第108話 飛ぶ鳥を落とす

 九条 耶宵。知っているさ。揺篭オーファニッジ最年長の19歳。今は27か。第三ベッドルームの室長、作戦における総指揮者。

 そんな誰もが震え上がる歴戦の狙撃手スナイパーが、今も生きてこうしてレンズ越しに睨みをきかせているのか。

 アイツは木知屋から厚い信頼を置かれていた。だからこの大規模な襲撃について、なにか重要な情報を握っているのは間違いない。


「...乾、コイツを頼めるか。」


「俺の獲物や。邪魔立てする気ィないんやったら黙って木知屋なりなんなり探したらええ。」

「お前から斬ってまうで。」


 殺る気は十分だな。怒りと狂気にかっ開いた瞳孔を向けられ、精一杯冷静さを取り繕う麗。

 弾を斬り落とすなんて芸当ができるんだ、放っておいても時間の問題だろう。俺は側に転がっていた死体に乗っていたライフルの、飛び出した銃身を踏んで跳ね上げキャッチする。

 そして、スコープの反射光を頼りに牽制のため乱射しながらビルの陰へ飛び込む。

 あの屋上まで辿り着くにはこうして遮蔽物を経由しなくてはならない。愚直に突っ走ったところで狙い撃たれるだけだ。


 と言っても、身体を出せる隙はわずかしかない。高所に陣取り広い視界を確保している狙撃手スナイパー相手なら尚更だ。

 なら、屋内を通り抜けてやる。隠れていたビルにある手近なドアの蝶番を撃ち抜き、中へ突入する。

 階段を全速力で駆け上がる。やはり時期が時期。人は残っていないようで助かった。

 だがエレベーターが動いていないのは失策だった。即興で考え出したこの作戦を実行するには、結構な階数を上がらないと意味がない。


 数十階まで来ただろうか、屋上までは上れず息が切れてしまう。焦るな。滾る身体の火照りを自分の物にするんだ。

 だが時間がない。物理的に冷やしてやるか。俺は目についた自販機の前に立ち、穿傀を斜め上から振り下ろす。


「....これでいいか。」


 さすがの切れ味だ。フレームやパネルごと両断された中に転がっているスポーツドリンクのペットボトルを掴み蓋を開ける。

 口をつけボトルをぎゅっと握り、中身を半分近く浴びながら胃へ流し込む。さっきまでかなりの時間ミ=ゴや揺篭オーファニッジ構成員と戦い続けていたから喉が渇いていた。


「....っ、あぁー...」


 チャージ完了。これから救われる死ぬはずだった命が守られるんだ、自販機の一つくらい恨んでくれるなよ。ここの人。

 歩きながらライフルを撃ち、壁一面に広がる窓ガラスを粉砕。向こう側にはまた別のビルの窓が見えている。

 移動する上で生じる隙を最小限まで消し去りゃあいい話だ。、間を置かず。

 深呼吸し、頭を振り髪についた水滴を払う。助走をつけるべく数歩後ろへ。


「....ッしゃあッ!!」


 力の限り床を踏み切っていき、縁のギリギリから一世一代の大ジャンプをかます。こちらに向け放たれた九条の弾丸が、頬をかすった。

 飛び移れる算段はあった。だが抱えているライフルの重量が祟ったのか、ギリギリのところで届かない。

 思わぬ誤算に視界が揺らぎスローモーションになるが、走馬灯などまだ流させない。食い止める手立ては既に片手に握っている。


「プランッ、Bビーィイィイだァア!!」


 ビルの外壁に、逆手に持った穿傀を突き刺す。今し方鉄の塊を切り裂いたばかりの鋭き刃は深々と中程まで入り込み、容易に俺の体重を支えてくれた。

 そのまま隣接していたガラスを膝で割り、ライフルを中へ投げる。そして穿傀を引き抜きながら、空いた手を窓枠の縁にかけて中へ転がり込んだ。

 死を一つ乗り越えた感覚に、全神経が昂り興奮しているのがわかる。


 なら、この勢いを維持しよう。重荷となるライフルを投げ捨てて、体当たりで窓ガラスを突き破る。

 さらに次々と向こう側へ。飛ぶ。転がる。再び飛ぶ。飛び移る階層をその都度変えて、的をひたすらぶらし続ける。

 これを繰り返しているうちに、鋭利な欠片が皮膚を裂き、いくつも傷を作った。

 だが高揚していく精神にとっては、そんなもの大したことではない。そして、ようやく九条のいたビルの隣まで来た。


 隔てられた外界で繰り広げられる騒乱をよそに、屋上までの階段を上がっていく。今もなお殺戮はそこら中で続いている。

 爆音と悲鳴が入り乱れるこの環境下では俺の発する銃声や、ガラスが割れる音など子守唄のようなものだ。

 目的地となるビルは、憶えている限り今いる場所よりも少し低い。すっかりエンジンが温まったこの身体ならどこへだって飛べる。


「....すゥーーッ。」


 鍵の掛けられたドアを蹴破って、寒気が身を撫でた。迷う前に最後の跳躍を始めよう。

 助走。縁に足をかけ、バネが弾け飛ぶようにジャンプする。浴びる風に全身を冷やされながら、空中で着地点の屋上を見た。

 そこには誰もいない。しかしながら狙撃銃スナイパーライフルだけが立て掛けられそのままにされている。


 一抹の不安が過るが、跳んでしまった以上後に退けない。どのような結果が待ち受けていようとも迎え撃たなければ。

 着地まであと数メートル。その瞬間、階段を囲う小部屋の陰からなにかが飛び出した。

 それは受け身を取ろうとする俺の目の前に飛来する。あまり手にしたことはないが見覚えはある物。その脅威も知っている。

 円筒に穴の空いた形状、外れていく金属の細いレバー。願わくば残っていてほしかったピンは、しっかり抜かれていた。


