第40話 助け
慌てて調合箱に駆け寄り、床に手をついて傷がないか確認しているとお腹に衝撃が走った。
そのまま私は転がり壁にぶつかった。
その衝撃で、棚からポーション瓶が落ちてくる。
ガシャンという音がして、ガラス瓶が割れる。周りにガラスの破片が散らばっていて、慌てて手をついたところガラスの破片にあたりざっくりと手が切れてしまった。
「馬鹿みたい。リリーはそんな風に転がっているのがお似合いだわ」
私の事を見下して、嘲笑するアンジェが目に入る。彼女が蹴ったらしいお腹も、肩も手も痛い。
でも、怖くない。
私には、知識があるのだから。
手が切れるのも構わずに、私は立ち上がった。そして、たじろぐアンジェの隣を通り抜け、カウンターの裏に置いてあったポーションを飲んだ。
上級ポーションはすぐに効果が表われ、傷が癒える。
「馬鹿みたいは、あなたよアンジェ。いつまでも私は家族に囚われてたりはしないし、傷つけられたとしても、私は薬師よ」
「なんなの! 偉そうに! いいわよ、そんな態度なら」
そう言って、アンジェはポケットから笛のようなものを出して吹いた。音はならないので、多分合図を送る魔導具だろう。
何か別の効果があると大変なので、念のため耳を塞いでしゃがむ。
その態度を誤解したのか、アンジェは勝ち誇った顔をしている。
そして、ドアが開いた。
「この女を、痛めつけて!」
「なんで俺がそんな事しなきゃいけないんだよばーか」
叫んだアンジェに答えたのは、場違いな程呆れた声だった。ドアから良く知った顔が表われる。ミカゲだ。息が切れているのが、遠目でもわかる。
「な、なんであんた達なのよ!」
「なんていうか、リリーの妹で貴族の愛妾なんてやってた割に、下品なのな」
「なんですって!」
恐らく、今まで言われたことのない評価に、アンジェは怒りをあらわにした。ミカゲが綺麗な顔をしている事も一因だろう。
「私に向かって、そんな事言うなんて。リリーみたいな女と一緒に居るだけあって、目が腐ってるんじゃないかしら」
それでも馬鹿にしたように言い募るアンジェに、ミカゲはさっと近づいていく。何気ない歩きだが、怯えたようにアンジェは一歩下がった。
「俺は、自分の不甲斐なさが嫌になってるところだ。気分よくファルシアと飲んでいたら、リリーから危険との合図があって、飛んで来たらお前が居るだなんてな。とんだ失態だ」
「危険の合図……? いつのまにそんな……!」
あまりにミカゲが心配するので、以前ギルドで見た呼び出しベルをミカゲの材料を使って作らせてもらったのだ。何かあればすぐ呼ぶとの約束で。
そして、ずっとペンダントとして首にかけていた。
その時はミカゲの警備員としての責任感に驚いたけれど、実際にこういう場面になれば、それはとても心強いものだった。
そして、自分で作ったものだし、言えないけれど、ミカゲからの気持ちをもらったようで、とても嬉しかった。
撫でているだけで、守られているような気になる。
契約が終わっても、呼び出したりしないので貰えないか交渉する予定だ。
「お前に言う必要はない。スラートの野郎がお前との縁を切ったと聞いた時は問題を起こされると面倒だと思っただけだったが、リリーを害する気なら話は別だ。お前はスラートに返却する」
「えっ。戻るようにしてくれるの?」
「スラートの弱みはこちらで握ってるんだ。当然、盗賊の拠点にあった証拠は確保してある。二度とリリーの前に立たないように、お願いしてやるから安心しろ」
ミカゲは優しげな声で、それでも目が笑っていない。そのお願いが穏やかなものではないのを感じる。
それはアンジェも同じようで、さらに一歩後ずさり逃げようとする。
次の瞬間、ミカゲはアンジェの手を後ろで捻り上げていた。
「離しなさいよ!」
アンジェは気丈にもミカゲに怒鳴りながら暴れているが、まったくびくともしていない。
「離すわけないだろ。外にいた奴らもお前が雇ったんだろう? リリーを痛めつける為に」
「そんなの、知らないわ」
「じゃあ、顔でも見せにいくか? 事実確認は大事だもんな」
ミカゲがもう一度手を強くひねると、アンジェは顔をゆがませて、首を振った。
そうして、アンジェが大人しくなったところで、ミカゲは私の顔を見た。その表情は先ほどと違い、眉を下げて困っているように見えた。
「……リリー、こいつお前の妹だけど捨ててきていい?」
拾ったゴミみたいな扱いをされ、更にアンジェは暴れているけれど構う様子もなくミカゲは私に尋ねて来た。
その対比に私は思わず笑ってしまった。
