第95話 驀地のサイコロ

「どうした!?」


「ヤ、ヤバイ...ッ!コイツ、拒絶反応が半端じゃない!ほんの指先だけなのに...内側から大量に針でも刺されてるみたいに痛え...!」

「申し訳ない、えー、喜多さん。大きめの容器か何かあればお願いできますか...」


「また...?....わかったよ。」


 出ていった喜多さんが、アルミバケツを手に戻ってくる。舟矢曰く、紋様のない部分を避けるため内側から融かし吸収しようとしたところ、魔術を消滅させる効果と衝突して体内で大きく暴れたらしい。

 その際にとんでもない痛みが伴い、自身に取り込んでから「心臓」として与える方法は不可能と判断された。


 そのため、本来MECでは幹部相手のみに与える、液体金属が欠乏した際の緊急補充手段の確保のために行っていた、別容器に舟矢が融かした金属を注いだものを心臓の所有者が直接飲み込むという方法を取ることになった。

 融かすだけならさっき程の痛みはなく行えるらしいが、それでも大きなダメージは免れないそうだ。まずは俺が、ベースとなる「心臓」を得なくてはならない。


「まずは心臓を与える...不破、動くなよ。」


 呪文が唱えられ、舟矢が俺の左胸に掌を当てる。すると、暖かな何かがじんわりと染み込んでくるような感覚がやって来た。

 それが数十秒の間続く。やがて掌が離されると、舟矢は「心臓」の受領が完了したという。肩透かしなことに、これといってなんの苦もなかった。


「よし、やるか...ここからが大変な作業だ。」

「...課長さん。その前に、一つ相談がある。」


「...ん、なんだ。」


「...もしかしたらの話だが、俺はこの刀を融かす過程でこいつに腕を砕かれるかもしれない。それだけの負荷を有するんだ。」

「こいつを融かす代わりに...俺を特殊事象対策課に入れてくれないか。」


「...なら、お前は課にとって、有益なものを残してくれるんだな。」


「...ああ、約束するよ。」


「わかった。だが書類のサインは後でキッチリ書いてもらう。」

「そして、裏切るような真似をしたら今度こそ頭を吹き飛ばす。その覚悟をしておけ。」


「ハハ...これはね...それじゃあ、始めるよ。」


 刀身に指を当てた舟矢が、片腕に集中させて全霊の力を込める。心眼はメキメキと不気味な音を立てながらも徐々に形を失っているが、その融け方は異常だった。

 ドロドロと垂れ流されていくのではなく、トゲの集合体のような形になったり、多角形になったり、まるで新しい生物のように蠢き歪んでいる。


 そして、浮き上がり空中を蛇のように這いながら、ゆっくりとアルミバケツの方へ入れられていく。

 しかし舟矢の方も限界が近い。身体がぶるぶると震え始め、発する唸り声はまるで獣。腕に走る銀色の筋がいくつも逆立って皮膚を突き破り、血を流させている。


「ッ...!!アァアアアッ!!」


 発した叫びと共に、遂に刀身が融けきった。舟矢は仰向けにばたりと床に倒れ込み、腕を押さえながらぜえぜえと呼吸をする。

 バケツの中に入った液体の心眼はうねりのたうち、小さく飛沫を上げている。量は大したことはないが、これを今から飲み込むのか。


「舟矢!無事か!腕はどうなった...!」


「思った、よりは...無事だ。前腕の骨にヒビが入った程度だな...」


「もう十分だ、戻って休め。喜多さん、医務室へ連れていってやってください。」


 舟矢が喜多さんに肩を借りて、個室を後にしようとする。しかし舟矢は息を切らしながら振り返り、汗を滴らせた怪訝な表情をして俺に忠告する。


「不破、いいか...ソレを体内に入れるってことは、俺でも予想のつかないほどの苦痛に耐えなくてはならないってことだ...」

「ショック死もあり得ない話じゃない...気を付けろ...」


 そしてそのまま、二人は出ていった。俺は残されたバケツを持ち、中身を見つめる。

 依然中身は逃げたがっているようにバケツの中を流動していて、とてもこれから飲み込むとは考えがたいような代物だった。

 ここまで来たんだ、覚悟を決めろ。例えどんな痛みだろうと、アイツへの決定打となるならば安いモンだ。


 縁に口をつけると、中身が視界に入る。それは無数に寄り集まったハエトリグサのような形に変形しており、口を開いてゲタゲタと笑っているように見えた。

 思わず、ウッと声が漏れそうになる。上等だ、内臓全部食い荒らされようが、立ち上がってやろうじゃないか。

 勢いをつけてバケツを呷り、口から喉へ液体化した心眼を流し込んでいく。嚥下する度に強烈な鉄の臭いが鼻腔を満たした。


