十三章3


 ハシェドがため息をついていると、鼻水をすすりあげる音とともに、声がした。


「あなたもたいへんね。ライバルがたくさんいて」


 すっかり存在を忘れていた。部屋にはエルマもいたのだった。見ると、涙にぬれた赤い目をしている。


「泣いてたんですか?」

「エンハートのことを思ってたら……」

「すいません。無神経なことを言って」

「いいの。なんとなく、エンハートは長生きする人じゃないな、とは思ってたから」


 エルマはワレスそっくりの顔を、涙でぐしょぐしょにしている。鼻の頭が赤くなり、子どもみたいだ。

 以前、一度だけ、ハシェドの前でワレスが泣きくずれたとき、ワレスは顔を両手でおおって隠していたから、ハッキリとは見なかった。彼の泣き顔はこんななのかと思うと、とても愛しかった。


 気づまりな沈黙が続いたあと、ハシェドは急に思いだした。


「ライバルがたくさんって、なんのことですか?」

「え? それでため息ついてたんでしょ? 小隊長がエラードと行ってしまったから」

「……」


 ハシェドの顔を見て、エルマは肩をすくめる。


「にぶいわねぇ。あなたも小隊長を好きなんでしょ? ほんとに、ここの男ときたら、みんな、そうね」


 いきなり言いあてられて、ハシェドはあわてふためく。


「な、なんでですか? おれ、そんな誰にでもわかっちゃうもんですか?」


 エルマは鼻水を手指でこすって、ちょっと笑う。


「女の勘」

「うわっ。女の人って怖い。生まれつきの魔法使いだ」

「女は伴侶選びで一生が決まってしまうから、最高の相手を見つけるための本能よね。でも、わたしったら勘はいいのに、変な人ばっかり好きになるの。困っちゃう」


 エルマはそう言って、カーテンのかげから出てきた。昨日ほど容態がひどくないようだ。


「あの……おれの気持ちのことは、誰にも言わないでください。クルウと隊長は知ってるけど、いちおう隊の規律にかかわるので」

「かわいそうね。小隊長が知ってるってことは、告白してふられたのね?」

「うーん。当たらずとも遠からずってとこかな。友達でいたいと言われました」

「友達ねぇ」


 エルマは何か考えるように首をかしげていたが、

「ま、いいわ。人の恋愛には干渉しない。たしかに小隊長はすごく魅力的だけど、わたしと同じ顔だもの。男の人としては見れないわ。わたしとあの人が結婚したら、生まれてくる子どもも、みんな、同じ顔よ? 自己増殖みたいで、かえって怖いわ」


 エルマが言うので、ハシェドは笑ってしまった。


「一家の肖像画はおもしろいことになるでしょう」

「だから、彼も複雑そうな人だけど、深入りしない」


 利口な姫だ。勘のいいところ、機転のきかせかた、ワレスに似ている。二人はほんとに血縁関係はないのだろうか?

 それで、いつもならもっと用心するのに、このときは心をひらきすぎてしまっていた。

 とつぜん、彼女がこう言って、ハシェドをひるませた。


「あなた、ブラゴール人よね?」

「……だとしたら、何か?」

「ずいぶん流暢りゅうちょうに話すのね。ユイラには長いの?」

「生まれたときからですから」

「まあ、めずらしい」


 目をみはるエルマを見て、ハシェドの心は重くなった。やはり、彼女もユイラ人だ。肌の色の違うハシェドは、彼女の目から見れば、ものめずらしい動物なのだ。

 そう思うと、反論するのもめんどくさい。


 無邪気に笑っていたエルマが、無言になったハシェドの顔を見なおした。


「あら、怒ったの? わたし、気にさわること言った?」

「別に、怒ってませんよ」

「嘘。怒ってる」


 エルマはハシェドの顔をじろじろ凝視して、それから、ぷいっとそっぽをむいた。


「あなたみたいなブラゴール人、見たことないわ」


 胃のあたりが重くなって、ハシェドはなぐりたい気持ちを抑えた。こんなふうに言われることにはなれている。でも、ワレスの顔で言われるのは、つらい。


 ハシェドは鉛のような気分を飲んで、部屋をとびだした。

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