最終章「レソロジカの挽歌」

第93話 マイナスゼロへ

 膝から崩れ落ち、街中、人目も気にせず。俺は動画の再生が終了したスマホを抱えて慟哭の声を上げていた。

 ただの興味本位でスクロールして、気づいてしまったんだ。今日は、12月25日だった。俺の誕生日。感情をどこへ遣ったらいいかがわからない。

 画かれ、面と向かってその快活な笑顔を見てしまって、喪失の実感が湧いてきた。


 尊の死を目の当たりにしても、俺は涙を流さなかった。何故かって、気づくのが怖かった。

 俺がここまで人としての道を外れ、転がり落ちた一歩目はそこにこそあったのだろう。ただの、逃避だった。

 認めたくなかった。そうすれば俺の中にあるなにかが壊れて二度と人でなくなると、脳ミソが急ブレーキを掛けたんだ。


 しかし俺は今、哭いている。溜めに溜めたものが溢れ出てきている。手に握っていた炯眼の斑な黒ずみもいつの間にか消え去り、元の心眼に戻っていた。

 ボロボロと剥がれ落ちた真っ黒な粒子が風に流れ、どこかへ消えていく。同時に、虚構を捨て去ったような、肩の荷が下りたような感覚が現れた。


 お前らは、許すというんだな。ここまで人間性を失ったこの俺を。そうか、だったら報いなければ、いよいよ後がないな。

 俺には、まだ仲間がいたんだ。例えもうどこにもいない心だって引っ張ってきて、繋ぎ止めてくれる仲間が。

 もう望む朝は来ない。望む光は見えない。それでも、泥臭くたってもがいたって、命を懸けて本懐だけは成し遂げてみせる。


「盛夏、俺の罪は...どうやったら償える?」


「多分、それはもう無理でしょう。アンケートでも取ってみます?皆が皆、不破さんを非難すると思います。」

「でも私たちは、真実を知ってる。大事なのはそこなんですよ。」

「表面だけの事で決めないで、皆が決めるに歯向かったって、私は少数派でありたい。」


「いいのか...お前は、兄や、尊との...普通の日常を望んでたんじゃないのか。」

「戦いに身を投じてまで、お前は...!」


「...いいですか?私だって、心から怒ってるんですよ。」


 すると盛夏は、俺の連続殺人の裏で行っていた自身の行動を明かした。それは、痛みによる尋問の繰り返し。

 知られざる事実だった。盛夏は、俺が木知屋を捜すのと同じように、不良連中に対し片っ端から暴力によって尊の居所を聞き回っていた。

 さらにそれが発覚したことを切っ掛け、踏み台にして、罪の放免と引き換えに非正規課員N-Rとなった。

 尊のためになりふり構わなくなっていたのは、俺だけじゃなかった。


 だが尊はあの公園で四季に殺されたはずだ。もう特事課もその事実に気づいていただろう。ならなぜ盛夏がそのような行動に走る?

