059 「予期せぬ遭遇」
27年の11月、アメリカのダウ・インデックス株が200ドル台の踊り場状態で次への飛躍、いや暴騰を始めようかという頃、鳳の屋敷はとある訪問者が訪れていた。
それは、ちょうど私が学校から戻って来た時だった。
その時お屋敷の正面ルーフに車が一台停車していた。鳳の車なので、一族の人か財閥関係者、もしくは鳳の客が乗っている事になる。
だから少し待っていたが、車は動きそうにない。既に私の乗る車は屋敷の敷地内に入っていたので、「もう歩こう」とシズに言って送迎の車を降りて、歩いて屋敷へと入る事にする。
それでも玄関扉辺りの様子を伺うのが目的で、誰もいない時だけ正面から入り、誰かいたり取り込み中なら裏に回るつもりだった。
そして一見扉が閉じていて誰もいないので、シズに目配せして正面から素早く入ってしまう事にした。
そして玄関を開けて広いホールに入った時だった。
「中正・・・さま?」
目にした人物に対して、思わず言葉をこぼしてしまった。それだけ予想外な人物だったからだ。
その人物は蒋介石だった。
写真でしか見た事ないし、乙女ゲーム『黄昏の乙女』にも関係ない人だ。だけど、ネームド中のネームドの一人。もはや歴史上の人物。そしてある意味、日本にとっての『魔王』の一人。
ただ、見たことのある写真より少し若い。それでも見間違いではなかった。私の「中正さん」発言に対して、相好を崩したからだ。
蒋介石の「介石」は字(あざな)で名は「中正」。だから通訳を介して「私をご存知とは、流石鳳のご令嬢だ」と褒めてくれた。
そうしている限り、人好きのするオッサンに見えなくもない。それに一廉(ひとかど)の人物だと実感させられる。
だが、圧倒されてばかりもいられないので、すかさず挨拶をする。
「日本語にて失礼させていただきます。初めまして、鳳玲子と申します。ようこそお越しくださいました、中正様」
「これはご丁寧な挨拶をありがとう。今日は私が蒼様を訪ねた身。私こそ母国の言葉で失礼するよ」
「とんでもありません。では、どうぞごゆっくりなさって下さいまし」
「そうしたいのは山々だが、今日はこれでお暇(いとま)させて頂くところだ。最後に可愛いご令嬢に会えてとても良い気分にさせて頂いた。それでは失礼、鳳の小さなお嬢さん」
「何もお構いできず申し訳ありません。またのお越しをお待ち申し上げております」
お互い通訳を介してだが、どこまでも上辺だけのやり取りとなったが、悪い印象は持たなかった。私が幼女だから、蒋介石も心穏やかだったんだろう。多分。
しかしこっちは、心臓バクバクだ。何しろ歴史上の人物、ネームドの中でも飛び切りのネームドに予期せぬ遭遇をしてしまったのだ。
そうして、二人のやり取りの間は敢えて私を無視し、さらに蒋介石を送り出していた曾お爺様が玄関ホールに戻ってくるのを待つ。
「申し訳ございませんでした。曾お爺様」
周りの使用人の目があるので、ざっくばらんな子供言葉じゃなくてお嬢様言葉で応対する。
「あの程度なら構わない。それより、咄嗟であれだけの挨拶をしてくれたおかげで、中正公も多少は機嫌を直してくれたようで、むしろ助かったよ」
「それで、お客様はどのような用で鳳に?」
「……そうだな、話しておいても構わないだろう。着替えたら、離れに来なさい。手短に話すから、そのあと午後の勉強をしなさい」
「それで中正様、いいえ蒋介石様はなぜ鳳に?」
仕切り直しで離れの曾お爺様と向き合う。勉強部屋には鳳の子供達のうち鳳組が既にいたから、一言言ってこっちに顔を出している。
「大陸での動きは知っているね。それで蒋介石は下野していたが、大陸に居られなくなって日本に亡命していた。そして日本で、再起を図るべく方々駆け回っていたんだよ」
(あらら、私のせいで人生狂った人がこんなところに居たなんて。まあ知ってたけど)
内心で舌を出すが、表向きは神妙に頷くだけに止める。
「だが、上手くいかない。田中義一首相と内閣は張作霖重視の方針で固まっているからな。だから、何度か訪問したが日本政府の支援は得られなかった」
「それで鳳に?」
