星4バグキャラ 神原千尋を弱体化します 〜不幸体質ゲーマー少女による、幸運男子ナーフ計画〜

おとうふめんたる

Case.1 不幸少女・城崎有希の弱体化宣言

第1話 落陽に揺れる“優等生”

 四月の風は、去年までと同じ香りをしているのに、どこか知らない匂いをまとっている。

 その曖昧な空気は、人の心の境界線をほんの少しだけぼかして、すべてを「始まり」っぽく見せる魔法をかけてくる。


 だからかな。


 今日も朝から“偶然”は気持ち悪いくらいによく働いた。


 昇降口から教室へ向かう途中、俺はいつもの癖で歩調を緩める。


 この時間帯、視線をほんの少しだけ先に滑らせておくとだいたいわかる。

 人の流れとか、立ち止まりそうな奴とか、何か落としそうなやつとか。


 その予感は、たいてい当たる。


 靴紐を結ぼうと屈んだタイミングで、前を通った女子のノートが落ちる。

 それがたまたま俺の足元に来たから、すぐに拾って渡す。


「あ、ありがと、神原かんばらくん」

「どういたしまして」


 校舎の外を軽く散歩すれば、野球部の打球が閉め切った窓めがけて飛んでくる。

 ちょうど欠伸をした瞬間に、手の中に白球がすっぽりインストール。


「ナイスキャッチ千尋ちひろ! 助かったわ!」

「ナイスバッチー!!」


 階段を上っていれば、前を歩く一年生が足を踏み外し、落下。

 身体に当たって、あわや大惨事を見事に阻止。


「ありがとうございます、神原先輩!」

「足元、気をつけてね」


 そう全部、偶然だ。

 たまたま靴紐を結ぼうとしたから―――

 たまたま欠伸をしたから―――

 たまたま後ろを歩いていたから―――


 全部、日常のちょっとした歯車がたまたま噛み合って起きたこと。

 でもその「たまたま」は、いつも誰かへの善行の形をして現れる。


 手を伸ばせば届くところに困っている誰かがいて。

 伸ばした手は、なぜか必ず間に合ってしまう。


 それを一年続ければ、そりゃあ校内の評価も勝手に積み上がる。

 優しくすれば誰も困らないし、笑ってくれるし。


 いつの間にか、「優しい自分」でいるのが俺のデフォルトになっていた。

 だから今日も、ふと視界の端に映った窓ガラスで、自分の表情を確認してしまう。


 ―――ちゃんと、優しそうに笑えてるか、お前は。



     ◇



「……ごめんね、神原くん。わたし、神原くんとは付き合えない」


 放課後の教室。夕焼け色の中で、俺は知らないうちにフラれていた。

 目の前の女子生徒は、指をきゅっと絡めて視線を伏せている。

 告白なんて、していない。名前は知っているが、相手の認識は、ただのクラスメイトだ。好きになる? まさか、無理だろ。


「えっと……どういう、こと……?」

「分かってるよ。神原くんはそういう人だから……でもね、それが期待させるんだよ?」


 彼女の声には、うすく滲んだ寂しさと、失望が混じっていた。


「神原くんってさ、誰にでも優しいでしょ?」

「そりゃあ、優しい人間の方が、みんな好きだろ?」

「うん。だから、ちょっと……だけ、期待しちゃったんだよね」


 彼女は笑った。泣き出す一歩手前みたいな、脆い顔で。


「今日ね、神原くんがノート落とした子を助けた時……その子、凄く嬉しそうで。なんか、あ、こういうの、誰にでもするんだって、分かっちゃって」


 何も返せなかった。

 だって、そういう人間でありたいと自分で選んできたから。

 分け隔てない優しさを振り撒き、皆を笑顔にさせる優等生。自分がそういう役目なんだと、子供の頃から続けてきた。


「やっぱり……特別じゃないんだなって、わたし、気付いちゃった。だから……その、ごめんなさいっ!!」


 ぺこりと頭を下げて、彼女は走って教室を飛び出していく

