047 「南京事件(1)」

「あー、このまま行ったら、張作霖さんが日本軍にアグレッシブに暗殺されるのよね」


「何か仰りましたか?」


「ううん。最近の大陸はきな臭いなーって」


「左様ですね。鳳も上海租界には支社を置いておりますし、穏便に済めば宜しいのですが」


「多分無理ね。もっと燃えるわよ。派手にね」


「……左様ですか」


 私はまだまだ子供だと言うのに、もうきな臭い時代になってきた。

 1927年もう直ぐ春という頃、大陸の方が騒がしくなりつつある。


 大陸中央では、前年夏から蒋介石が北伐を開始。快進撃を続けて、去年の秋には南部の広州から攻め上がって揚子江流域に達していた。

 蒋介石の存在が、歴史の上で大きくなってきた瞬間だ。

 とはいえ、蒋介石を中心とした国民党の軍事組織は国民革命軍と呼称していたのだが、当時は国民党と共産党との呉越同舟だった。しかも国民党自体も、右派と左派に分かれていた。


 まあ、国民党自体が共産党の指導を受けて軍隊を作り変えたから、多少は仕方ない面もある。

 しかしアカは、庇(ひさし)を貸したら母屋を「奪いに来る」事を忘れてはいけない。例え共産党員の個々人がどれだけ立派な人でも、思想や組織がそういう風に出来ているから、もう本能的に動いてくる厄介さだ。


 それはともかく、鳳の情報網から上がってくる情報を見る限り、この辺りの歴史の動きは私の前世の知識、転生前の戦前の歴史と同じようだ。


「そう思っていた時期が私にもありました。……このセリフを本当に言う時が来るとは思わなかったなあ」


 それが私達が、全く別の件で鳳一族と鳳財閥が総力を挙げて動かなければならない直前に発生した。

 しかも事件の予兆は掴んでいたし、当初は思っていた通りだった。

 そう、当初だけは。




「えっ? こんな時期に日本軍が大陸に出兵してたっけ?」


 3月24日の緊急閣議の決定を知った私の間抜けな声を聞いたのは、幸いにも曾お爺様の蒼一郎、お父様な祖父の麒一郎と龍也お兄様だけだ。

 他に執事の時田とメイドのシズ、それに曾お爺様の秘書の芳賀など数名もいたが、私がどう言う者か知っている人達だけなのは本当に幸いだった。

 比較対象として、だけど。


「どう言うことだ?」


 軍人で少将閣下な、お父様な祖父が怪訝な声をかける。

 いつもは昼行灯なスタイルな癖に、こういう時見せて来る視線は正直圧が強すぎて少し怖い。

 だけど、何しろ今まで私の「夢」はどんぴしゃりだったから、疑問に思うのはある意味当然かもしれない。


「夢にはない事態、という事だな」


 最初から悟っていたのは曾お爺様だ。

 だから私は曾お爺様に対して首を縦に振る。強めに。


「はい。私が知る限り・・・あ、そうか」


 話し始めてすぐに気づいた。

 悪役令嬢であるこの体というかおつむの能力には、いつも驚かされる。前世の私だと、そのままペラペラと話すだけで終わった筈だ。

 けど、一族の人にとっての私は悪役令嬢のスーパースペックな幼女なので、ごく普通の反応しか示さない。


「どうした、続けなさい」


「はい。私が夢で見た歴史は、この時期まだ憲政党内閣なの。しかも加藤高明様がお病気でお亡くなりになって若槻礼次郎様の内閣で、外務大臣は幣原喜重郎様よ」


「その布陣なら、諸外国と協調する上に不干渉主義だ。大陸への安易な出兵は有りえんな」


 全てを言い切る前にお父様な祖父が納得し、お兄様も私の言葉の途中で「なるほど」と呟く。

 そう、私の前世の歴史上でも「幣原外交」と言われたように、列強との協調と他国への不干渉を外交の基本にしていた。

 けど、政友会内閣は違う。その事がすっかり抜け落ちていた。

 