 その理由を尋ねると、盛夏は視線を逸らして語った。俺があの雨の日、公園を立ち去った後の調査では、現場には尊の血痕のみが残されていたという。

 四季と坂田、バラバラになった石動の死体はそのままだったらしい。だが尊の死体だけがどこにも見つからなかった。


 誰がそうしたのか、何故そうなったのかを考える前に、また沸々と怒りが沸き起こる。あれだけ苦しめられ命を落としたというのに、まだ尊は安らかに眠りにつけていないんだ。

 そんなことが許されてたまるか。強く熱を持ち動き出した、澄んだ闘争の心を感じる。突き刺した心眼を支えに立ち上がる。


 だが求めるものは違う。失くしたものは、いくら嘆いても取り戻せないんだ。

 とはいえ、悲しみは確かにある。俺がこれから戦う理由は、人間を捨てる前の最後の弔いのため。復讐なんて結局のところ、何も生まないと知った。

 木知屋を殺せたとして、後には何が残る。元の平穏か、心の安息か。そんなものはない。

 家族だろうと仲間だろうと、、と割り切れないと、俺は課に身を置くことはできないだろう。


 だがそれはまだ先に延ばそう。俺が全てを終わらせるまで、どうか見守っていてくれ。

 俺はもう少しだけ、お前の兄でありたいと思ったんだ。だから最後の、心のこもった殺しは木知屋のために取っておいてやる。

 紆余曲折を経て、ここに来ての原点回帰。世界の脅威を除くためただ使われるだけの、道具に過ぎない存在。

 もっと早くそれに気づいていればこんなに傷つかないで済んだのにな。俺は最初から、そういう目的で拾われたんだから。


 名誉も地位も、愛も、金も権威も、なにもかも要らない。一度課した己の責務から逃れることは許されない。

 俺は歩き出し、盛夏にスマホを返却しようとする。しかし、寸前で手が止まってしまう。

 我ながら未練がましい奴だ。今でこそ俯瞰して見ているが、俺が尊を愛した気持ちには偽りはなかった。

 死神でありながら、人の死から生まれる悲しみを背負うことを止められない。しかし持って生まれた考えはどうしようもない。


 いくら命懸けで守りたい大切な人でも、数が増えれば、守りきれない。俺は欲張ろうとして、そのほとんどを失った。

 ならば心に残るたった一つの真の愛、それだけでも側に置いておきたい。

 手元の画面に視線を落とす。赤面しながら、必死にカメラを止めるようこちらに迫る可憐な姿が映っている。

 もう二度と会うことはできない。しかしいつまでも悲しんではいられない。俺はスマホをようやく、盛夏へ手渡した。


「....なぁ、盛夏。その動画、あとでこっちに転送してもらえないか。」


「...何回も再生するなって、言ってませんでしたっけ。」


「いいんだ。俺が死んだ後で、あの世でたっぷり叱られてくる。」

「それと、話は受けるよ。俺は課に戻る。」


「わかりました。橘さんに連絡しておきます。とりあえず、帰りましょう。」

「...状況終了。回収をお願いします。」


 盛夏がマイクに向かって、終了を通知する。すると間も無くパトカーがやってきた。

 拾った鞘に心眼を納め、後部座席に乗り込むと兄妹がその両脇に座る。これじゃあまるで護送だな。確保には違いないが。

 細雪が降り頻る道を進む。窓の外に流れる景色、電飾、家族連れやカップルの群れ。


 それらがどうしてか、羨ましい。しかし手が届かないとわかった上で抱く羨望は、とても虚しいものだ。

 俺は未曾有の脅威となる存在から人類を守るために備えられた、武器のうちの一本。あの人々が隣の大切な人を失う痛みを知ることがないよう、日夜闇を駆け回る。

 命の取捨選択は、俺達の特権だ。ならばせめてそれを無駄に遣うことのないように、絶対に逃げないことを誓う。


「...着きました。」


 ボーッと外を眺めていたら、パトカーはいつの間にか警視庁前に着いていた。運転手に頭を下げ、降車する。

 事務所へ向かう道すがら、刑事たちから向けられる視線が、久々だからか、より突き刺さるようだ。

 だがそれでも耐えなくてはな。礎として生きる以上、この程度の蔑みは仕方ない。


 事務所へ入ると、橘が待っていた。そして宗谷兄妹に深く頭を下げると、シールで封がされた手提げの紙袋を一つずつ渡し、何度も礼を言いながら二人を帰らせた。

 静寂の中、向かい合う。気まずい沈黙が流れ、いつ謝罪するかのタイミングがどんどん遠ざかっていく。


「....本当に...」


 意を決した俺が謝罪の言葉を述べる前に、橘は俺の肩を抱いた。やや乱暴に、両腕で力強く。

 赦してもらおうなんて思ってなかった。何人もの無辜な人間を、自らの復讐のために殺したというのだから、息子として殴られる覚悟を決めていた。

 この男は、俺よりも数多く人間の死を目の当たりにしてきたはずだ。悲しみに鈍感になっていても不思議じゃない。妻子だって失っているんだ。


「良かった、本当に...お前が無事で...!!」


 それでも俺の非を認めた上で、包み込む微かに震える手が、肩に食い込むようだ。この男が持つ父親としての確かな心が、その震えと言葉から伝わった。

 やはり血は争えないのかもしれない。俺の尊を捨てきれない甘さは、きっと父親譲りのものなのだろう。


 でも、悪いな。自分の責任は自分で取らないといけないってことは、アンタが一番よく知っているはずだ。

 少し見ない間に、俺は変わったんだよ。俺だってできればアンタを失いたくないし、この時間に水を差す真似もしたくない。

 それでもやることがあるんだ。だから、再会を喜ぶ暇なんてない。


「...尊は...どこに行った?」


「.........まだわからない。おそらくは、揺篭オーファニッジが死体を持ち去っていると見てる。」

「あと...お前に見せないといけないものがあるんだ。来てくれ。」


 橘は、俺の肩を掴む手を若干名残惜しそうに離し、引き出しから、赤いリボンが巻かれた小さな箱と蝋で封がされた一枚の便箋を取り出してこちらに渡した。

 箱は尊の遺品整理をしていた際に見つかったもの。便箋は「木知屋 六」の名義で送られてきたものだという。

 俺は二つを交互に見ながら少し迷って、便箋の封を切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る