第2話

「なあ、予備校サボってくれや。」

「やだ。」

「お家デートしようや。」

「やだ。」

「久しぶりに恋人らしいことしようや。」

「やだ。」

「明の頑固者がぁぁぁ!!」

 流星が子供のように駄々をこねる。絶望したかのように額を覆う流星の片手はしっかり俺の手を握っていた。スクールシャツの半袖からのぞく腕は筋骨隆々としていて、手も大きい。流星のゴツゴツとした手に俺の左手はすっぽり埋もれている。

 9月1日の今日は始業式のみで、学校は午前中に終わった。電車で地元の駅に戻り、併設のショッピングモールへ。フードコートのテーブルに陣取り、俺たちはハンバーガーをかじっている。4人掛けの席なのに、流星はわざわざ俺の隣に陣取っている。肩が触れそうな距離に、朝の膝タッチを思い出して少し身構えた。

「明はさぁ、せっかく学校が早く終わったってのに、楽しもうという気がないのか!!」

「受験生だっつーの!!」

 こちとら1分1秒も惜しいのだ。それでも流星とこうして多少なりとも付き合っている。俺なりの愛情だと察してほしい。

 お昼の時間を少し過ぎたここは閑散として穏やかな雰囲気が漂う。

「……あのさ。」

 暖色の光が降り注ぐここに似つかわしくない暗い表情をしている自覚はある。

「誘ってくれるのは、……まぁ、嬉しいっちゃ、嬉しいけど。」

 本当はすごく嬉しいけれど。でも、そんな事言ったら、絶対流星は調子に乗るので。

 流星の瞳を見つめる。困惑した表情でこちらを見下ろしていた。

「正直、今は時間が惜しいというか。明日だって、校内模試があるし。」

 流星の茶色の瞳に悲しみの色が宿る。

(いや、俺だって言いたくねぇよ!!)

 俺よりずっとデカい図体して、子犬のように表情を歪ませている。まるでこちらが悪いことでもしたかのような気分になる。

「俺も、俺だって、遊んでたいけど。来年の3月まではムリ。お前友達多いんだから、そいつら誘えよ。」

「……ヤダ。」

 流星はふてくされている。

「俺は友達と遊びたいんじゃなくて、明とデートしたいの!!」

「ちょっと、声が大きい!!」

 いくら人が少ないからって、こんな大声を出したら注目される。流星をなだめようとするも、こいつの表情は暗い。

「俺、不安なんだ。」

 落ち込んだ声に、不安がにじむ。

「流星……。」

「明、美人だから。」

「舐めとんのか。」

(美人って、女子への言葉だろ!?)

 確かに昔から、美形だと言われることは多い。美人だと評判の母さんにそっくりらしい。色白で真っ直ぐな黒髪、大きな瞳、通った鼻筋、薄い唇。上品な顔立ちだと、身内ながら思う。

 父親からは、「母さんの生き写しだ。髪伸ばしたら、母さんと見分けがつかないんじゃないか。」なんて冗談をよく言われる。

 俺は短髪だし、そもそも性別も違うのだから、そんなことは無いって必死に反論したけれども。

「子供の頃から、キレーだったけど。最近更にキレイになったし。周りの奴らが明にちょっかいかけないか心配で。」

「人聞き悪いな、おい。」

 流星がまっすぐこっちを見てる。いつもふざけてるくせに、こういう時だけ本気っぽいのがムカつく。

「だって、相変わらず女子によく告白されてんだろ?」

「……まぁ、たまにだよ。昔に比べれば、随分減ったし。」

「男共も、明をチラチラ見てんじゃん!!」

「見てないだろ。気のせいだ。」

 本当は気づいてる。廊下ですれ違う時、誰かの視線を感じること。母さんに似た顔が目立つらしい。でも、それは今に始まったことじゃない。幼い頃からそうだったし、何を今更という話だ。

