二十三話

「このまま、休息に入ろうか」

 食事の終わり際に、エンカがそう切り出したのだが。

「「「……………………」」」

 もぐもぐと。

 もぐもぐもぐもぐと。

 疲労のせいなのか、はたまた単に空腹だったのか、全員が口いっぱいに食べ物を詰め込んでいて、誰もすぐには反応できなかった。

「…………っんぐ。その、休息ってのは……………………っ、どの程度の予定?」

 急いで噛んで飲み込んで、フラトが訊くと、

「っ、ちゃんと寝る」

 エンカも口の中の物を咀嚼して飲み込んで、短く簡潔に返してきた。

「あの、すみません――」

 そこで、申し訳なさそうに手を上げたナナメが言う。

「それが駄目とか否定したいわけじゃなくてですね、一応……………………そこまでちゃんとした休息を取る場合、矢張り気掛かりなのはリセットが掛からないかどうか、なのですが」

「ま、そんなもんは起きたら起きたで」

「え、いや、もしも起きちゃったら……………………いえ、わかりました」

 途中で言葉を切り、ナナメは苦笑しながらエンカの言葉を受け入れた。

「タナさんの言う通り、リセットの危険性は正直低くないと思う。けどさ、甲冑の仕掛けで誰かが重傷を負うようなことは、幸いにもなかったとはいえだよ、私自身は紙一重だった…………っていうか普通に死に掛けたわけだよ」

「でもそれは…………トバクさんだけが正面切って戦っていたからで」

「それはそうだけど、あそこで私が死んでたら結局三人であの甲冑を相手にしないといけなかったわけでさ、やれた?」

「…………」

 ぶんぶんぶん、とナナメが強く首を横に振った。

「まあ、詰まるところ私が死に掛けたっていうのは、あの甲冑の仕掛けに関して言えば、四人全員が死に掛けたってことと同義なわけだよね。あ、っとそういえば……………………」

 何かを思い出したようにエンカは話を途中で切って、他の三人をそれぞれ見回すようにしてから、

「助けてくれてありがとう」

 と座ったままだが、しっかりと頭を下げてお礼を口にした。

「いえいえいえいえ、先程のトバクさんの話からすれば、それこそトバクさんが切り抜けられなければ私達も死ぬことと同義なわけですから、トバクさんと同様に命を張る意味があり、そうしなければ次の仕掛けに進む事も出来なかったわけで、お互い様と言うのが妥当なのかと」

 正面切って命を張り続けたエンカと、一瞬だけエンカの為に飛び出した自分達で、果たして『お互い様』が成立するのかどうか、それを言っている本人のナナメが疑問に思っていそうな表情を浮かべているが、しかし、一方的にこちらからエンカにお礼を言ってもどうせ素直には受け取らないだろうし、なら妥当な落としどころだろう。

 実際、

「じゃ、そういうことで」

 エンカも素直に頷いていた。

 なかなかどうして――最初は過ぎるくらいに堅苦しい印象のあったナナメだが、エンカの性格を理解し、押し付けず抑え過ぎず、適当な距離感を取るのが上手くなっているんじゃないだろうか。

 というか、この場合は人を扱うのが上手いと言えば良いか。

「っとまあ、そういうことでちょっと話が逸れちゃったけど、既に私達は死に掛けるくらいには頑張ったわけだよ。ホウツキ以外は」

「……………………やめてくれ」

 顔を両手で覆って俯くフラトをエンカはからからと可笑しそうに笑いながら、

「冗談冗談」

 と楽しそうに言う。

「咄嗟にタナさんが、ランダムに変わる石突の数字を見て順番を教えてくれたのも、何かしら絡繰りがあるんでしょ?」

「はい、あります」

 ナナメはエンカを真っ直ぐに見返し、躊躇なく、隠す素振りも見せずに言った。

「だよね。凄いものには違いないし、これ以上は言及しないから、タナさんもそこら辺は気を遣わないでね」

「ありがとうございます」

「ただ、あんなことノーリスクでできるわけもないし、見た感じタナさんもかなり消耗はしてる。正直私達は今疲労困憊で満身創痍と言って過言じゃあ、全然ない。この先の仕掛けが、そんな状態で乗り越えられるほど簡単に設定されてるかって考えたら、絶対にノーでしょ。より難しく、激しくなる可能性の方が高い。そんなところに、碌に休憩もせずに突っ込んだらそれはそれでどうせ死ぬんだからさ、だったら、ここでしっかり休んで、起きるかどうかわからないリセットは一旦無視して、次の仕掛けを攻略できる可能性を少しでも上げておく方がいいんじゃない?」

「だな。…………逃げ道はない、これからもっと仕掛けは激しくなる…………今、俺達がそうであるように………リセット機能に関して思いを巡らさせることで、こちら側に緊張状態を強いて、体力や精神力を奪い続ける…………ってのも、この遺跡側の目論見かもしれねえし……………………だったら、崩城みたいに割り切ってどんと構えてる方が、良いかもな」

