197 「悪役卒業」

 5月の鳳ホテルの大宴会場『鳳凰の間』で行われた鳳一族のパーティーは、私から見て盛大なだけで終わった。


 余計な連中を排除した身内だけ、親しい者だけのパーティーだから、基本的に和気藹々と行われる。それに世の中不景気だけど、鳳は不景気などどこ吹く風。

 だからこそ、金を無心しにくるような馬鹿、何かネタがないかとウロつくブン屋は、何重にも待ち構えるホテルボーイとメイド達、実質的な警備員に阻止され、近くの廊下や通路にすら近寄れない。

 鳳を妬む右翼左翼については言うまでもない。


 関係の薄い政治家も、毎回のお決まり文句の「身内によるささやかな宴」という事で極力シャットアウトしてある。

 一方では、四月中旬に濱口首相が暴漢に襲われて首相を退かざるを得なかったので、その混乱が内閣を中心に政治の世界で続いている。



 そうした会場で目立っていたのは、やっぱり紅龍先生だ。

 何しろ日本初、東洋初のノーベル賞受賞者だ。今年は改めてのお祝いで、なんと北里柴三郎と北里研究所の主な人物の多くが来賓していた。

 また6月に挙式を予定しているので、ベルタさんの出席こそしていないけど、その話題でも花が咲いていた。

 まさに我が世の春で、遠目に見た紅龍先生が少し眩しく見えた。


 私自身は、パーティー会場では挨拶をするくらいで、舞台袖、控え室で色んな人と会わないといけないから忙しかったけど、今回は特別変わった人はいなかった。

 

 今年も参加していた鳳の子供達は、玄太郎くんが玄二叔父さんではなく、善吉大叔父さんに連れられて挨拶回りを始めていた。

 虎士郎くんは、最初の食事会の余興としてピアノと歌を披露。まだ声変わりしていないから、中性的な天使の声が会場を圧倒していた。

 また、その後も、交代でBGMの演奏もしていた。そうしておけば、誰かと挨拶したりする面倒に巻き込まれずに済むからだと言っていた。


 なお、玄二叔父さんが、このパーティーから公の場に復帰した。曾お爺様が亡くなられた事による恩赦といったところだ。けれども、俗な事には関わらないし、お父様な祖父の麒一郎とは基本的に顔も合わさない。私ともだ。

 そうして遠巻きに見た限り、雰囲気がまるで違って穏やかな感じになっていたのが印象的だった。


 龍一くんは、私のお兄様な龍也叔父様に連れられて、出席している軍人や軍関係の人に紹介されていた。ただし今年は、帰国祝いを先だってしたのもあってか、軍人の数は少ない。

 やばい事の準備で忙しいから、などという理由でない事を祈るばかりだ。


 それはともかく、みんな忙しいので少し可哀想なのが瑤子ちゃんかも知れないけど、こちらはこちらで早くも嫁ぎ先を考えての社交が待っていた。私は相手が決まっているも同然だけど、瑤子ちゃんの方が普通だ。


 そんな感じだから、子供達だけでお菓子を食べたり騒いだりと言った事は、パーティーの間は無理だった。

 私達が子供から大人の過渡期に入った証拠で、こういう面倒が付きまとうのが、華族であり財閥の子女の宿命だ。


 その証拠とばかりに、虎三郎のお子さん達、私達から見て叔父、叔母に当たる人達は、一番下の次女の沙羅(サラ)さん以外が大人、20歳以上なので、縁談に持ち込もうという人達のアプローチなどで忙しそうにしている。

 正月とこの時は大勢が来る紅家の人達も、10代半ば以上の人達も似たような状態だ。

 そして私は忙しすぎて、一族の人達とゆっくり話している暇がない。実に惜しい。



「終わったーっ」


「お疲れ様でした、お嬢様」


「ありがと」


 来客が完全に途絶えた別室で突っ伏した私に、冷たいオレンジジュースを差し出してくれるシズ。

 シズも来客を捌いたり私の雑用をしたりで大忙しだったけど、全く疲れた様子がない。主人の前だから見せないだけなんだろうけど、感心を通り越えて尊敬する。

 

(けど、シズも今年で21なのよね)


「何か御用でしょうか?」


 ズズズっと行儀悪くジュースを口につける私の視線を感じたシズが、こちらに目を向ける。

 だからコップを口から離して、ゆっくりと首を横に振る。


「何も。ただね、シズが仕えてくれるようになって、もうすぐ6年だなあって思っただけ」


「そうでしたか」


「淡白ね」


「はい。まだ6年に御座いますから」


「それで、生涯尽くしてくれるって?」


「はい、勿論です」


「けどそれじゃあ、順番から言えば先にシズが旅立っちゃうじゃない」


「後のことは後進に任せます。その為に、側近団の編成も始めたではないですか。それに今後も続いてくる者は大勢います」


「断言なのね」


「鳳グループの事は私には分かりかねますが、鳳伯爵家が大きな資産を有し、並みの華族、財閥より安定している事は存じ上げております。それに、お嬢様が揺るがせる筈ないと、シズは確信しております」