「……ごめん。」

 流星のテンションは忙しい。興奮したり、急に落ち込んだり。

「ごめんって、何?」

「ワガママ言って。お前、俺と違って忙しいのに。」

「……。」

「もう野球も終わったし、なんか明のことばっかり考えちゃって、……俺、辛えんだ。」

 流星の言葉に何も言えなくなって黙り込む。

「俺たちは来年には離れ離れになるし、そしたらもう今までみたいに一緒にはいられねぇ。」

「……休みになったら、帰ってくるから。」

 俺の言葉はどこか言い訳がましく聞こえた。別に何も悪いことは言っていないのに。

「……今日、家来てくれよ。」

 流星の瞳は仄暗い。先月から、時折流星はこういう目をするようになった。心当たりは充分ある。だから、こういう時は断れない。

「1時間、……いや、30分だけ。俺のそばにいて。」

 黙って頷いた。胸の奥で疼く恐怖を飲み込んで。

 結局流押しに負け、あいつの家に訪れる羽目になった。幼い頃から何度も訪ねている2階建ての一軒家。

「今日、親いないから。」

 そう言いながら、ポケットから鍵を取り出す。さっきまで泣きそうな顔をしていたクセに、今はだらしなく頬を緩めていた。

 不安を感じて、鍵を開けようとする流星の腕を掴む。俺の手の感触に驚いたのか、流星の動きが止まる。

「……ホントにすぐに帰るからな。」

 釘を刺すも、流星はヘラヘラしたままだ。

「分かってる、分かってるって。」

 流星の腕から手を放す。浮かれポンチの流星アホが扉を開ける。無人の玄関が待ち受けているはずだった。

「おかえり、流星。」

 女性にしては大柄で少しふくよかな中年女性がそこにいた。長い髪を一つにまとめ、朗らかに微笑む女性に対し、流星は愕然とした表情を浮かべた。

「母ちゃん、なんでいんの!! パートは!?」

「今日は休みって言ったわよ。忘れたの?」

「……言ってたわ。」

 絶望した流星が膝から崩れ落ちる。一方俺はどこかほっとした気持ちで流星のお母さんに挨拶をした。

「お久しぶりです。夏子なつこさん。」

「まぁ、明くん。やだー、久しぶりじゃない!! 相変わらず、ハンサムねぇ〜。」

「ありがとうございます。」

 誰もいない空間で流星と2人っきりになるのが、少し嫌だった。打ちひしがれる流星を尻目に、夏子さんとの世間話に花が咲く。

「今日も本当に暑いわぁ。水分補給ちゃんとしてる?」

「大丈夫です。バッチリです。」

「明くんって、芸能人のあの子に似てるわ。えっと、名前は思い出せないけど。最近、ドラマにも出てた人。」

「それ、会う度に言ってません?」

 夏子さんとの会話は気楽で好きだ。明るい人だし、ある程度気心も知れてるから気を使う必要もない。でも、それを気に食わない奴もいる。

「今はそんな話どうでもいいだろ。」

 隣の筋肉ダルマが、むすっとした顔で割り込んでくる。夏子さんがくすっと笑う。

「やだ、流星ったら嫉妬? 明くんは昔からハンサムだから、つい話しかけたくなっちゃうのよぉ。」

「ハンサムなのは分かってるよ!!」

 流星の声が少し大きくなり、俺は思わず苦笑い。夏子さんの朗らかな笑い声が玄関に響く。

「明は俺の部屋に連れてくから。」

 流星が俺の手首を掴み、ぐいっと引っ張る。つられて階段を上る。シャツの裾が揺れる。夏の暑さがこもる2階の廊下は、どこか懐かしい匂いがした。

「あとで、ジュースとお菓子持っていくからね〜。」

 夏子さんの声が背後から響く。

「お気遣いなく。すぐに帰るんで。」

「いいよ、リビングに置いといて。後で取りに行くから。」

 流星の部屋は昔に比べて殺風景になっていた。青を基調としていて、ベッド、机、そしてその隣に棚といった必需品が並んでいる。以前は壁に飾られていた野球選手のポスターも剥がされ、壁には何もない。たくさんの野球のトロフィーが置かれていた棚もがらんどうだ。

 どこか寂しさを感じて立ち尽くしていると、そのまま流星のベッドの上に座らされた。熱気のこもった部屋で、忙しない様子の流星がエアコンを付ける。無音の部屋にピッと無機質な音が響く。流星が無造作にリモコンを投げると、驚く間もなく、背後から強く抱きしめられた。

「うわっ。」

 思わず悲鳴が出るも、そんな俺にはお構いなし。頬に唇を当てられ、ゴツい腕が俺の肩と腹に回される。溺れる者は藁をもつかむというが、流星には鬼気迫る必死さがあった。まるで、俺に触れていないと死ぬみたいな。ひしと掻き抱かれて、身動きが取れない。

「久しぶりの、生の、明だ……。」

 熱に浮かれたような、オアシスで水を見つけた旅人のような。ドロドロとした“何か”が感じられる声に体が固まる。

 “生って、何だよ。食べ物じゃあるまいし。”

