けさせていただきましょう。それどころか、させて下さいと言いたいくらいです。

 ただ、理由や目的の一端なりをお聞かせ願えれば、より一層ご期待にも沿えようというものなのですが?」


「確かにその通りですね。理由は大きく二つ。邪魔と言った通り、アメリカで蒋介石の評判が高まると、相対的に対立状態に陥りつつある日本の評判が下がります。

 また、日本そして鳳グループは、張作霖の中華民国政府をはじめ、蒋介石以外の勢力を支援しています」


 まあ、この程度は張支店長の予想範囲内だろう。けどそれで良い。別に裏もないし、蒋介石が本格的に邪魔になる前に勢力が大きくならなければ、もしくは勢力拡大が遅れてくれれば、それで十分だ。

 そして最後に付け足す。


「勿論、蒋介石、浙江財閥と和解、協力する道もあるのかもしれません。ですけれど、高祖父以来ずっと仲の悪い方と親しくする気はございません」


「その通りです。次代の鳳の方から良いお言葉を聞けて、我々一同安心致しました。後のことは我らに任せて頂き、上海をお楽しみ下さい。癪な連中が中心となって作った街とはいえ、上海は良い街です。必ずや、ご満足頂けることでしょう」


「はい。この街の観光はとても楽しみにしていました」



____________________


幇 (ぱん):

経済的活動を中心とする互助的な組織・結社・団体。

穏やかなものから、マフィアまである。

上海では青幇(チンバン)と呼ばれる荷役をする組合が幅を利かせている。一部がマフィア化。

鳳は、表と裏の二つの面を持つ。海外勢力としては珍しいので、一部からは重宝されている。



浙江財閥 (せっこうざいばつ):

上海を拠点とした浙江・江蘇両省出身の金融資本家集団の総称。

蒋介石主催の南京政府を経済面で支える。

しかし徐々に没落。日中戦争に日本の手によりほぼ解体。



サッスーン財閥:

阿片王。源流はともかく、上海を拠点とするユダヤ系財閥。阿片を売って巨万の富を築き上げた。別の顔はブリテンの紅茶王。

日中戦争では蒋介石の資金源となり、日本とは真っ向から対立した。

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