第59話 人喰いの館

────沖縄県某所。橘 丈一郎、藤波 志穂。


 ようやく辿り着いた。奴が言っていた住所の屋敷に。思っていたより広そうで、いかにも金持ちが住んでそうな感じだ。

 しかしここまでの山道を歩いてそこそこの体力を奪われてしまった。俺ももう歳か。

 飛行機を移動手段とする上警視庁には伝達できない現場であるため、拳銃を置いていく羽目になったのが心残りだ。

 あとで報告すりゃいい、なるようになる。あんなサイコ野郎なら、武器の代わりになるもんの一つや二つ簡単に落っこちてるはずだ。


 恐る恐る玄関の扉を開く。しかし意外なことに人の気配はなく閑散としている。埃とカビの臭いが漂い、古ぼけた掛け時計は半端な時間を指したまま止まっていた。

 部屋を手当たり次第に歩き回ってみるが、テーブル、本棚にも埃が積もり、居住はおろか何者かが立ち入った形跡すら見られない。

 すると、ずっとキョロキョロとなにかを探すような動きをしていた藤波が俺の肩を軽く叩いた。


「...ここ、見える?」


 指差した方向を見ると、木の床板にかかった埃の上にわずかに足跡が残されているのが見えた。踏み抜かれた部分は薄く、これを残した人間はおそらく体重がさほどない。

 俺達はこの足跡を追っていく。そして辿り着いたのは、書斎らしき一室。

 足跡は豪勢な刺繍が施されたカーペットの手前で途切れ、折り返している。


「捲るしか...ねェよな。」


「当たり前っしょ...ホラ、端持って。」


 勢いよくカーペットを引き剥がし、巻き上げられた埃にむせ返りながらその下を確認する。そこには金属製のハッチがあった。

 迷わず取っ手を掴み、重々しい音を立てて思い切り引っ張ると、下へ続く梯子が現れる。

 藤波は後だ、俺が先行する。このために買っていたペンライトを口に咥えて、ゆっくりと降りていく。

 全く、人を呼びつけておいて隠し部屋に籠るとは意地の悪い野郎だ。礼に殴る回数を一発増やしてやるぜ。


 降り立った地下室は、かなり薄暗い空間だった。しかし上とは違って生活感がある。ここで間違いなさそうだ。

 不気味なのは、最初に足を踏み入れたこの場所がキッチンだったことだ。至極不潔だが、ガスコンロやシンク、まな板まである。

 だがここで何が料理されたのは想像に難くなかった。ボウルに詰め込まれたままの粗挽き肉には大きな蝿が集っていて、すえた臭いを放っている。


 俺達は直感した。ここの主は間違いなく、人間の肉を食っている。まな板の端に雑に束ねて放置された黒い髪の束と抜き取られた歯がそれを証明した。

 赤黒いものが付着し、チカチカと切れかけた電球、本来並ぶはずのない糸ノコギリと出刃包丁のセット。取り巻く全てが異常の一言。

 まずは自衛の術を得なくては。しかし真っ先に目につく刃物キッチン用品はその状態から使うのは気が引ける。

 俺は壁に刺さった釘に引っ掛けられていたパイプレンチを取り、藤波はその隣のネイルハンマーを手にした。


 壁を見ると、レポート用紙がびっしりとセロハンテープで貼り付けられている。内容はほとんどが眉唾物、妄言としか思えないものだ。

 だがそれらには一貫して、「愛の存在を調べたい」という強い意志が滲み出ていた。

 俺はふと、端の方にまとめられた記述が目に留まった。それはあの男がカルト組織との関わりを持っていることを示唆していた。


 奴が崇める神の名は、「イオド」というらしい。異次元から現れて人間の魂を狩り立てることを愉楽とする存在だそうだが、その信憑性は皆無に等しい。

 何故なら俺は神の存在など一度も信じたことがなかった。ましてや先刻、突きつけられた惨状を目にしてその思いが強まったばかり。

 人の魂の力を見るのが好きだなんだと書かれている。随分と勝手な身分だな。


 奥に目をやれば、謎めいた雰囲気を放つ鉄の扉がある。木知屋はあそこに囚われているのだろうか。

 駆け寄り扉に耳を当てると、スパンの長い息遣いが聞こえた。すかさずドアノブを動かすも、鍵がかかっている。

 一刻を争う。鍵など探している暇はない。


「藤波、離れてろ...」


 俺はパイプレンチを握り、ドアノブ目掛けて何度も振り下ろした。衝撃がもろに手を伝播し痺れる感覚がするが、構わず叩き続ける。

