六章

六章1



 夜通しの見張りにそなえて、夕刻までひと眠りしようと思ったのに、その日、ワレスはまだのんびりできない運命だった。東の内塔へ帰ると、ワレスたちの部屋の前に人だかりがしている。


「ほらほら、まわりこめ!」

「あいつ、けっこう、やるじゃねぇか。よし、そこだ! 右、右!」

「おい、ザッツ。負けちまうぜ。しっかりしな」

「おれは新入りに銀貨二枚だな」

「おっと、おれは三枚かける」

「あんなこと言われてるぜ。悔しくねぇのか? ザッツ」


 せまい廊下に、ワレスの部下たち第二小隊の傭兵が、およそ半分は集まっていた。わめき声にかきけされがちだが、人の壁のむこうで、刃物のぶつかりあう音がしている。


「ケンカか?」

「たぶん、そうですよ」

「さっき新入りと言っていたぞ」

「おれ、注意してきます——こら、おまえたち! 何をしてるんだ!」


 ハシェドが怒鳴り声をあげても、いっこうに静まらない。ワレスは舌打ちした。


(マズイな。このすぐ上は中隊長の部屋だぞ)


 ギデオンにケンカの現場を見つかれば、隊長のワレスがまたイヤミを言われる。


 ワレスは手近な者から肩を押しのけ、人ごみのなかへ入っていった。案の定、人の輪の中心で、エンハートとザッツが真剣勝負をしている。


 ザッツはワレスの隊では古参のほうだが、パッと見ただけでも、エンハートが優勢だとわかる。エンハートのかろやかな剣さばきに、ザッツは今にも剣をとりおとしそうだ。それだけに、すっかり逆上してしまっている。血走った目をして、まわりのことなど見えていない。あれでは剣で勝負がついても、今度は素手でなぐりかかっていくだろう。


「両名とも、そこまで!」


 ワレスが急に二人のあいだに入ったから、のぼせあがったザッツは、よく似たエンハートとワレスを見あやまった。そのまま、ワレスに切りつけてくる。


「何やってんだ! ザッツ!」

「うわー!」

「小隊長!」


 周囲から悲鳴の大合唱。

 だが、そこはいくらなんでも小隊長だ。ワレスは自分に迫る太刀筋を見切り、切先をかわしてザッツの手首をつかんだ。ケガはなかったが、勢いあまったザッツの剣は、ワレスの肩をかすめる。バサリと床に金色の髪が束になって落ちた。


「あ、た——隊長……」


 やっと気づいて、ザッツはおとなしくなる。


「きさまたち、なんのさわぎだ? このざまは?」


 ザッツは青くなって。が、問いつめると、口をへの字にむすんだ。


「エンハート?」


 エンハートも答えない。

 どこからかクルウが現れ、弁明しようとしたとき、階上からおりてくる足音がした。


「第二小隊。何をさわいでいる?」


 ギデオン中隊長が威圧的な態度でやってくる。

 群れていたヤジ馬は、とばっちりを恐れていっせいに部屋へ戻っていく。あっというまに人だかりは消えて、ギデオンとメイヒルが来たときには、剣をぬいたエンハートとザッツのようすが丸見えになっていた。


「ワレス小隊長。これはケンカか? おまえがついていながら、監督不行き届きだな」


 言いながら、ギデオンは小窓からの明かりが届くところまで来ると、ワレスの顔を見て眉をしかめた。


「……その髪は、どうした? ワレス小隊長」


 床に散らばる金色の髪を、ずいぶん複雑そうな表情で、ギデオンは見ている。金髪フェチの彼には胸の痛む状況なのかもしれない。ワレスは苛立ちとともに、変な嗜虐しぎゃく心が芽生えて、抑えられなくなった。切られずに残った髪をわしづかみにすると、自分の剣で断ち切る。


「このほうが夏らしい」


 ギデオンの口から、かすれた悲鳴のような声があがる。だが、彼はどうにか、それが叫びになる前に抑えこんだ。ワレスが切った髪を床にすてるのを見つめて、ギデオンはため息をついた。


「バカなことを……」


 ワレスがかるくなった頭をふると、髪を結んでいたリボンがほどけてすべりおちる。


「彼らは新入りの腕前を知りたくて、剣の稽古をしていたのです。場所をあらためるよう、今、私が注意をあたえたところでした。そうだな? ザッツ!」

「は、はい! そのとおりであります!」


 ザッツは緊張のあまり声がひっくりかえっている。

 ギデオンはケンカだということは気づいているだろう。しかし、目の前でワレスに髪を切られたことのほうが、ずっとショックだったようだ。何か言いたげに、じっとりワレスをにらんでいる。そして、もう一度、嘆息して首をふった。


「ならばいい。以後、気をつけるように」


 ワレスはホッとした。が、ギデオンは階段にあがりかけてからふりかえる。


「ワレス小隊長。鏡を見るといい」

「はぁ?」


 ギデオンは頭をふりつつ去っていった。メイヒルがおかしいのをこらえるようにして、中隊長のあとをついていく。


「鏡を見ろだと? どういう意味だ?」

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