「他にも行ったらしいがな。それより、うちが入手した情報だと、田中首相は蒋介石の不手際自体は許してはいる。だが、張作霖との仲直りの仲介を持ち出したので、これを蒋介石が受け入れられなかったらしい。何しろ張作霖が上に立つ形だからな」
「そりゃあそうよね。つまり、鳳に田中首相を説得して欲しいと?」
「そう言う事だな。あと金を無心されたが、これは断った。うちと縁のある大陸の兄弟たちは、控え目に言っても浙江財閥と関係が悪いからな」
(出たな浙江財閥。と言うか、鳳と浙江財閥の関係が悪いって話は初耳だ。情報集めたいなあ)
そう思ったのが顔に出たらしい。
幼女だと、どうしてもポーカーフェイスが難しい。
「鳳と大陸のつながりは、麒一郎がそのうち話す。しかし私の父、お前の高祖父が属していた結社、まあ要するに支那のやくざから成り上がった連中の事は多少知っているだろう。その者達と浙江財閥は、因縁浅からぬ関係なんだよ」
「それで鳳に来るなんて、蒋介石も図太いおっさんね」
「肝が太いと言ってやれ。まあ、私もあっちも面子があるから、蒋介石が今日本にいる宋家の次女を説きふせたら考えると条件を出した。そのうち答えが出るだろう」
少し面白そうに曾お爺様が嘯(うそぶ)く。これは黒いモードの曾お爺様なので、失敗するだろうと見ているのだ。
そしてその予測は間違っていなかった。
その後蒋介石は、有馬温泉で療養中の宋慶齢を訪ねて、7年間付き合っていた宋美齢との結婚許可を求めたらしい。そしてそこで、鳳と浙江財閥の関係修復も依頼したようだ。
そしてそのどちらも聞き入れてはもらえず。
結婚は3年以内に復権すればという約束をもらえたが、夫になっていない蒋介石が鳳と浙江財閥の関係で口を挟むなと言われたと、後日蒋介石自身から曾お爺様が聞き出していた。
私が歴史を変える動きをみんなにさせた事が、個人的な事にまで及んだのは流石に少し後ろめたい気持ちになりそうだった。
(けど宋美齢って、アメリカで有る事無い事言いふらした日本の天敵よね。いい気味よ!)
うん。私は間違っていない。多分。
そしてこの件でアメリカでの日本の宣伝、ついでに共産主義がどれだけ悪かを広める事を思いついた。
具体的に何ができるかはこれから考えないといけないが、蒋介石と宋美齢の反日宣伝がアメリカの日本での心象を凄く悪くしたのは歴史が教えてくれている。
共産主義者とそのシンパがどれだけ汚いかは、歴史に問うまでもない。
ドルが手に入れば、アメリカでの議員、有力者への資金援助、マスコミへの投資、映画への広告など、できる事は沢山あるに違いない。
金は国境を越える力だ。
そして私の最大の武器となるドルが、さらに膨れ上がりつつあった。
1927年夏に、アメリカのダウ・インデックスは200ドルを記録した。24年が90ドル程度だったので、二倍以上だ。来年春にはさらに上がり始める。
しかもフェニックスは、この時代で出来る限りのレバレッジを派手にしているので、27年の時点でも含み益は15億ドルを優に上回っている。
ダウ・インデックス市場では、フェニックスの名が大きく広まるほどだ。謎の投資組織、と。
しかも、時田が現地で編成した組織と現地で運用しているファンド・マネージャーが有能らしい。そして真なるボスが誰なのかが、密かに注目されているのだそうだ。
さらに言えば、鳳財閥もしくは鳳一族が深く関わっている事を掴んでいる者がすでに存在していると言うのが、鳳総合研究所、鳳のシンクタンクの分析だ。
だから時田や鳳ホールディングス、それに鳳商事は、アメリカ支店とのやりとりに細心の注意をさらに強めている。
また時田は、本家から直接指令を出すのを完全に止めるようになっていた。
もう遅いかもしれないが、やらないよりマシだからだ。
_______________
蒋介石
まあ説明はいらないだろう。
(※蒋はネットで表示しやすい方で記載)
宋美齢
浙江財閥、宋三姉妹の一人。南京虐殺が広まったきっかけの一人。
控えめに言って日本の天敵の一人。
宋慶齢
孫文の奥さん。中華人民共和国でも権力を維持した国母。
まあ、皇太后みたいなポジションの人。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます