十八章6

 *



 真夏の強烈な西日が、裏庭ぜんたいを金色に染めていた。

 午後のもっとも暑い時間。

 城内ではやりきれないが、風の通る裏庭は、体内の熱の残滓ざんしが、奔放な夢の終わりのような、妙に悲しい気分を誘う。

 裏庭に入ったところで、待ちかねていたアトラーがやってきた。


「さっき、魔術師の死体が見つかった。スノウンといったか。いつものように遺体の一部が持ち去られている」


 やはり、司書長の言ったとおりだった。しかし、ダグラムは毅然きぜんとしている。


「悲しむのはあとです。小隊長。ここで約束どおり、二手にわかれましょう」


 先着のクルウによって、配備は整っていた。アトラー隊が半々で、ワレス、クルウの班についていく。ハシェドの姿は見えなかった。マニウス小隊長のところにいるのだ。誰一人、裏庭から逃がさないように、マニウス小隊で庭師の宿舎、通用門の監視を強化する手はずだ。


「では、小隊長。お気をつけて。我々は温室へむかいます」


 クルウがエルマや司書長と第四区画へむかっていった。

 ワレスはロンド、ジュールの魔法使い二人と伯爵。アトラー隊は封印の木のまわりを警戒する役目だ。じっさいにはただの飾りだとわかっている。いや、むしろ、魔法に対抗できない彼らを周囲に置くのは、かえって危険でさえある。


 すると、ワレスの考えを呼んだように、ロンドが口をひらく。


「連絡係だって必要でしょう? もしも、私たちが生きて帰れなかったときに」

『そのさいは、どうなる?』

「地下の先輩がたが束になってかかるでしょうよ。それでも、うまくいくかわかりませんが。まずは、わたくしが自分で責任をとりませんとね」


 ロンドの肩には伯爵も乗っている。ワレスは答えないでおいた。以前のロンドの失態は伯爵も知らない。


「さあ、つきました。このへんでしたね」

『あの木だ』


 たった半日で、以前よりほころびが大きくなった。ワレスの目で見れば、ひとめで封印の木が判別できた。

 ロンドは近くの木にもたれてすわりこむ。同調でプチアンに意識をとばしたのだ。


『ジュール。お願いします』

「くれぐれもムチャはするな」

『大丈夫ですよ。最近のわたくし、絶好調ですから』


 小さい三人はジュールの手に乗せられ、封印の木のもとへ移動する。ワレスの指示でほころびの位置に運ばれる。


『行くぞ』

『行きましょう』

『うむ』


 ワレスたちは、ひずみの内部へ入っていった。

 なかは暗い。ワレスにはかすかに構造が見えるものの、ほかの二人には完全なる闇だろう。すると、ロンドが言いだす。


「ワレスさん。これで、ほころびをかこんでください。そうすれば、逃げるときの目印になりますから」


 何かをワレスの手に押しつけてくる。


「なんだ? これは」

『光苔を乾燥させ、粉末にしてかためたチョークです。こっちは同様に光苔をまぜこんだロウソク。わたしたち用に、ほぐした糸を芯にして作った、特別ミニサイズですよ」


 言われたとおり、ワレスがほころびのまわりに円を描くと、薄緑色の輪が闇に浮かんだ。


「なるほど。これなら、おれでなくても、ほころびが見える。閣下、よろしいですか? 危険を感じたら、まっさきにここへ逃げ帰ってくださいませ」

「うむ。しかし、閣下はかたいな。冒険のあいだくらい、ランディと呼んでくれ。友人と思ってな。私もそなたをワレスと呼ぶ」


 ワレスは苦笑した。

 その苦笑が消えないうちに、小さな火がともる。まがりなりにも魔法使いのロンドが、魔法でロウソクに火をつけたのだ。じわりと暗闇に視界が生まれ、三つに割れる。


「これを持ってください」

 ロンドが各人にロウソクを渡してきた。


「ほら、光苔の粉が入ってるから、落ちた蝋涙ろうるいが光るんです。これで、どんなに奥まで行っても迷いませんよ」


 たしかに、ワレスたちの歩いたあとに、点々と蝋が光る。これをたどれば、どこからでも、ほころびまで戻れる。


 光のもとであらためて見ると、そこは幻想的な空間だ。岩にしては妙にやわらかいと思えば、まわりじゅうの壁や床、天井は、石でも金属でもない。木だ。それも生きて脈打つ生木。樹木でできた洞窟だった。壁のむこうを水の通る道がある。たくさんの泡とともにのぼっていく水が、うっすらと透けていた。あたたかみのある優しい空間だ。


「木の構造を利用して、魔術師が造りだした特殊空間ですね。魔術師の心の世界といってもいいですよ」と、ときにはロンドもまともなセリフを言う。


「信じられないな。これが、あいつの心の風景か?」

「寄生しているほうの心が影響しているんでしょう」

「リチェルか」


 先日、ワレスは皇都で出会った連続殺人犯について、ハシェドに話した。犯人がああなるまでにも、原因があったのではないかと。リチェルにも、あったのだろうか?


「本来は優しいヤツだったのかな」

「そうかもしれません」

「かわいそうに。何が彼をゆがめてしまったのだろう」


 砦という、人の死がありふれた社会が、彼の心に狂気を呼びこんだのかもしれない。人間なんて何人死んでもいいんだというような。

 今では黒魔術師に体をのっとられて、自分の意思ではない殺人をくりかえしている。すでに、彼の愛した花のためですらない殺人を。


(リチェルは自分の体に起きた変化に気づいていなかったろうな)


 一年前。夏の終わり。リチェルはネズミに足をかまれて寝込んだ。群れになって人間を襲うネズミの増加が問題になる少し前だ。


(そのネズミはの体を食った分身だった。ヤツはリチェルの足に、ネズミを通して自分の血肉を植えつけ、体内で増殖していった。ゆっくりと……)


 殺人の目的が、そのとき変わった。狂ったなりに純粋だったリチェルの祈りから、禍々しい魔術へと。若い兵士たちの生命をすすり、は体力をとりもどしていった。封印されたこの空間のなかで。


(いる)


 ハッキリと感じた。

 この気配。

 以前、一度だけ対峙した。ロンドを力をあわせて、どうにか滅却できたと思っていたのに。


 四百年前。砦のすべての魔術師を敵にまわし、禁断の黒魔術に走った男、ガルキール。


 彼はまだ生きていたのだ。

 ひたすらに奥へと進むと、ふいにその気配が濃厚になった。

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