第四十話

「選手交代です。悪いね」

「いえいえ」

 エンカに代わって前に出てきたフラトに老紳士は、依然として薄っぺらい笑みを張り付かせたまま言う。

「まだまだ楽しませてくれるのでしたら、悪いなどと、思う必要はございませんとも」

「どーだかなあ。やれるだけやるつもりだけどさ、僕が通用するかどうか――」

 フラトはその場で屈伸、手首足首をぷらぷら、とんとん、と小さく跳躍。

「すぅ……………………はあ」

 深呼吸を一つ。

 平静ぶってはみたが恐れはある。素直に目の前の存在が怖い。

 だからこそ――呼吸を正常に。

 気の巡りを正常に。

「待たせた」

「いえいえ、三時間に比べればこんなもの、待った内に入りませんとも」

「…………いや、何て言うか、まあ…………悪かったよ」

 とは言え、目の前にいるこんな滅茶苦茶な存在が待ち受けていた――待ち伏せしていたのだから、あそこで休息を取ったのは間違いなく、正解だったろう。

 まあ、それをして、この場において考え得る限りベストの状態のエンカで尚、致命打どころか、決定打すらなく、有効打も与えられなかったわけだけれど。

 全くもってふざけている。

「ふふ。まあ別に三時間だろうと、三日だろうと、三十日だろうと、三年だろうと、そんなものは私にとってはもう些細な違いでしかありませんしね、言ってみてるだけでございますよ」

「?」

「なにぶん、誰かと会話をするというのも久し振りでございまして」

「ふうん」

「要は、今この時間を出来るだけ長く楽しめれば良いのですよ、私は。その為なら、僅かな時間を割くことであなたが本調子になるというなら、いくらでも待ちますとも」

「それで選手交代も素直に待ってくれたと」

「ええ」

「ありがたいこって」

「いえいえ。礼などは必要ありませんよ少年。私は私の為にしているのですから」

「さいですか。じゃあ、そろそろ」

「ええ。いつでもどうぞ」

「お言葉に甘えて――」

 言ってフラトは、跳ぶでも飛ぶでも駆けるでもなく。

 ふんわりと一歩、踏み出した。

 自然体で――歩く。

 一歩、一歩と、足を前に進める。

 老紳士に向けて。

 真っ直ぐに。

「ふむ」

 老紳士は様子を見るように呟き、観察するように目を離さず、その場から動かない。

「…………」

 警戒されている、かはわからないが、確実に注意を向けられている中、それでもフラトは真っ直ぐに進む。

 僅かな足音すら立てず、しかし着実に歩を進め――あっさりと老紳士に接近し、止まらず更に進む。

 老紳士が『楽しむ』と言った言葉は本気なのか、とっくに杖の間合いには這入り込んでいる筈なのに、迎撃するでもなく、黒い爆発球体も生み出さず、未だ静観を決め込んでいる。

 そして――およそ一メートル程手前。

 フラトは柔らかく跳び上がった。

 跳躍の際に折り畳んだ脚を、身を捻りながら振り回し、老紳士の顔面に蹴りを放つ。

 そんな、見え見えの真正面からの攻撃を、

「おお? おぉう」

 しかし老紳士は何故か、慌てたように杖を振り上げて防いだ。

 僅かに体勢を崩しているところを見るに、演技、というわけでもないだろう。

 あの、エンカが放ったとんでもない速さの突きさえ、余裕をもって杖で弾き、紙一重の軌道に逸らすなんてことを平然とやってのけた老紳士が。

「っ」

 フラトは防がれた足を引き戻し、同時に逆の足を振って再度老紳士の顔面を狙うが、これはしゃがまれて避けられた。

 が。

 フラトは、空を切った蹴りの勢いのままに中空で身体を捻り、横に倒し、振り上げた足を老紳士の脳天に向けて落とす。

「そこから三撃目が来ますか」

 どこかわくわくしたような声を漏らしつつ、老紳士は杖の両端を持って持ち上げ、フラトの蹴りを受け止め、弾いて逸らし、跳び退るようにその場から離脱していった。

「ふむふむ」

 服に付いた埃を払いながら、呟きを漏らす。

 フラトは無理に追撃せず、その場でゆっくりと構え直した。

「ふむふむふむふむ」

 尚も呟きながら老紳士は、突き出した左手の人差し指を自分のこめかみに当てて、

「っ!?」

 ずるるるるる――と指先から根元まで突っ込んだ。

 自分の頭の中に、人差し指を、突っ込んだ。

「んーんーんー、あ、あ、あ、あー、あ?」

 じゅぐり、と指が引き抜かれる。

 その指には血どころか、あの真っ黒な液体も付いておらず、頭に穴が開いたような跡さえも残ってはいない。

「まあまあ、わかってはおりましたが、私のに何か細工をされたわけではありませんねえ。というか、魔術を使った形跡もありませんでしたし……………………しかし、となるとどうして、私はあなたの攻撃を受けざるを得なかったのでしょうか。うーむ、わかりませんねえ。ということで単刀直入に聞きましょう。私に何しました?」

「…………」

「教える気は、ないと」

「種も仕掛けもばっちりあるからさ。こっちは――」

 時間も稼がなくちゃならないし、と心の中で呟く。

 ――このまま続けても、ちょっと無理そうだわ。

 エンカはそう言ってフラトと交代した。

 これだけ待ち望んだ遺跡での試練を前にして、どれだけ無理そうだろうと、まだまだ動ける状態でしかし、エンカは戻ってきたのだ。

 腕の一本や二本、足の一本や二本、折られても千切られてもいないのに、あのエンカがである。

 であれば、彼女なりに何か足りないと感じ、それを補う必要があると判断したのだろう。戦闘中ではそれが無理だから、一旦戻ってきた。

 考える時間が欲しかった――のだと思う。

 きっと。

 多分。そうであって欲しい。

 ナナメのあの『眼』と豊富な知識――それが助けになればいいけれど。

 兎に角、今フラトがしなければならないのは時間稼ぎであり、どんな些細なフェイントも、ネタバラシなんてしてやるような余裕はない。

 効く限りは使い続けてやろう。

 と。

 そんな風に意気込むフラトの背後から、

「おい、教えろ」

「いたっ」

 小石が投げられた。

「は?」

 振り返ると、エンカがもう一つ小石を振りかぶっていた。

「今の何だー。私にもわからないぞ! 何であんな簡単に攻撃ぶつけられたんだ。何でアイツに避けられなかったんだ。教えろー」

「うるせえな! ふざけんな、言うわけねえだろ。ばらしたらもう使えねえじゃねえか。黙って少しでも回復して、頭使え」

「ちぇっ」

 エンカがぽい、と持っていた小石を脇に放り捨てて、不貞腐れたようにまた座り込んだ。

 こんな場面で、本当に意味わからん。

 なんなんだよ、あいつ。

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