第90話 面倒事
そこからは、柊木がひたすら自分についての話、もとい愚痴を垂れ流す時間になっていった。なんでもキャバ嬢をやっているのは、消えた元カレの残した借金を返すため。
自らのお人好しに従い他人に尽くし続けてきた結果、破滅への道を転がり落ちていったというような感じの話だった。
柊木にキャバ嬢という道を進めたのは、金貸しのヤクザ。法外な利息を請求しにここへ押し掛けてくることも多々あるらしい。
ふと我に帰ると、この状況が馬鹿馬鹿しくなってくる。一方的に話しながらビールを四本も空け、すっかり泥酔状態になった柊木が寝こけながら俺に寄りかかる。
寝息、肩に垂れそうになった涎をかわして、そこら辺に落ちている服を布団代わりに身体にかけておく。
ベッドは見えたが、そこまで運ぶのも面倒だ。探し出した電灯のスイッチを切り、衣装ケースが積まれた壁に背中を預け目を閉じて眠りに就く。
...........
次に俺は、困惑する柊木の声で目を覚ました。あたふたと歩き回りながら、頬に手を当てて焦り思案しているようだ。
顔の赤らみも消えている。どうやら酔いは覚めているらしい。
「お、起きた...?」
「君...昨夜私に家まで引っ張られた...よね?」
「はあ...?ああそうだよ。泣きながら来いってごねるから仕方なくな。」
「あのまま騒がれてたら通報モンだった。お前、さては酒で記憶飛ばしたな。」
「あぁ...またやっちゃった...!」
改めて互いの名を教えてから、柊木はまた発生したのであろうこの状況についてを恥の滲む赤面で説明した。
これは柊木の酒癖と献身の心が化学反応を起こしたために出来る状態で、酔った状態で困っている人を見つけるとこうなるらしい。
意味がわからない。そしてこれまでに酔っているうちに三人連れ込み、一人に財布を盗まれ、一人に裸を撮影されそれをダシに恐喝されるという実害も発生しているという。
しかし記憶に残っているはずの奔放で大っぴらな感じはどこへやら。すっかりおとなしくなってしまっている。
「私になにもされてないよね...?えっと、睦月君...」
「...幸いなことに。ベロベロになりながらダル絡みされた以外じゃあな。」
しかしながら酒を飲むのはホステスとして致し方ないことであり、ヤクザ相手に強要されていることだから飲酒を完全に断つことはできないと嘆いている。
俺は一応潔白を証明するために持ち物を見せようとした、その時。玄関のチャイムが怒涛の勢いで鳴らされた。
「うっわ...今日利息の返済日だった...!」
「どうしようどうしよう...ちょっと待ってて、すぐ終わるから...!」
壁にかけられた時計を見ると、正午を過ぎてしまっていた。こんな時間まで寝る羽目になったのはコイツの身の上話がやたらと長引いたせいだが。
柊木が昨夜の格好のまま玄関へ飛び出していき、なんとも無作法な訪問者と話を始める。こちらまで聞こえてくるほど張り上げられた男の声に、柊木は常に消え入るような声で返していた。
一際大きな怒号が響き、柊木が微かな悲鳴を発した時、俺はすぐに自分のコートのポケットをまさぐり始めていた。
そこから、昨日殺したヤンキー集団から剥ぎ取ったいくつかの財布を引っ張り出す。手早く中から集めたありったけの札を握って、玄関へ向かう。
そして柊木と、人相の最悪な男たちの間に割って入り、手にした金を雑に突き出す。ベクトルは違えどクズ同士、繕うまでもない態度なんてたかがこんなもんだろ。
男たちはスーツを着ていた。早速現れてくれるとは、幸先がいい。
「あ?なんだ柊木、お前いつの間にガキこしらえたんだよォ!」
「客のガキか?それとも援交相手かァ?」
爆笑が巻き起こる。いたたまれない表情をして俯く柊木をよそに、俺はそのまま金を渡す。
「睦月君、そのお金...」
「お前は黙ってろ。ほら、利息分だ。とっととそれ持って失せやがれ。」
「へぇ、カッコイイねェ~!借金まみれのママ救おうって、必死にバイトでもしたのかな?」
「テメェらで勝手に想像しとけ。」
数人の真ん中に立ち煙草をふかす男が、受け取った金を数え始める。そしてその内いくらかを抜き取ると、残った分を柊木にぶつけ、落ちた金を拾う俺をバカみたいに笑いながら去っていった。
なぜ俺がこんな思いをしないといけないんだろうか。他人の事とはいえ、目の前でこうもまざまざと見せつけられては流石に腹が立つ。
だが俺には、これから腐るほど時間がある。このまま特事課から逃げ続けていられればの話だが。
五日ぶりくらいになるか。他人のために人を殺しに行くのは。
まったく、こんなに高そうなプレゼントが家中に溢れてるってのに、質に入れようとも思わないお人好しが。
俺が人殺しを脱却、とまでいかずとも。今まで持っていた多少の人間性を取り戻すのなら、ここがチャンスなのか?