 きっぱりと言い切られてしまった。

 そうまで言われたら、主人としてはこう返すより他ない。


「それじゃあ、その期待に応えるとしましょうか」


 そしてそんな悪役ぶったのは、約一ヶ月後に私のある意味心の同志であり同じ悪役だと思っていた紅龍先生が、年貢の納め時ってやつを迎えたからだ。

 これで私の『悪役ごっこ』に乗ってくれるのは、お父様な祖父と時田くらいになってしまった。いや、セバスチャンはノリノリだろうけど、あいつは例外だ。




 6月吉日。紅龍先生とベルタさんが祝言をあげ、結婚披露宴が行われた。

 12月に出会い1月に一緒に帰国した時には連れ帰ってきたけど、急いでも色々と準備があるのでギリギリのタイミングで6月となった。

 主な理由は二つ。一つは、ベルタさんに別の再婚話が持ち上がりつつあったから。もう一つは、帰国するまでに、おそらくは帰国途上の船で紅龍先生が仕込んでいたのが、4月中旬の世の中が慌ただしい時期に判明したからだった。


 そして挙式が6月なのは、体の安定とお腹の膨らみ具合のタイミングで6月しかない事と、ベルタさんの母国スウェーデンから親族や友人を呼ばないといけないからだ。

 また日本側も、紅龍先生が日本での有名人になったから、各界の著名人を呼ばないといけないのに、皆さん簡単には日時を空けられないという理由もある。


 それなら生まれた後で挙式をしろとか、鳳伯爵家は曾お爺様を失ったばかりだから一周忌の後にしようとかいう話も、日本側からはあった。

 けど、キリスト教に忌中の考え方がないのと、子供が生まれる前の方が通りが良かろうという事で行われる事になった。


 なお、お相手のベルタさん、当人も男爵家のご令嬢だった事に加えて、血統を辿るとかなり高貴な血筋に行き当たる人らしい。

 正直、貴族を始めて半世紀ほどの鳳の家、しかも分家筋とでは釣り合いが取れない。けど、紅龍先生自身が男爵家の当主となっていたので、なんとかその辺はクリア。それ以上に、ノーベル賞受賞者と言う点で、あちらさんから合格を頂いたのだそうだ。


 そして結婚式は完全な日本式で、近所で一番大きく華族がするのに相応しい明治神宮で行う。

 一方の披露宴は、鳳ホテルの大宴会場。ブン屋とか色々と入れるので、宴会場や会議室などを全て押さえても入りきらないほどの人が招かれる。


 そして披露宴の後は、ベルタさんが身重だから新婚旅行とはいかないので、軽井沢での二人きりの滞在。それが済めば、日本に長期滞在するベルタさんの親族の方との長めの交流が待っている。

 どうも、出産まで日本に滞在するらしい。

 往来に二ヶ月もかかると思えば、資産に余裕があればそんなもんだろう。

 けど、ベルタさんの親族の滞在に関しては、鳳一族が全てお世話させて頂く事をこちらから申し出て、それを受け入れてもらっている。


 まあ、そんな感じだけど、私が直接関わる事は殆どない。教会での結婚式なら、花嫁の長いベールを持つ子供役でもしただろうけど、ベルタさんのたっての願いで日本の神式だから、ベルタさんが纏うのは白無垢だ。

 既に少しお腹も出始めているけど、ゆったり目に着ているであろう白無垢の上からはそれは分からない。

 それよりも、ガチガチになっている紅龍先生の紋付袴とか少し笑いそうだ。

 そしてそんな二人を中心にした大行列が明治神宮の一角に出現し、それを私は眺める側だ。

 子供なのに加えて蒼家と紅家の違いがあるから、列に参加する事もない。

 その後の披露宴で祝辞を述べるのも、主に大人達の役目。



「おめでとう」


 披露宴でも同じ言葉を二人の前で贈るけれども、これはある意味で私自身にとっての紅龍先生へのけじめの言葉だった。

 だから本当なら、言葉の前にさらに付けるべき言葉があった。


「悪役卒業」


 そして少しだけ思った。

 (ゲームの設定から、どれだけ離れたんだろう)と。


__________________


6月吉日:

6月13日に紅龍先生が恩師と仰ぐ北里柴三郎が脳溢血で死去しています。

この結婚式はその前で、披露宴には参列している想定。

ただ、北里柴三郎はライトサイドすぎる人だし、主人公にとって又聞きするだけの歴史上の人物(ネームド)なので、特に取り上げませんでした。

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