第53話 杭抜く曠職者
曰く藤波は、劣悪な家庭環境の中で育ったという。この天真爛漫、気丈な立ち振舞いも置かれた状況の中に出来る限り楽しみを見出だそうとし続けた結果なのかもしれないと語った。
酒とギャンブルに溺れ続ける父親、その反動でホスト狂いになった母親。それらに囲まれた多感な時期の記憶は、不思議なことに朧気しか残っていないらしい。
後に藤波は祖父母の家へ引き取られることになるのだが、それまでの間でとある体験をした。10歳になる手前、唯一鮮明に残った記憶。山奥にある暖かみのある木造の屋敷、そこにある一室。暗い部屋。
手足を縛られた自分の頭を、闇に顔を隠された男が撫でている。周囲にも、同じように身動きを封じられた少年や少女が寝かされていた。
男は微笑み、優しい声でこう言った。
「君が大きくなったら、僕を捕まえにおいで」
と。
そこからの記憶はなく、今思えばおかしいことだが記憶の繋ぎ目が存在しないことに当時は疑問を抱かなかったという。
パトカーのサイレンが響く中、泣きながら自分を抱き締める祖父母。状況を理解できないままに、藤波は居を移した。それからは普通の暮らしをさせてくれて、志した夢である刑事になるための支援もしてくれた。
無意識だったのかもしれないが、おそらくは自らの記憶にこびりつくあの男の言葉が忘れられなかったのだろうと、運ばれてきたカップのキャラメルラテを飲みながら話す。
刑事としての矜持を身に付け、正義の心を備えた今、記憶に残るあの男は法によって裁かれるべき対象だ。他人事ではないのだ。と。
「....で、その記憶の男がどう写真に関わってくんだ?」
「似てたのよ。なんとなくだけど、背格好...雰囲気っていうのかな?」
「すっごく似てて、阪野が隠しながら持ってた写真奪って見た瞬間「これだ!」ってなったのよ。」
「そんで撮った場所調査しに来たら、アンタたちがいたってわけよ~!」
「問題児...まぁ、見れば明瞭なことだけど。君はなぜそう呼ばれているのかな。」
「単独行動ばっかしてるからね。"キッドナッパー"探しで。」
「キッドナッパー」。また聞き慣れない要素が入ってきた。意味を聞くと、どうやら以前まで藤波が捜査に携わっていた児童連続誘拐事件の犯人の通称らしい。事件は俺達が刑事となる以前から続いているものだそうで、俺も管轄外だが噂程度には聞いていた。
そして藤波は、記憶の底に眠っている暗い一室での光景と、言葉を残した男の姿、誘拐事件の発生。それらを組み合わせた結果、自らの行動の指針が弾き出されたのだという。
以後、捜査が打ち切られかけた今でも勝手な個人捜査を続けているために彼女は今や立派な「問題児」である。
シンパシーを感じずにはいられなかった。問題児であった理由も、自他を問わずとも奪われた記憶に執着するその姿勢も。
"矢嶋"が"キッドナッパー"である可能性もないとは言えない。俺はペラペラと喋り渇いた口を潤している藤波の手を取った。
「うぉっ、なんだ。」
「藤波!俺達と組んでくれ!俺は睦月を...息子を見つけたいんだ...!」
「なーに言ってんの。わざわざ頼まなくても組むって!息子さん探しに大変な思いしてるの聞いてるよ。私よりよっぽど深刻な目的よぉ。」
「問題児仲間なんだから、手伝ったげるよ~。ここのお代持ってくれたらねぇ~♪︎」
「.....おう、安いもんだぜ。」
人の事を言える立場じゃないが、流石は問題児だ。俺は迷わず財布のヒモを緩めて代金を支払った。...藤波が追加注文したストロベリーサンデーの分までも。
終始重苦しい出来事を話し終えた直後にも関わらず、藤波はスプーンですくった甘味の混合物を味わうことに夢中になっている。
このおおらかさこそが彼女の強みなのだろう。それに引き換え俺はどうだ。成果も出せず、自問自答を繰り返し、挙げ句には迷いによって生じた自身の過ちに日々苛まれ。
理解のある仲間を除いた全ての他者とぶつかり合ってここまで転がり落ちた臆病者だ。
