第6話 死神
ついに到着した現場は、寂れた廃工場だった。鉄扉の前には負傷した水上が倒れていて、麗が側について警護している。
俺達は急いで車から降り、麗から状況を聞き出しつつ水上の安否を確認する。胴体に激しい出血が見られる。なにか鋭いもので切り裂かれたことは明白だ。
「ヤバい」「マジ」だらけの拙い説明だったが、どうやら中には魔術師なる存在がいるらしい。
橘は水上を車に乗せ、その番を麗に託す。鉄の臭いが漂う工場内に踏み行った。
そこには、無数に積み上げられた警官隊の亡骸と、辺りに飛び散った血痕があった。
そしてその前に少女が立っている。
あれが、件の魔術師なのか?ぜえぜえと息をしながら、なにか機械のようなものを踏み潰している。
「ありゃあドレイクのドローンじゃねェか...」
「粉々ね。アレ、一週間は寝込むわよ?」
「....二人とも、来ますよ。」
少女は俺達に気づくと、こちらを睨み付けながら横薙ぎに腕を振った。
その直後、足下が目に見えないなにかによって切り裂かれ、土煙が舞って目を眩ませる。
しかし、冷水だけはその中を走り抜け、少女へ向かって猛然と突進した。
サブマシンガンを左手、マチェーテを右手に、狂気を孕んだ笑みを見せながら。
姿勢を低く保ちながら疾走し、轟音と共に無数の弾丸が降り注ぐ。
だがそれは瞬時に発生したバリアのような壁によって、ことごとくが弾かれてしまう。
「待て冷水ッ!!考えもなしに突っ込むのは...!!」
「うるさい!!あたしは....このままじゃ終われないんだよォッ!!」
「クソ...ッ!睦月、拳銃を使え!くれぐれも奴に当てるなよ!!」
「....了解。」
俺達は抜き放った拳銃を撃つ。しかしあの障壁の前では、拳銃弾など豆鉄砲も同然だった。
冷水は撃ち尽くしたサブマシンガンを棄て、マチェーテを至近距離で何度もバリアへ叩きつける。
圧倒的な攻勢によりヒビはみるみるうちに広がっていくが、同時に身体につけられる傷も増えていく。
「───うぁあアアアア!!!」
バリアが飴細工のように砕け散り、無防備になった少女めがけて刃が振り下ろされる。
攻撃が届く刹那の差、防御を捨てているのは冷水も同じことだった。
赤い尾を引きながら、根元から切り落とされた冷水の右腕が宙を舞う。
バランスの崩れてしまった身体を、よろよろと運びながら虚ろな目で俺を見つめる冷水。
悲哀、呆れのようななにかを滲ませた目だ。
ゆらり、と倒れる身体を俺は抱き止める。
「最ッ悪だよ....あんた、なんかに....負けっぱなしで死ぬ....なんてさ...」
「もう....イヤんなっちゃった....!」
最期の力を振り絞り、冷水は残った腕で俺の胸倉を掴んだ。
歯を見せて、ニヒルに笑っている。
「あんた、あたしより強いんだからさァ....もっと、堂々と戦えよ...!」
「喪うものがない人間は、強い、から...」
そう言い残し、冷水は俺の腕の中で弱々しく息をしながら、だんだんと力を失っていく。
冷水の身体を抱え、橘の側で寝かせてやる。
「橘さん。冷水さんを頼みます。」
俺は歯を食い縛り、魔術師へ向き直る。
そうだ、俺はあの日全てを喪った。
知らないうちに、後戻りが出来ないところにまで転がり落ちた。
俺にはもう喪うものはない。
あったとすれば、知らないうちに自分以上の力を手に入れた俺を疎んで、それを超えるためだけに死にに行くような真似をした一人の女だ。
力の差なんか知るか。
人を殺る覚悟なんか、資格なんか知るか。
誰かの平穏なんか、知ったことか。
俺は、まだ知らない俺を取り戻すために。
俺のためだけに誰かを殺す。
身勝手だ?それこそ知ったことじゃねえ。
邪魔をするなら、魔術師だろうが神だろうが、全員ブッ殺すまでだ。
死神の異名が重荷なら、俺が背負ってやる。
俺は橘の背負っている刀を引ったくり、包んでいた袋を引きちぎりながら魔術師へ真っ直ぐ接近する。
すぐに黙り込んだ刀を抜くと、その異様な姿が露わになった。
幾重にも重なったように波打った刃紋、七色に淡い光を反射する暗い鈍色の刀身。
刃、柄、鍔に至るまで、びっしりと見たことのない幾何学模様が彫り込まれている。
その模様は魔術師へ接近するにつれて輝き始め、より強くなっていく。
真正面から無数に迫ってくる不可視の刃。
タイミングを合わせて刀を振るうと、それらはあっさりと掻き消えた。
憔悴した魔術師はバリアを再展開する。
所詮無駄な足掻きだ。
もう疲れてきた、とっとと終わらせよう。
「ご愁傷様だ、クソッタレ。」
跳び上がり、頭上から刀を振り下ろす。
刀身は邪魔な障壁を豆腐のようにすり抜け、魔術師を腹の辺りまで唐竹割りに両断した。
ワンテンポ遅れて身体が崩れ、同時にバリアがバラバラに崩壊を始める。
広がっていく血の澱みを踏み締めながら歩く俺を、橘はただ立ち尽くしたまま見つめていた。
年端もいかないような少女を真っ二つにしたのに、不思議と罪悪感はなかった。
自分が簡単に六人を亡き者にした奴だと考えれば、気が楽になった。
今朝までの、死に対して狼狽していた俺はもういない。
恨み、怒り。エゴで人を殺すハードルは、想像していたよりも低かった。
すると、橘が表情を一変させる。
「睦月ッ、後ろを...!」
振り返ると、さっきまであった死体がない。
血溜まりだけを残して跡形もなく消えていた。