 もぐもぐ。もぐもぐもぐ――食べる手を止めずにトウロウがエンカの提案に賛同した。

「ということで、私先に寝ちゃいたいんだけど、あと一人誰にする?」

「ではザラメで」

 間髪入れずにナナメが提案した。

「俺?」

「はい。肉体的なダメージを負ってるのはトバクさんとザラメですから。今の食事と休憩で私の方はある程度回復しましたし」

「…………了解。じゃ、先に休ませてもらうわ」

 ということで、最初に睡眠を取る二人組はそそくさと食器を片付け、寝袋を出して潜り込んでいた。

 そんな二人を尻目に、少し遅れて片付けを始めたフラトは、手を動かしながら、隣で同様に片付けをしているナナメに言う。

「もしあれだったら、タナさんも寝ていいですよ」

「え? 私、ですか?」

「はい。肉体的にダメージを負っていないとは言っても、タナさん、多分魔力枯渇寸前くらいまでいってましたよね? あれだけの消耗、そうそうすぐには回復しないでしょうし、結構しんどいのでは?」

「あ、いえ、その…………御心配ありがとうございます」

 ちょこんと可愛らしい仕草で頭を下げられた。

「確かに、ある程度回復した、というのは見栄を張りましたが、それでも私は後で大丈夫です。後遺症、というほど大袈裟なものではありませんが、力を使った余波みたいなものがまだ残ってまして、寝ようと思っても眠れないと思うんです」

「えっと…………それは大丈夫なんでしょうか?」

「はい、ご心配なく。休んでいればその内落ち着いてきますから、どうせならそれからゆっくりと寝たいですし」

「ですか」

「はい。ということで――」

 とナナメがスープを作っていた鍋を持って再び火の上に置いた。

「あ、水いりますか?」

 フラトが咄嗟に亜空間収納を起動しようとするが、

「あ、大丈夫です大丈夫です。これ、見て下さい」

 言ってナナメが指差す鍋の底を覗き込むと。

「あ、魔術陣」

「そうなんです。それでですね、これを起動すると――」

「水が溜まっていってる…………」

「大気中の水分を集めて凝縮する魔術なんです。まあ一度に溜められてこんなものなので流石に食事に利用しようと思ったら別で水を足す必要がありますが、二人分の飲み物を賄うくらいなら十分なんですよ」

「へぇ。そんな便利な魔具もあるんですね」

「魔具ってほんと色々あって面白いですよね。用途によって使い方、道具との組み合わせ方は無限大と言いますか…………あ、ちょっと離れますね」

 水を生成させた鍋を手にナナメは立ち上がり、少し離れた場所で鍋の中の水を一旦かき回すようにしながら床に捨てた。

 割と躊躇ない。

「矢張り、これだけ広いとはいえ『屋内』に水を捨てて汚してしまうのは、ちょっとばかり抵抗がありますが、外にも行けませんし、それに向こうも殺しに来てるわけですしね。こちらも生き抜く為なので少しくらいは許してもらいましょう」

 言いながらナナメが悪戯っぽくはにかむ。

 年相応の少女然としたあどけない笑顔で、素直に可愛らしい。

 悲しいことにフラトは、長年厳しく、ときに優しく、大体においては気まぐれで無茶振りをしてくる師匠と二人きり、山の中で暮らしていたせいで、その精神性は実年齢よりも老成してしまっている部分が多く――妙に悟った雰囲気のある、子憎たらしいガキになってしまっているので、ナナメと大して年齢は違わないのに、そんなあどけない笑顔なんて浮かべられないようになってしまったのだった。

「それからですね~」

 ナナメは上機嫌に鞄をがさごそと漁りながら、器用にもう一度鍋の魔術陣を起動して中に水を生成。

 鞄から取り出したものを脇に置き、鍋の中の水を見つめる。

 カップ二つ分ほどの水は、火に掛けられすぐにぐつぐつと沸騰し、それを確認したナナメがフラトの方を見て、

「それじゃあホウツキさん、カップを」

「あ、はい」

 差し出したカップの中に、ナナメは脇に置いていた袋の中の黒い粉をさらさらと入れ、その後に沸騰したお湯を注いだ。

 自分の分のカップにも同じように黒い粉とお湯を注ぐ。

「珈琲です」

「おー」

「あ、すみません。事前に訊いてませんでしたが、飲めますか?」

「はい。…………あ、美味しい。砂糖を入れたわけでもないのにほんのり甘いですね」

「そうなんですそうなんです。…………っ、うん、やっぱり美味しいですね~」

 一口飲み、ほっとナナメが心底安堵したよな表情を見せた。

「…………」

「あ、あの…………えっと」

 フラトがカップに口を付けながら、何とはなしに、そんなナナメの気の抜けた表情を見ていると、見られるのが恥ずかしかったのか、ナナメは目を泳がせながら、

「本当は、あの、これがだということはわかっているんです。わかっているから、少しでも罪悪感を減らしたくて、二人が寝てからこういうことをしてしまいました。すみません」