どっちでもいいか。どうせあのヤクザ共には大事な用事ができた。
強制的な情報提供の相談と、この向ける先のない矛を仕舞う場所を奪い取る用事が。
俺は今にも泣きそうな顔をしながら立ち尽くす柊木の腕を掴んで、拾った金を手に握らせ目を合わせながら話す。
「おい、柊木。さっきのヤクザ共の事務所ン場所教えろ。知ってるだろ。」
「知っ、知ってるけど...どうするの?」
「決まってんだろ。通報してやるんだよ。あんなクソみたいな借金、返す義理ねェ。」
「この金は情報料ってことにしとく。俺はすぐに出る、早く場所メモかなんかに書け。」
柊木は困惑しながらも引き出しから取り出したメモ用紙にボールペンを走らせ、住所と事務所の見取り図を書いてくれた。
ここからはやや遠いが、歩くには苦じゃない距離だ。それに逃げ足は速い方だからな。
目的の真偽を問おうと必死にこちらを問い詰める柊木を無視して、俺は炯眼を背負い玄関へ向かう。どうせもう会うことはない。
問いかけは答えられない、元より答えるつもりのないことばかりだったが、最後にようやく返すことが出来る質問が来た。
「心配だから...もう一回だけでいいから...」
「...顔見せに来てね...?」
「考えてやるよ。」
ドアを閉め、冷ややかな日差しに見下ろされながら路地を歩く。妙に足取りが軽い。
一時的ながら目的がハッキリしているからだろうか、それとも一つ溜飲が下がる確証を得た胸の高鳴りなのか。
俺はただ殺すだけだ。それしか能のない、下の下まで転がり落ちた人間だ。
血でのみ洗い流すことの出来る傷も、灌ぐことの出来る罪も、確かにどこかにある。
通り過ぎる風景が、昨日よりも鮮明に見えた。きっと俺はもう、歓びを復讐にしか見出だせないんだろう。
そんな俺でも、この青空を美しいと感じ、耳を撫でる小鳥の囀りを綺麗だと感じ、今までの日々を尊いものだと感じることはできた。
取り戻せなくとも、形だけは元通りにしてみせよう。血濡れのこの手にかけて。
ようやく到着した。駐車場まで設けている、下卑た身分には不相応な事務所。
今からブッ潰しに行く。遠目に見た表札には、「
エントランス前には見張りが二人。まずアイツらから殺るか。しかしよく見れば、片割れはさっき取り立てに来ていた奴らのうち一人と同じだった。
警戒されるだろうが、気にしていられるか。ポケットに両手を突っ込み歩いていくと、顔を合わせたことのある金髪の方が向こうから声をかけてきた。
「あぁ?お前さっきのガキじゃん!ナニ、何の用?」
「そういやさ、多分だけどお母さんあの後泣いてたっしょ?写真撮ってやりゃ良かったぜ!ギャハハハ!」
それを落ち着いた様子で諌めている隣の組員。どうやらコイツは抜きん出て性格の悪いクソ野郎らしい。
今から見せてやろうか。薄っぺらさが板についたお前よりよっぽどどす黒い経験をして来た人間が、目の前にいるってことをな。
だから実験台になってもらう。力の探求に貢献できることをありがたく思いやがれ。
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