 吐き気をこらえ、空になったバケツを床に投げ捨てる。口内に張り付く鉄臭さを除けば今のところなにも起こっていない。

 しかし、徐々に鼓動が早まっていくのがわかり、四肢に痺れるような感覚が訪れる。

 そんな違和感を感じた、その瞬間。


 俺は床を転げ回り、絶叫した。脳天から足の爪先まで、全身のありとあらゆるところに激痛が走っている。

 固まっていたはずの意志が粉々に吹き飛んでしまった。誇張でなく、それほどのインパクトを宿した痛みである。

 この世に存在する全ての種類の痛みに一挙に襲われたかのようだ。筋肉の繊維をフォークのようなものでボロボロにされ、血管や神経の中では電動ノコギリが暴れている。


 こんなに瞬間的に涙が出ることがあっただろうか。もはや反射といった速度だ。

 叫びに開きっぱなしになった口からの垂涎も構わず、痛みで痛みを掻き消すべく腕や頭を壁に叩き付けまくる。

 不毛だと頭ではわかっている。だが逃れようとする行為を身体が勝手に行ってしまう。


「嫌だ...ッ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だァア!!!殺して...殺してくれ...!!」


 そして俺は、部屋の端に寄せていた穿傀のところへ転がるように走った。痛みを排斥したい気持ちがピークに達したのだ。

 例え首を掻き切ってでも、眼をほじくり出してでも逃れたかった。本来の目的も忘れ自殺に踏み切ろうとする俺を、橘が後ろから羽交い締めにする。

 今の俺は力の加減がまるでできない。邪魔者を排除しようと、自身を捕らえる脇腹に何度も肘を打ち付ける。


「殺せェエェッ、殺シ...ッ!!殺シテクレェエェエエッ!!!」


 なんだ、この声。俺の喉から俺の意思で発されているのに、自分の声じゃない。低くリバーブがかかったような不気味な声だ。

 それは炯眼に身体を乗っ取られた時、頭の中で俺を絆そうとする声によく似ていた。もう俺は、なにかに取り憑かれでもしているのか。

 ジタバタと暴れる俺の攻撃を受け続け、その度に呻く橘。それでも拘束は解かれなかった。


 希死が、生存の意思に勝っていた。俺は殺してくれと絶叫する。こんな痛みを味わい続けるくらいなら、死んだ方が何倍もマシだ。

 もう復讐とかどうでもいい。木知屋なんかどうでもいい。誰が生きようが死のうが知ったことじゃない。何もかもが眼中から離れていく。

 頼む。頼むから殺してくれ。解放させてくれ。もう許してくれ。


 何かが、見えない何かが。俺の心臓をわしづかみにしているのを感じるんだ。爪を食い込ませている。このままじゃ握り潰されてしまう。

 もしそうなったら、絶対に駄目な気がする。明確な理由はわからない。ただ漠然とした恐怖だけが迫ってくる。

 力が込められていく。ゆっくりと、俺を弄ぶように焦らしながら。

 放してくれ。もう潰されてしまう、その前に自分で命を絶たなければいけないんだ。ああ、動脈が今にも裂け始める。


「アアァァアアァ....!!!」


 しかし、絞り出された醜い唸り声。それを最後に痛みはぱったりと止み、脳内がリセットされたようになった。生還したんだ。

 だが俺は、なんてことを口走っていたんだろうか。内容は記憶に確かに残っている。橘を肘で滅多打ちにした鈍い感触も。

 荒く、過呼吸気味になる息を整え、俺は橘を助け起こそうと後ろを向く。

 すると、頭の中で今にも消え入りそうなしゃがれた声が聞こえてきた。


『お前の器も、道連れにしてやる』


 次の瞬間、俺の胸の中でくぐもった、なにかが弾ける音がした。さらに、苦痛と共に口から大量のドロッとした血液が吐き出された。

 状況を把握できないまま、強い痛みを放つ左胸に触れる。鼓動が、ない。

 そのまま膝をつき、血溜まりの上に崩れ落ちる。まさか本当に心臓をブッ潰されたのか。

 意識が素早く遠退いていく。折角、耐え抜いたのに。やりやがった。クソッタレが。


 俺は、死ぬのか。このまま、自分の武器にするはずだったものに殺されて。

 橘が俺を揺さぶり、必死に叫ぶ声だけが聞こえる。それに応えることはできない。

 身体が温度を失っていき、闇が見える世界を支配していく。確か、寒いって、言ってたな。血を全部流しきって死ぬ感覚ってのは、こんな感じなんだな。

 死んだら死んだで、か。俺は目を閉じて、運命を受け容れる。


 尊、俺わかったよ。お前の痛みが。すぐそっちに行くから、動画の件は怒らないでくれよ。

 二度目を見れていないのが、少し残念だが。

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