その代わりに、建物内上部に設置された足場の上に、男が立っていた。
既に日が落ちているために顔は窺えないが、俺が殺した少女の死体を肩に担いでいた。
男は、まるで幼い我が子に語りかけるかのような優しい声色で、死体に話しかけている。
「酷いね、痛かったね。」
「もうすぐお家に帰れるからね。」
間髪入れず橘が発砲する。
しかしその瞬間、男はその場から霧のように消え去り、弾丸は背後の壁に当たった。
「...アイツは?」
「今朝話した奴だ。矢嶋だよ、あれが...!」
突然、背後に気配を感じる。
すぐさま刀を振り抜くが、背中に強い衝撃を受ける。
同時に、橘も攻撃を受けていた。
口の端が切れ、体勢を崩している。
位置を特定しようと辺りを見回すと、また矢嶋は上方の足場へ戻っていた。
矢嶋はこちらには目もくれず、叩き斬られた少女の頭から流れる髪を撫でている。
「君達には、また会いに来るよ。」
そう言い残して矢嶋はふっ、とその場から切り取られたかのように姿を消してしまった。
「あれが、矢嶋か...」
そして俺達は、直ぐに廃工場を後にした。
橘に聞いたところによると、あのような魔術師はこの世界に一定数存在するらしく、
まだその力の源や正体は解明されていない。
そして時折、俺の使った刀のような特異な力を持つ物品を押収することがあるらしく、それらはまとめて「オブジェクト」と呼称される。
オブジェクトは、上層部が管理する保管庫に収容される決まりになっており、未認可のものをその効力を理解した上で持ち出す、および使用することは堅く禁じられている。
俺は、その取り決めを知らなかった。
刀を勝手に使ったことを咎められ、一ヶ月の謹慎処分を食らってしまった。
しかし、効力を知らなかった点と、危うく全滅寸前だった状況を覆し、現場を辛くも治めたという点を橘が上に掛け合い、期間を一週間にまで抑えてくれた。
そして、午前0時。特事課事務所。
向かい合ったソファーに座る橘が、煙草を吸いながらこれからの一週間について話し始める。
「睦月、今回の活躍...本当にご苦労様。」
「活躍、ですか。」
「ああ。お前は課の皆を助けてくれた、命の恩人だよ。」
「...二人は無事なんですか。」
「...とりあえず命に別状はない。まだ二人とも、意識はまだ回復していないがな...」
「そうですか...」
「お前、まだバディいなかったよな。明日帰国するから、会ってもらうことになったよ。」
「明日の朝、この住所に行け。」
橘は一枚のメモを手渡す。
そこにはマンションの住所と、部屋番号が書かれていた。
「...待ち合わせじゃないんですね。」
「そうだ。お前は監視される側の課員だから、バディと同居しないといけない。」
「上手くやれますかね、俺みたいな奴が。」
「大丈夫だ。世話好きなヤツだから、受け身でいればいい。」
「そう暗い顔すんなって。いつまでもそんなだと、冷水にまたどやされんぞ。」
「....はい。」
しばらく、会話に間が空く。
橘は、燻らせた煙草を指に引っかけたまま、じっと俺を見つめていたように見えた。
「それじゃ俺は帰るよ。今夜はここで寝泊まりしてもらおうと思ってたが、大丈夫か。」
「問題ないです。」
「一人で寝れねェとか言って泣きつくなよ~?そんじゃ、お休み。」
いつもの調子で俺をからかいながら、橘は事務所を後にした。
開いた窓から覗く柔らかな月明かりを受け、紫煙が夜風で物悲しく揺れ、空気に溶け出していった。
そこへ、ノックの音が飛び込む。
「...どうぞ。」
「失礼するよ。おや、不破君。こんばんは。」
「今夜はいい月だね。」
入ってきたのは、木知屋だった。
木知屋は、俺の隣に座り、足を組んで窓の外を眺め始める。
「....こんな時間に、忘れ物ですか。」
「そんなところだね。しかし橘君は...事務所は禁煙だと何度言えばいいんだろうかねぇ。」
手で顔の前をパタパタと扇ぎながら、大袈裟に咳払いをしてみせる。
「橘君、君のことを随分心配していたよ。」
「....はあ。」
「彼には、息子がいてね。幼い頃に離別してしまったが、溺愛していたそうだよ。」
「彼は、その子の寝顔を眺めながら、夜風に当たって煙草を吸うのが何よりの楽しみでね。」
「奥さんに何度も叱られていたよ。ほら、副流煙は身体に悪いだろう。」
「....それがどうかしたんですか。」
「わからないかい?彼の息子は、何処かで生きていたなら、今頃君くらいの歳なんだよ。」
「ついつい照らし合わせてしまっているのかもしれないね。私にはさっぱりだ。」
「話しすぎてしまった。お疲れのところ、昔話など、すまなかったね。」
木知屋は腕時計を一瞥すると、手ぶらのまま事務所を出ていこうとする。
「....忘れ物はどうしたんです。」
「恥ずかしいことに、忘れ物が何だったか忘れてしまったよ。私も歳だね、ハハハ...」
出ていった木知屋を見送る。
俺は深々と溜め息をつき、事務所のベッドに横になった。
今日は散々な一日だった。
得ては喪って、また得てを繰り返し続けた。
節々が軋むような痛みを持っている。
一月ぶりにあんな動きをしたら、無理もないだろう。
そんなことを考えながら俺は目を閉じ、毛布もかけずに眠りについた。
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