 残されたのは、夕焼け色に染まった静かな教室と、ぽつんと立つ俺と―――

 ぱたん、と黒板消しが落ちる音。


「……ははっ、ちょいちょい、せめて自分が落としたんだから拾っていけって」


 くだらない。と自分でも思う独り言を呟きながら、黒板消しを拾い、クリーナーに突っ込んだ。

 吸い込まれていくチョークの粉を見ながら、胸の奥に転がった小さな砂粒みたいな違和感をそっと仕舞い込む。


 これは、怒りじゃないな。

 自分に失望した子に怒るなんて、筋違いだ。

 これはきっと―――優しさで誰かを傷つけた自分への、嫌悪。

 そう思った瞬間、胸の奥で、きし、と何かが鳴る音がした。


 窓ガラスに映る自分の顔から、優等生の笑みが剥がれ落ちている。

 笑おうとして、うまく笑えない。

 四月の風が、優等生の仮面の端をそっと揺らした。



     ◇



 胸の奥のざらつきが消えないまま気付けば、階段を上っている。

 屋上へ続く両開きの扉には立入禁止の札がぶら下がっていた。

 毎年の文化祭以外で開放されることはほとんどなく、今は落下防止用の柵の老朽化のせいで完全に封鎖されている―――と、先輩から聞いたばかりだ。


「……まぁ、今日はいいだろ、このくらいさ」


 自分を正当化させるように、誰にともなく呟いてドアを押す。

 ギィ、と音を立て、夕暮れの少し乾いて冷たい空気が流れ込んできた。


 風が強い。春の名残が混ざった冷たい日暮れ。

 屋上のタイルがオレンジ色に沈むその先―――そこに、ひとりの少女が佇んでいた。

 古びた柵に指先だけを添え、沈みゆく太陽に向かって手を伸ばしている。

 長い髪は光に透けて白銀に淡く輝き、風に揺れる桜の花びらのようにふわりと舞った。


 一瞬だけ、息を忘れていた。


 それも本当に一瞬のことで、次に脳裏に浮かんだのは、最悪な二文字だった。

 飛び降り―――自殺。


「おい、何してんだ?」


 咄嗟に声が出た。

 もし本当に飛び降りようとしているなら、それを引き止めて話を聞くくらい軽くやってみせるのが、俺の思い描く理想の“神原千尋”だ。


 想定していたよりも大きな声に、少女の肩がびくりと跳ねる。

 ゆっくりと振り返ったその瞳は―――暗い紫紺。

 夜の始まりを溶かしたような色で、どこか現実離れした静けさを携えていた。


「……来ちゃ、だめだよ」


 風ごと心を冷やすみたいな、か細い声だった。


「いや、そのセリフ、完全に今から飛び降りますのテンプレなんだけど」


 思ったことがそのまま口から出てしまい、内心で頭を抱える。

 が、彼女は特に気にした様子もなく、小さく首を振った。


「飛び降りないよ。そこまでメンタル豆腐じゃないから、安心して」

「……それは、よかった」


 拍子抜けと同時に、変な安堵感が胸に広がる。

 だが、なおさら気になる言い方だった。


「じゃあ、何で“来ちゃダメ”なんだよ。俺も屋上で風に当たって黄昏るくらいいいだろ」

「よくないよ」


 即答。

 その声色だけは、先ほどよりずっとはっきりしていた。


「ここ、今だけ災害指定区域だから」

「……は?」

「簡単に言うと、私の半径三メートルがホットゾーン。入ると被害に遭うよ。だから、来ちゃだめ」


 軽くと言う割には物騒すぎる内容に、思わず眉をひそめた。


「いやいやいや、なんでそんな某感染症みたいな扱いをされてるわけ?」

「自覚あるデバフキャラってやつ。ゲームで言うなら、打たれ弱いくせに謎にヘイト値高い扱いに困る倉庫番なの、私」


 少しだけ乾いた笑いと、さらっととんでもない自己紹介が飛んできた気がする。


「……なんか、自己評価低くない?」

「事実だからね。私といると、幸と不幸のバランスが崩れるんだよ」