しかしそんな些細なことに押さえつけられていては、睦月を取り戻すことなどできまい。
中身のすり減っていた財布は空同然になったが、俺の心はやる気に満ち満ちていた。仲間を見つけた。似た志を、運命を抱えた仲間を。
すっかり腹ごなしを済ませた藤波は背伸びをして、俺のこれまでの捜査記録を聞きたがった。こちらが質問してばかりなのも不平等だ、俺は数年間で調べ上げてきた"矢嶋"、あるいは"キッドナッパー"らしき可能性が1%でもある不審人物たちの目撃情報の存在を伝え、やがて俺のオフィスルームへと写真などの現物を見せるため連れていく流れになった。
散らかっている、煙草臭いだろうという旨を伝えても、私も同じだからと話すばかり。車内で許可も得ずに煙草を咥え火をつけようとした藤波を、木知屋はなぜか止めない。
警視庁に戻る道程、しばらく車を走らせた後の赤信号で、俺は我慢できず声を上げた。
「お、おい木知屋...!?コイツはいいって事なの!?」
「何がだい。喫煙仲間が出来たんだ、喜ばしいことじゃあ...」
「
「彼女、吸うペースがあまり早くないじゃないか。そこが私にとってはメリットだ。」
「その反面君はやたらと大量に吸う。あまりに消費が早いから、備えつけの灰皿がすぐに満杯になって毎度掃除が大変なんだよ。」
「ぐっ....そりゃあそうだけどよ....だってこれ俺のエネルギー...」
「煙草なんて百害あって一利なしさ、どうせなら一本一本大切に吸いたまえよ。刑事は身体が資本だと言っていたのは君だろ?」
乗り出していた身を元に戻し、シートにどかっと座って腕を組む。隣でこのやり取りを横目に朗らかに笑いながら紫煙を吐き出す藤波を見ていると、「それは郁梨の口癖だ」という訂正は湧いた途端に喉元で
それもただの口癖じゃない、俺の癒しだった時間。ぐっすりと眠る睦月の顔を見ながら、夜風を浴びて煙草を吸う時間。
その度に郁梨がやってきては、やれ副流煙が、刑事は身体が資本なんだと俺を叱り、あと一本あと一本と駄々をこねる俺の煙草を取り上げて火を消す。
向こうは呆れていたが、俺はそれすらも幸福に感じていた。その時は、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
「お前だって酒好きだろ」と言い返してからまた二人で睦月の寝顔を見られる日が、もう来なくなるなんて。
そんなことを思考しているうちに、車は警視庁本部に到着していた。降車し、三人で廊下を歩いていると当然後ろ指を指される。
「ついに三大問題児が結託してしまった」だの、「明日はハリケーンが来る」だのとあることないこと言われまくっているが、お互いに慣れているので全く気にしない。
端に追いやられたようにひっそりと存在するオフィスルームに入ると、藤波は感嘆の声を上げてコルクボードに駆け寄り写真を食い入るように見つめる。ただ数枚に注目したり、地図に書き込んだ赤い線を指でなぞったりしているが、思案にうんうんと唸る声は止むことはない。
「あれ...?なーんか噛み合わないというか...」
「私の持ってる数少ない情報とかと、大分ズレてるなぁ。」
「そうかァ....」
俺は肩を落とし落胆する。やはり"矢嶋"と"キッドナッパー"は別人同士だったのだろうか。子供をさらうという共通点こそあったが、広い目で見れば誘拐事件なんて言ってしまえばザラなパターンだ。
まったく、刑事の職業病だな。当事者たちは不安でたまらないだろうに、俺達は仕事の一環として解決することだけを考える。感情を介在させず、正義を執行する官憲として。
だが乗りかかった船だ、手がかりが得られなさそうだからといってあっさり切り捨てることも出来ない。組んだからにはやり遂げる。
問題児同士、各々の正義信条に基づいて、暴れられるだけ暴れるつもりさ。
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