「うーんそうですね……。でも、確かにもう会いたくないのは間違いないです」
「なんでそんな事言うのよ! リリー! 家族でしょう助けなさいよ痛いわ!」
確かにミカゲに掴まれた手は痛そうで、可愛い顔は歪んでいる。
でも、私にはもうそれを可哀想だとか思う気持ちは産まれてこなかった。
「家族として、いえ、そうじゃなくても……もう少し優しくしてほしかっただけなのよ」
私がアンジェに向かってそう言うと、アンジェは繕うように笑った。
「さっきも言ったでしょう? これからは、家族として暮らそうと」
私は首を振った。
「家族として暮らすという事が、私にはもう、想像できないの。ずっと一人で食事をしていたわ。お友達もできたことがなかった。ミカゲさんと暮らして初めて、誰かとの食事を楽しめたの。あなた達と笑いあって食事をすることは、もう出来るとは思えないわ」
「リリー……。覚えてなさいよ。こんな目に合わせて……!」
アンジェは、立場が悪くなると優しい言葉をかけてくるが、見下しているのは間違いない。
この人たちに一体、何を期待していたんだろう。
「リリー。お前がこんな女の言葉に傷つくのは嫌なんだ。……黙らせていいだろう?」
ミカゲが懇願するように呟く。私は自分がいつの間にか泣いていることに気が付いた。
「大丈夫ですよ。もう、大丈夫なんです。ミカゲさんが、私に家族じゃなくても、関係ないって教えてくれたので。アンジュより、家族より、ずっとずっとミカゲさんが大事なんです」
私が涙を拭いて微笑むと、ミカゲも照れたように笑う。
アンジュが何事か叫んでいるが、もう、いい。
そうしてミカゲと見つめあっていると、ドアからファルシアが顔をのぞかせた。すっかり拗ねた顔をしていた。
「ちょっとー。私はいつまでこの馬鹿みたいな男たちを見張ってないといけないの?」
そう言いながら入ってきたファルシアに、ギョッとする。軽々と筋肉がついた体格のいい男を三人引きずってきたからだ。足を縛られた三人は、皆意識がないようだ。
その男たちを見たアンジェは顔色を悪くし、黙り込んだ。
「ファルシアさん、それ……」
「こんな男を三人も集めて、そこにいるお嬢さんは一体何をする気だったのかしらね。あらあら、お店もすっかり散らかって」
ファルシアも微笑んでいるが、やっぱり目が笑っていない。
ふたりとも心配してくれたんだな、と胸が温かくなる。
「ミカゲさん。……お手数をお掛けして申し訳ありませんが、スラート伯爵にお返し頂けるでしょうか」
私が頭を下げると、ミカゲは慌てたようにアンジュに手刀を食らわせて床に置いた。
そして、そっとわたしの事を抱きしめてくれる。
「良かった。……本当に。こわい目に合わせて、ごめん。護衛失格だ」
「ええ。全然そんな事なかったです。ミカゲさんに連絡が取れて、何かあっても助けてもらえると思ったら、凄く安心したんです。今までだったら、きっとアンジュの誘いに飛びついてましたが、そうはならなかったんです。嬉しいです」
「ありがとう……」
ミカゲはもう一度ぎゅううっと私を抱きしめると、私からそっと離れた。
「リリー。……契約が終わっても、一緒に居てくれるか?」
その言葉は夢かと思った。あまりにも願望そのままだったから。
しかし、ミカゲの目は真剣で、私の言葉を何故か心配そうに待っている。
「……はい。はい! 本当に、本当に嬉しいです。夢みたいです」
「……俺もだ、リリー」
「私、ずっと、ずっと……」
嬉しくて、涙が出そうになって言葉に詰まってしまう。
今まで、ずっとそうなったらいいな、と思っていたことがミカゲから申し出てもらえるという事に、胸がいっぱいになる。
そんな私の様子をミカゲは優しく見守ってくれる。
そっと、私の頭に置かれた手は暖かく、安心感がある。
「リリー。これからも、よろしくな」
私はミカゲを見上げた。すると、綺麗な顔をくしゃっとさせて微笑むミカゲと目があった。
結局、私の目からはどんどん涙が溢れてしまう。
「ミカゲさん……。私からも、よろしくお願いします」
そう言って私が手を差し出すと、ミカゲがその手を両手で握った。
そして、その手を自分の顔の高さまで持ち上げ、キスを落とした。
突然のキスに私は動揺してしまうが、ミカゲはいたずらっぽく笑うだけだった。
その笑顔に、私は、いつかこの関係が更に進展したらいい、と図々しい事を考えていた。
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