十一章4



 四つにわかれる温室へ歩いていく。

 ヴィナの緑陰をくぐり、第四区画に入ると、まず毒草園。ここには司書が出入りするから、第三区画と近いほうが便利だ。庭師にもそのほうが作業しやすいだろうと察しがついた。


 ワレスはユリシスと話をすることと、ユーグの居場所を聞きだすことが裏庭に来た目的だ。が、その前に、ついでに毒草園をのぞいてみた。

 司書たちも庭仕事中は暑いのか、いつものフードを外している。ガラス壁のむこうに、顔見知りのジュールが見てとれた。


「ひさしぶりだな。ジュール。その後、ロンドとは仲なおりしたのか?」


 ジュールは刺青だらけの顔に渋い表情を浮かべる。あのロンドを一人の人間として好きという奇特なジュールを、ワレスは応援しているのだが、彼のほうではこっちをライバル視している。


「ほっといてもらおう」

「ロンドはいないんだな」

「あいつは七級だからな。まだ温室には入れない」

「猛毒をあつかうからか。そのくらいは当然の処置か」


 魔術師として知識の浅い連中は入れない決まりなのだ。


「あんたが何を考えてるのか知らないが、小隊長。ここの毒は外への持ち出しはできないぞ。裏庭のなかでも毒草園だけは、完全に司書の管理だからな」と、ジュールは言う。


「薬草の一時保管庫が第三区画にあるというが、毒草にはそんな場所はないのか?」

「毒草は必要なとき、必要なだけ、司書が採取して持ちだす。保管は文書室よこの小部屋だ」


 その小部屋には、ワレスも入ったことがある。魔法で鍵がかかっているので、ふつうの人間は無断で出入りできない。


「あの小部屋には魔法の鍵がかかっていたな。この毒草園にもかけてあるか?」

「魔法ではないが、ふつうの鍵は二ヶ所ある出入口のどちらにもかける。鍵は司書が持っている」


 毒草の保管については完璧らしい。


「ちなみに、ここは何級以上の司書なら入れるんだ?」

「五級」

「じゃあ、スノウンも入れるんだな」

「スノウンなら最近、あんたの補助で裏庭の事件にまわされたといって、姿を見ないな。夜も帰ってこないが」


 そういえば、ワレスも見てない。どうしているのだろう。


「魔法使いの独自の方法で裏庭をさぐると言っていたらしいが、それ以来だ。何かつかんでいるかもしれない。あとで話したいが、消えた魔法使いを見つけるには、どうしたらいいんだ?」

「あんたに同調して、その目の力を——」

「けっこう。その方法は断る」


 ジュールと別れて、毒草園を離れた。

 温室第二館は果樹園。

 ユリシスの話を聞こうと、なかへ入りかけたワレスは、おどろいて立ちどまった。


「隊長?」


 しっとハシェドを仕草で押さえ、急いでバナナの木陰に隠れた。激しい叱責の声が聞こえてくる。


「いいかげんにしろ! ユリシス。おまえはこれで何度めだ? 大事な鉢をこんなにして」

「……すみません」


 ヘンルーダとユリシスだ。そばにはオロオロして二人を見るリチェルも立っている。


「あやまってすむ問題じゃない!」


 ヘンルーダの手があがり、派手な音がする。ユリシスは床に倒れた。


「人間の代えはきいても、二度と手に入らない花だってあるんだぞ。これ以上ヘマが続くなら、おまえのことは考えなおさなくちゃならんな。肝に銘じておくがいい」

「はい……」

「だいたい、おまえは生意気なんだ。わざと手をぬいて。そのくらいのこと、わかってるぞ。このままですむと思うなよ」


 ヘンルーダはおさまらないようで、さらに手をふりあげた。しがみついて、リチェルが止める。


「庭師長。もういいじゃありませんか。ユリシスだって、わざとじゃありません。そのぶん、私が努力しますから」


 リチェルになだめられて、ようやくヘンルーダは落ちついた。


「もう一度だけチャンスをやる。これでダメなら、おまえにはここを出ていってもらうからな」


 言いすてて、ヘンルーダはリチェルとともに果樹園を出ていった。

 ワレスはハシェドをその場に残し、床に倒れたまま、うなだれているユリシスに歩みよる。


「ひどい叱られようだな。ケガはないか?」


 ユリシスはワレスを見て、ちょっと微笑んだ。その頬が手の形に赤くなっている。


「僕がいけないんです。庭師長の言っていたことは真実です。僕はわざと、この子を枯らした」


 ワレスが見ても、これはダメだなと思えるほど傷んだ鉢をさして、ユリシスは涙ぐんだ。


「わざと? なんでだ?」


 ユリシスは答えない。かわりに、まったく別のことを話しだす。


「ワレスさん。僕が兄とのあいだで一番つらかったこと、なんだかわかりますか? 僕が丹精こめた花を兄の名で発表される……それは、まだいいんです。僕の花は僕の手を離れても、みんなに愛されていますから。でも、一度だけ、僕の手で、自分の花を燃やしたことがある。あのときは、ほんとにつらかった」

「なぜ、そんなことを?」

「兄の手に渡るくらいならと思って……とてもめずらしい八重咲の蘭だったんですよ。子どものときから、ずっと改良を重ねて、やっと思いどおりの花を咲かせた。ほんとに愛した花でした」


 ユリシスの目から大粒の涙がこぼれおちる。


「もう二度と、あんなことはしたくないと思っていたのに……」


 ワレスはしゃがみこんで、ユリシスの背に手をかけた。


「困っていることがあるのなら、相談にのるぞ。おまえはいつも自分一人で問題をかかえこみすぎるんだ」

「そうかもしれません。両親に言えばよかったんでしょうか。でも、両親は弁の立つ兄の言葉を鵜呑みにしていました。僕が何を言っても信じてくれなかったと思う」

「ジョアナは信じたんじゃないか?」

「ジョアナは兄に夢中だったから、どうかな」


 ワレスは彼の手をとって立ちあがらせる。


「ユリシス。過去は変えられないが、今のことなら変えられる。イヤなことがあるなら言ってみてはどうだ?」


 ユリシスはため息を一つつく。


「僕はもう目立ちたくないんですよ。天才だとか、神童だとか、そんなふうに思われたくない。兄のときみたいになりたくないから。それで、今回はやりすぎました。ヘンルーダが怒るのは当然ですね」

「彼にはいつも、あんなふうにたたかれているのか?」

「心配してくださって、ありがとう。でも、いつもは、ああじゃないんですよ。ただ、あの人はわりと名誉欲が強いんです。兄ほど乱暴ではないけど、見栄っぱりなところは似てるかな」

「見栄っぱりか」

「ヘンルーダは虹色スワンの改良種で特許をとって、皇都の品評会で入賞するつもりなんです。僕はそういうの、もうコリゴリなんです。ここでずっと花と静かに暮らしていたい。それだけです」

「何かあれば、いつでも、おれのところへ来い」

「ありがとう」

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