 何故か言い訳がましく、説明するようにそう言われ、謝罪までされてしまった。

「はい? え、ちょっと待って下さい。無駄って何ですタナさん?」

「珈琲って実際のところ水分補給にはなりませんから、それを作るのに、水にしろ魔力にしろ使ってしまうのは無駄以外の何物でもないかと」

「あー成程、それで無駄と…………因みに、あの鍋の魔具を起動するのは、そんなに魔力を使うんですか?」

「いえ、そこまでではありません。とはいえ何があるかわからない遺跡の中では、その少しの魔力だって節約するべきだとは思いまして」

「でも、好きなんですよね、珈琲」

「…………はい」

「さっき一口飲んだ時、凄いほっとした顔してましたもんね」

「……………………お恥ずかしい」

「なら、良かったんじゃないですか?」

「でしょうか?」

「これからどれだけ続くかもわからない、その上で命の危険すらある遺跡の中にいるわけで、そんな場所だからこそほっとする時間も必要じゃないかと」

「そう言って頂けると、助かります」

「気を遣ったわけじゃないですからね。僕もこうして珈琲を飲ませてもらってほっとして、ちょっと力が抜けてリラックスできましたし」

 ただまあ実際、とフラトは続ける。

「張り詰めて張り詰めて、張り詰めた先の極限状態だからこそ発揮できる集中力ってのはあると思います。その爆発力が、割と馬鹿にできないくらい凄いことも経験として知ってはいるんですが――」

「ですが?」

「それって持久力ないんですよね。しかも爆発させた後の疲労感も半端じゃないですし。だったらできるだけリラックスした状態で、色々な角度から見られる広い視野とか閃きとか、安定して持ててる方が、結局はいいんじゃないかと思います。個人的には」

「なんか、あの…………ありがとうございます」

「いえいえ、今のところ明確に何もしてないの僕くらいですからね、こうして良い人ぶっておかないと、後々の切羽詰まった状況で捨て置かれかねないですし。少しくらいは、そういう状況でも自分を助けてもらえる可能性を高めておかねばと思いまして」

「………………………………ホウツキさん」

「それにタナさんの魔術オタクっぷりもかなり役立っているのに、切羽詰まった状態じゃあ、その折角の知識の引っ張り出しも上手くいかないでしょうし」

「ホウツキさん!」

「はい」

「折角良い話で終わるところだったのに」

「情けは人の為ならずとも言いますし」

「わざわざ最後に自分でちゃぶ台を返すような真似をしなくてもいいでしょうに」

「最近よくそんなことを言われます」

 フラトは仕方なさそうに苦笑した。

「まあ…………でも、優しい言葉を投げるだけの良い人より、わかりやすくていいですね。今の会話で一層力が抜けた気がします。ありがとうございました」

「危なくなったらよろしくお願いします」

「善処します」

「善処かあ…………」

 目が合い、二人で苦笑してから珈琲に口を付けた。

「それにしてもやっぱりこれ、美味しいですよね」

 最近で飲んだ珈琲と言えば、王都にある、一番美味しいシチューを出すお店でだった。

 正直あそこの珈琲も凄く美味しくて飲みやすかったのだが、それよりも更にコクがあるというか深みがあるというか、フラトの語彙力ではそれっぽいことは言えないが、確かに美味しいと感じるのだった。

 もしかしたら場所や雰囲気、自身の体調なんかで、そんな風に感じているだけかもしれないが。

「命を落とすかもしれない場所ですから、死ぬときになって後悔とか少ないようにと思って、私が持っている中で一番高くて好きなものを持ってきたんです」

 やっぱり持ってきてよかったなあ、とナナメはまた一口飲んで幸せそうな顔を見せた。

「もしタナさんが死ぬような状況になったとしたら、移動系の魔術を使えない僕の方が先に死んでるでしょうし、だったら、僕もこの珈琲今の内に飲めて良かったです」

「…………あの」

「はい?」

「私より自虐的なこと言うの止めて下さいよ。ここは『大丈夫です。皆で生きて帰りましょう』とか励ましの言葉を掛けるところですよ」

「良い人ではないらしいので」

「もう」

「あ」

「何ですか?」

「珈琲飲んだ方がいいですよ」

「ほっとさせようとしないで下さい」

 まあそんな感じで。

 少しだけ、フラトはナナメと打ち解けられたような気がして、その後も寝ている二人が起きるまで、適当な雑談をぼちぼちと続けたのだった。

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