 何度か叩くと接続部が折れ、扉は意味を成さなくなった。肩を使ってぶつかり、押し退けるように中へ飛び込む。


「...ッ!!」


 まるで独房のような空間の中、ことごとくの視線を奪う夥しい血の海。その上に横たわる、廻神 琥珀の無惨な亡骸。

 喰い破られたような腹からは千切れた内臓が零れ出ていて、ありとあらゆる箇所の肉が虫食いになっていた。

 それでもその様を見ていると異常な点は狂ったように増えていく。傍らには血にまみれた鍵が落ちていた。


 ここで俺はようやく、脚を投げ出し壁にもたれ掛かり座っている木知屋の姿が目に入った。

 白いシャツは血液によって汚され、呆けたようにヒューヒューと息をしている。

 そして最もおかしい所。木知屋は、頭にくしゃくしゃの紙袋を被っていた。

 手には古めかしい型の拳銃。しかしそれは俺達に向けるために持っているわけではなさそうだった。


「おいッ、おい木知屋!!なんで廻神が死んでんだ!?ここで何があったァッ!!」


「触るなぁぁあああああ!!」


 肩を掴んで揺らし、紙袋を取り払おうとする俺の腕を木知屋は尋常じゃない力で掴み、その絶叫で行動を打ち消す。

 しかし俺は見てしまった。叫んだ時にチラリと見えた口元に、歯に。べっとりと血がこびりついているのを。

 ""の可能性が脳裏を過った。まさか、理知的な紳士で通ってたこいつが、誰よりも思い遣りに溢れてたこいつが。

 よもやそんな取り乱し方をするわけが。


「お前、が...やったのか...?」

「こいつはテメェの娘だろうが!!何を...!それとも、ここの野郎になにかされたのか!?」


「何も...なにもされてないよ、橘君。私が、私の意思で琥珀を食ったんだ。」

「袋は取らないでくれ。君に合わせる顔なんてどこにもないんだ。」


「....クソッ...クソがァ!!」

「...藤波、そいつ頼んだわ。」


「えっ、あ、あぁ!わかった!」


 俺は息巻いて独房を飛び出し、周囲のものをめちゃくちゃに叩き壊しながら叫んだ。奴がどんな人間だろうが構わない。

 ここで、奴をブッ殺す。キャリアなんか今やただのお飾りだ。失おうが痛くも痒くもない。

 木知屋があんなになるまで味わった責め苦に比べりゃあ、屁でもないこと。死を以て償わせるまでだ。

 俺をキレさせたことを、地獄で何百年と悔い続けさせてやる。


「クソッタレのサイコ野郎が!!とっとと出てこねェとヤキじゃあ済まねェぞッ!!」


 暴れ回っていると、戸棚の扉が軋む音を立ててゆっくりと開かれた。その中には、にやけ面を浮かべている痩せた禿げ頭の男が体育座りですっぽりと収まっていた。

 俺と目が合った瞬間、男はさらに口角を釣り上げ目を細めた。そしてその弱々しい体躯をくねらせながら戸棚から下りてくる。

 見ただけでわかる。声のイメージにぴったりの風体をしてやがる。コイツが犯人だ。


「この野郎!!よくもノコノコ出てこれたもんだなァえぇッ!?」

「今からテメェを叩き潰して殺す.....遺言はあるか、クソジジィが!!」


「おやおやァ、電話口でもそうだったが、随分と野蛮な刑事じゃないかァ。」


「....橘!そいつが...!?」


 独房から出てきた藤波がハンマーを構えた。眉をひそめてわなわなと震えている。藤波は歯軋りをして男に叫ぶように問いかけた。


「お前は一体なんだ...?"キッドナッパー"か?それとも"矢嶋"?」


「そうだと言ったら?」


「そうでなくてもいい...お前は法で裁かれるべき人間だ。ここで逮捕する。」


「金槌を振りかざしながら言われても説得力がないよォ、お嬢さん。」


 すると男はおもむろに、懐からなにか光るものを取り出した。鉱石、蔓の塊、あるいは凝集した毛のような物体だ。

 歪な円錐形をしたそれを、男は逆手に持つ。


「キッドナッパー、か...知っているさ。」

「あいつはやり口がぬるすぎる。究極の愛、その総てを知るためには...ただ...」

「ただ観測するだけでは足りないのだ。」

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