 そう軽口を叩こうと思ったのに。口はパクパクと水を奪われた魚のように動くだけ。ギシギシとベッドが軋む。互いのシャツのこすれ合う音。流星の荒い息遣い。流星の体臭と洗剤の香り。

 子供の頃から慣れ親しんだ部屋が、途端に淫靡な雰囲気に包まれる。流星の激情を、シーツを掴んで必死に耐える。見えてないけど、俺も流星もきっと人様に見せられない顔をしている。

(気持ちいい、暑い、苦しい、気持ちいい、怖い、こわい、やめてくれ。)

 自分の気持ちが分からない。心の中に渦巻く気持ちはどれも本物だ。恋人ともっと触れ合いたい、最近の流星がよく分からない、少し怖い。

 頭がボーっとする。目を閉じて、体に渦巻く熱を耐える。流星の唇が口元に近づき、かさついた柔らかなそれが俺の唇と重なる。

「あ……」

 声が漏れ、思わず目を開ける。流星の爛々とした目と視線が絡む。カーっと顔に熱が集まる。唇を貪られ、リップ音が響いて耳を塞ぎたくなる。

 急に両肩を掴まれて、抵抗する間もなくベッドに押し倒された。背後に柔らかなマットレスの感触。前には発情しきった2本足の獣。心臓がバクバク鳴る。流星の唇が首筋を滑り、舐められる。髪が俺の肌に触れて、急に正気に戻った。

「離せよ。」

 息も絶え絶えに言うが、流星は止まらない。シーツに縫い付けていた手を流星の肩に当て、押し返そうと力を込めるがビクともしない。

「離せってば!!」

「……え、……なんで。」

 俺の抵抗を物ともせず、流星が俺の体をまさぐる。気もそぞろといった感じで、多分俺の言葉が届いていない。

(下半身に血周りすぎだろ!!)

「そばにいるだけ、30分だけって……」

「もうちょっとだけ、もうちょっとだけだから。」

(もうちょっとで済まないだろうが。)

 流星が完全に性欲に呑まれているのが分かった。

「嫌だって言ってんだろ!!」

 流星を怒鳴りつけて、肩を全力で叩いた。流星の動きが止まる。止まった隙に上体を起こし、距離を取る。背中が壁にぶつかる。自身を守るように、腕を己の上体に回す。

 冷静さを取り戻した流星も上体を起こす。

「……ごめん。」

 流星の声は小さく、さっきの獣じみた勢いは消えている。

「久しぶりに明とって思ったら、なんか興奮しちゃって……。マジでゴメン。」

 震える声。罪悪感に満ちた目で俺を見る。流星が反省しているのは分かる。でも、どうしようもなく許せなかった。

 2人の距離は1メートルもないのに、心は果てしなく遠い。

「……帰る。」

 この空間に1秒たりともいたくなかった。ベッドから立ち上がると、はだけた胸元を手早く整える。その間、流星はウロウロと俺の周りで慌てているだけだ。鞄を掴み、ドアを開ける。

「ま、待って、明!!」

 流星の声を無視して、部屋を出ていく。早足で階段を降りると、トレーを持った夏子さんとバタリと鉢合わせる。

「あれ? 明くん、どうしたの?」

 不思議そうに首をかしげる夏子さんの姿を、直視出来なかった。やましい事をした(正確にはされただが)後で、居心地が悪かった。

「用事出来たんで、帰ります。」

「来たばっかりなのに。ジュースだけでも飲んでいきなさい。外暑いし。」

 純粋にこちらを気遣う彼女の笑顔が、胸に刺さる。

「大丈夫です。ホント、大丈夫なんで。」

 夏子さんの横を通り過ぎ、玄関へ急ぐ。背後で流星と夏子さんが何か話してるが、無視して靴を履く。

「お邪魔しました。」

 振り返らずに玄関の扉を開ける。外の熱気が顔を叩き、夏の匂いが鼻をついた。

「明、待てよ!」

 流星の声が追いかけてくるが、足を止める気にはなれなかった。鞄を握りしめ、早足で歩き出す。蝉の声がやけにうるさい。心臓がまだバクバクと鳴っている。流星の部屋での感触──熱い息、ゴツい腕、押し倒されたベッドの軋み──が頭から離れない。

(あのバカ……。何だよ、あれ。)

 頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどう考えればいいのか分からない。アスファルトから立ち上る熱気と疲労で脚が止まる。閑静な住宅街で立ち尽くす。