「やられ───ッ!!」


 スタン・グレネード。マグネシウムを主とした炸薬を点火させ、相手の行動を麻痺、一時的に無力化させることのできる非致死性の爆弾。

 眼前で炸裂する、凄まじい閃光と大音響。思わず耳を塞いでしまい受け身は疎かになり、床に投げ出され身体を強かに打ち付ける。

 初めてコレをまともに食らった。視界に光が焼き付いて周りが全く見えず、音による周囲の確認も儘ならない。


 なんとか体勢を立て直すことはできたが、グレネードを投げた張本人の姿をまるで認識できない。自分がどこを向いているかさえも。

 盲目のまま刀を滅茶苦茶に振り回す。当てるつもりはない、接近させないためだ。

 2、3秒が経過し目が少し慣れてきた頃、黒い光の残像の背後に隠れた人影を認識した。なにかを振り上げたのに応じて、刀で受ける。

 衝突した刃から火花が散り、顔が一瞬照らし出される。月日を少しは感じさせるが、あの時の面影はバッチリ残っていた。


 力を込めて身体を押し返すと、そいつは軽快なバックステップで距離を開ける。

 辿り着いた屋上。そこに立っていたのはやはり九条 耶宵。コンバットナイフのような形状を持つ長大な片刃のブレードを手にしている。


 それに対し、刀を正眼に構えて対峙する。闇の下、俺は目の前に立つ強者の放つオーラを五感で感じ取っていた。

 あの頃は確かに狙撃の腕にビビらされていたが、今はどうだろうか。かつて格差を生んでいた記憶の残滓が、今更にも足を引っ張って気後れさせる。


「...九条。」


「随分見ない間に、すっかり牙を抜かれたようだな。橘 睦月。」


「生え替わったと言ってほしいね....」

「聞きたいことが山ほどある。まずはお前らの計画についてを、洗いざらい話してもらう...」


「得意の力押しで奪ってみたらどうだ?あれから少しは成長したんだろ?」

「一度お前と仕合ってみたかった。お前に勝てば、私はもっと強くなれる。」


「流石はエリート様、向上心の塊だな。そんで褒めてもらえます、ってか....」

「.....だったら、身をもって確めろ!!」


 先制を取りに行く。身を翻すフェイントをかけた下段からの振り上げ。

 渾身の一撃だったが、防御を合わせられあっさりと弾かれる。そのまま間髪入れず手首を返した九条が刃を振った。

 続けて流れるような連続攻撃。跳ね返しても跳ね返しても、その度速度を増した刃がこちらへ回ってきてしまう。

 コイツ、受け流した衝撃と遠心力を利用してやがる。分厚く幅の広い重量のあるブレードと体格によるリーチの相性が半端じゃない。


 変幻自在の立ち回りにいつの間にか防戦一方。回避を続ける内に俺は屋上の端まで追いやられてしまった。

 持ち合わせたフィジカルだけはどうやら五分五分らしく、残るはテクニックの勝負となる。

 次に押し切られたら今度こそ地上へと真っ逆様。背水の陣での鍔迫り合いが始まった。

 だがこれはただの押し合いじゃなく、どちらが先に打開策、あるいはトドメの切り札を繰り出すかの駆け引きだ。


 だが俺にはある。九条を含む俺を知っている揺篭オーファニッジのメンバーはきっと、俺の得物が刀だけだと思い込んでいるはず。

 何故なら俺は今まで、一時的な鹵獲という例を除けば飛び道具を使ったことがほとんどない。身体能力のアシストだけを頼りに近接戦闘を挑むスタイルだったからだ。

 だからこそ、それを知っている相手であるからこそ、突ける意表がそこにある。俺は刀で受けたブレードを横に逸らしてから、九条のカウンターが回転を終える前にコートの懐へ手を突っ込んだ。


 過去に橘から譲り受けてからほとんど使っていなかった45口径拳銃、M1911ガバメントを引っ張り出す。

 これが俺の切り札にして、大博打。大して撃ってきた経験のない俺の腕はたかが知れているだろう。

 意識を少しでもこの意外性へ逸らせればそれだけで構わない。こちらのペースに持ち込むきっかけがなければ、互角の勝負すらできない。


「食らえ...ッ!!」


 ブレードを振りかぶった九条目掛けて引き金を引く。久方振りに受ける反動リコイルが強く掌を打ち、銃口が跳ねた。

 だが、命中しない。的は絞った視界の下へ潜り込んだ。ブレードを当てる寸前で引っ込め、背中に背負うような形でその場に屈んでいたのだ。しかも股割りで。


 九条は器用なことに、そのまま両膝を滑らせ軸を切り替えながら身体を回転させる。さらに同時にブレードを動かしており、シーソーのように常にこちらを向く刀身が盾となり数発の弾が甲高い音を立てて落とされた。

 慣れない銃口管理マズルコントロール。動きに合わせて狙いをつけても、半端な腕ではてんで当てられないだろう。

予備の弾倉マガジンも持参していない。少ない弾を無駄に消費するだけだ。


 残弾はあといくつだ。その計算も、追撃を果たすこともできないまま二つの銃口が向き合ってしまう。

 いつ取り出したのやら、ブレードを肩に担いだままもう一方の手に握られた拳銃。一切の焦りを感じさせない涼しい表情。状況は振り出しに戻った。


「なかなかやるな。」


「テメェ....!」


「ガッカリしたか?アテが外れた、というような顔をしているぞ。」


「....ほざいてろ。」

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