「つまり、この件がどうなるのか分からない。いや、知らないという事だな」


「はい。全く。それに多分だけど、この先も大陸情勢は私の「夢」は役に立たなくなると思うの」


「いや、「夢」は役に立つよ。確かに完全な予測は難しくなるだろうが、予測など未来を見ずとも行える。それに、違うのなら比較対象出来るし、全ての事象が違うという事もないだろう。それに、このような事は先代にもあった。むしろ、今後も詳細に話すように」


「はい、分かりました」


 意図していた子供言葉が、思わず丁寧語になる。

 曾お爺様の周りを安心させるような言葉に、私も精神面で全面的に寄りかかって賛同してしまったからだ。

 加えて、流石にちょっと動揺していたからでもある。

 けど気を取り直して、まずは自分自身への復習も兼ねて「夢」の情報を開陳する。


「えーっと、少し真面目に話すから茶化さないでね。

 憲政会の内閣はこの年の4月まで続くので、日本の出兵はそれ以後になります。その間南京、上海辺りでの混乱が続きます。この混乱は、共産党と国民党左派が中心になりました。

 そして、恐らく今も行われていると思いますが、共産党と国民党左派による国民党右派の排除も画策していたので、右派を率いる蒋介石が現状打破のためにクーデターを実行。これを『上海クーデター』と呼んでいました」


「なるほどなあ。しかし日本が出兵したら、状況は変わるのは確実だな」


「まあ、待て麒一郎。で、その先は?」


 曾お爺様がまずは情報を求める。


「国民党は左右に分裂。右派と周辺軍閥を掌握した蒋介石は、その後も北伐を継続。最終的に張作霖軍に勝利して、一応中華民国の支配権を確立します」


「日本の出兵は、どの段階で起きる?」


「蒋介石の軍が山東まで進軍した時点です」


「当然だな。張作霖に対しては?」


「蒋介石にあっけなく負けたから、役に立たないと判断して切り捨てます」


「それだと戦死でもしない限り、張作霖は満州に逃げ込むな。日本としては面倒な事になっただろうな」


「だからその前に暗殺されます」


「やるな。どこが? いや、誰が殺る?」


 お父様な祖父が妙に元気になった。口もとにはうっすら笑みすら見える。やっぱりこの人、謀略好きだ。

 私も思わず苦笑が漏れる。


「関東軍の河本大佐。今はどういう役職か知らないけど」


「河本かぁ。で、奴はどうなる、銃殺は流石にないか」


 私の言葉にお父様な祖父が破顔して大きな声をあげる。

 そしてグイッと私の方に身を乗り出す。私はそんなお父様な祖父に気圧されつつ答えを返した。


「予備役編入だったと思います。そして処分が軽いので、その後の陸軍の一部の者の暴走に歯止めが無くなり、日本の政治と陸軍は混乱するようになります」


「綱紀粛正を怠れば当然だな」


 それまで黙って聞いていたお兄様が厳しいお顔だ。

 だから私には言うべき事があった。


「それは当然なのですが、もう今話した前提が全部無くなりました。正直、この後どうなるのは私には分かりません」


 さあ、どう答えるんだろう。

 私の言葉に対してお兄様の表情は冷静だ。


_____________________


上海クーデター (シャンハイクーデター)

一応ひとつにまとまっていた国民党と共産党が仲違いして、蒋介石が国民党の権力を掌握した事件。

とはいえ、国民党も蒋介石が建てた国民政府を樹立し(南京国民政府)と共産党を受け入れている汪精衛(武漢国民政府)と対立するようになる。

共産党での毛沢東は、この頃は有力者の一人程度。



山東出兵 (さんとうしゅっぺい)

山東出兵は、大日本帝国が1927年から1928年にかけて、3度にわたって行った中華民国山東省への派兵と、その地で起こった戦闘。



張作霖 (ちょうさくりん)

この後も出てくるので割愛。

爆殺事件は、エンターテイメントのような鉄道ごと五体バラバラじゃないぞ。

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