(なんで、こんなことになってんだろ……)

 18年間、ずっとそばにいた流星。幼稚園で一緒に泥遊びして、小学校で自転車で競争して、中学で夜遅くまで駄菓子屋でだべって。全部、楽しかった。なのに、なんで今、こんな気持ちにさせられるんだ。

 トボトボといつもなら流星とふざけ合いながら歩く馴染みの道を歩く。脳裏にこれまでの思い出が浮かぶ。

(昔はもっと可愛げあったのに。)

 俺達が付き合う事になったのは、2年前の夏。流星の家で、あいつに告白されたのがきっかけだった。夏子さんがパートに出かけていて、二人っきりのリビング。ゲームをしていたら、急に流星が真っ赤な顔でたどたどしく「好きだ」と口走った。その必死な目に絆されて、俺も「いいよ」と答えてしまった。いや、絆されるくらいには情があった。

 親友だった頃のガサツさが噓のように、恋人のあいつは紳士だった。友達気分の抜けない俺に合わせて、少しずつ恋人として経験を重ねていった。10回目のデートで俺の手をそっと握り、20回目のデートで緊張でガチガチの俺に合わせて、ゆっくりキスをした。

 手をつないで、ハグをして。キスにそして、セックス。流星の部屋で体を重ねたのが、俺の初体験。緊張しすぎて気持ちいいどころじゃなかったけど、流星の不器用な優しさが胸に残った。付き合い始めてちょうど1年くらいの去年の夏。それからは定期的に体を重ねるようになったけれど、その辺りから流星との交際は“楽しい”だけではなくなった。

 中学辺りから、薄々気づいていた。俺は人に比べて、性欲が薄いらしい。同級生との猥談がいつもつまらなかった。誰がエロいだとか、好みの女優だとか。場の空気を壊したくないから、ノリについていこうとはしていた。でも、同級生に見せてもらったエロ本も先輩に見せられたAVも興奮どころか、少しグロいと思った。

 俺の顔につられて告白されることも増えた。断るのが、面倒くさかった。“ごめんなさい。”では済まないことも多かった。泣かれたり、逆上されたり。断った後にまた同じ子に呼び出されたと思ったら、その子の友達に囲まれて尋問されたこともあった。周りの人間は、そのことを“うらやましい。”とか、“贅沢者。”だと言う。逆に、俺は聞いてみたい。

“相手の欲望をぶつけられるのが、そんなにうらやましいか?”と。

 俺のセクシュアリティーは、強いて言えばゲイだ。それは流星も同じ。でも同じだからといって分かり合える訳ではない。

 流星は性欲が旺盛だった。

“出来れば、毎日したい。 “

 冗談めかして言われた言葉が、本気だと気づいた時、俺は引いた。

 正直セックスが好きじゃない。準備も大変だし、親にも見せたことないような恥ずかしい部分をさらけ出さなくてはならない。気持ちいいとは思うけど、体の負担が重い。年に1回、よくて半年に1回で十分だ。

 なのに、流星にはそれが分からないみたいだった。アイツの「もっと」は、俺の「十分」を飲み込んでしまう。先月から昨日みたいなことが増えた。流星の部屋に行くのを最近避けるようになっている。恋人として一緒にいたいのに、どこかで身構えてしまう自分がいる。

 家までの道を歩きながら、頭の中で流星の顔がぐるぐる回る。あの罪悪感に満ちた目。確かに反省してた。でも、反省だけで済む問題じゃない。

(恋人だから、って何だよ。俺の「嫌だ」は、どこ行ったんだ。)

 でも流星が最近殊更にしたがる理由が、性欲だけではないのは分かっている。

(昔は、あいつのこと誰よりも分かっていると思ってた。)

 最後に本音をさらけ出したのはいつだろう?あいつと話す時、言葉を選ぶようになったのは?

 体も心も、俺たちの差はどんどん広がっていく。取っ組み合いのケンカをしたのは、もう何年前だろう。今そんなことしようものなら、俺が大ケガをすることになる。子供の頃は数㎝だった身長差も今や10㎝以上に広がってしまった。いや、20cm近くあるかもしれない。俺は平均身長ぐらいまでしか伸びなかったが、流星は180を優に超えている。

 違っていくことが怖いことだなんて知らなかった。

 日差しが照り付け、体が熱い。でも心は氷のように急速に冷えていく。汗で張り付いたシャツが気持ち悪くて仕方がなかった。

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