 少女は淡々と答え、また夕焼けに視線を戻す。

 その横顔はどこか諦めきった静けさをまとっていて、「かまわないで」のサインを全身で出しているように見えた。


「まぁ、そう言われても、俺も風を浴びにきたわけだしさ、少し話そうよ」

「……ナンパしてる?」

「まさか。屋上で一人佇むって、何か理由があるんだろ? よかったら俺、相談乗ろうか? 人と話すと気持ちが落ち着くって言うじゃん?」


 軽口混じりに歩み寄ると、少女の表情がわずかに険しくなった。


「だから、来ちゃだめって言ってる」

「平気平気。俺、生まれてこの方風邪引いたことないし」

「身体の健康状態はデバフ耐性とは関係ないと思うけど」


 ピシャリとしたツッコミのセンスだけは、やたらと普通の女子高生から逸脱している。


「それにさ。そこ、柵が古くなってて危ないって先輩が言ってた。飛び降りないっていうならなおさら、その位置から離れてくれると助かるんだけど」


 できるだけ柔らかい声で言う。

 少女は一瞬だけ黙り、柵を握る指先に力を込めた。


「ぜんぜんへーき」


 上履きを吐いたままの小さな両足が、ふわりと宙に浮く。


「おいっ!!」


 駆け出すまでの判断は一瞬だった。

 少女の手を引き剥がし、バランスを崩さないように、柵に手をかけて踏ん張る。


 次の瞬間。


 ―――バキッ。


 乾いた音が、夕焼け空にいやに鮮明に響いた。


「……えっ?」


 掴んだ部分だけ、信じられないほど綺麗に折れていた。

 視界がぐらりと傾く。屋上の縁が遠ざかる。


「うそっ……なんで!?」


 彼女の驚く声が聞こえる。

 まるで、こんなはずじゃなかったと言いたげな焦り。


 ―――落ちる。


 地面が、空が、桜の枝先が。

 全部がぐちゃぐちゃに混ざり合って、スライドショーみたいに流れていく。


(あ、これ、割と本気でヤバ―――)


 落下の途中、視界の端で、満開を少し過ぎた桜の木が見えた。

 不幸中の幸いというべきか、真下には池と、その上を覆うように伸びた枝がある。

 身体は桜の枝に叩きつけられ、天然の緩衝材は派手な音を立てていくつも折れる。

 だが、そこで勢いを削られ、落下速度が一段階、二段階と削がれていく。

 最後には、水を抱え込むようにして池へ落ちた。


 派手な水飛沫が陽光を割り、きらきらと宝石のように散る。

 全身を覆う冷たさに、俺はようやく現実に引き戻された。


「ぶはっ……冷たっ……!」


 慌てて上半身を起こし、自分の身体をざっと確認する。

 どこも折れていない。擦り傷すらほとんどない。制服は水浸しだが、それだけだ。

 ありえない角度で折れた柵。

 タイミングよくクッションになった桜。

 そして、ちゃんと水の張ってある池。

 全部が、ギリギリのところで噛み合って「無傷」に収束していた。


 視線を上げると、屋上の柵の隙間から、さっきの少女がこちらを見下ろしていた。

 風に白銀の髪が揺れ、その紫紺の瞳は大きく見開かれている。

 驚きと、諦念と―――そして、『またか』と言いたげな、静かな絶望。


「……ね」


 口の動きだけで、小さくそう告げたように見えた。

 それが忠告を無視した俺に対する皮肉だったのか、妙な助かり方をするのが分かっていたからなのか、それとも、巻き込んでしまったことへの謝罪だったのか。

 この時の俺には、判別がつかなかった。

 ただ一つだけ、はっきりわかったことがある。


 この子、普通じゃない。

 そして、多分、やけに胸がざわめいている俺も、普通じゃない。


 四月の風は変わらず、春と冬の境目みたいな温度で吹き抜けていった。

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