第十五話

「それじゃ、まずはここから一気に山の麓まで行くからねー」

 言うなり、準備運動よろしく、ぐっとその場で屈伸をし出すエンカをフラトが慌てて止める。

「待て待て待て」

「何、ホウツキ」

「何、じゃない。一気にってもしかしてお前、魔術使う気じゃないだろうな」

「使うに決まってんじゃん」

「足手まといなら置いてくってのは、まあ僕だってそうなんだろうが、流石にここでは酷くないか?」

「何でよ、ホウツキなら付いて来れるでしょ」

「いや、無理だろ」

 フラトは手を顔の前で横に振る。

 ふるふるふるふる。

「山の中では付いて来れた」

「あれは山の中だから、だ」

「?」

 エンカが首を傾げる。

「全力って言ってもああいった複雑な地形を駆け回ったり跳び回ったりするのと、何もないところを一直線に進むのは全然違うって話。木を蹴って跳ねたり、枝から枝に飛び移って推進力を得られるなら何とかいけるけど、ただ全力で走るだけじゃあ、トバクが魔術を使って全力で進むのには付いていけないって」

「そうなの?」

「そうなの」

 ぐっと、フラトは力強く頷いた。

「数メートル、瞬時に移動するような瞬発的なものなら、トバクと同じくらいに動けるかもしれないけど、それを持続的に長時間は、僕には無理」

「ふむ」

 しかし、ならどうしようか、という顔でエンカが右手を顎に当てたときだった。

「あの、それでしたら――」

 ナナメがおずおずと、手を上げて言う。

「私の魔術、一緒に使いますか?」

「え?」

 どういうことか、なんてフラトが訊くよりも前に、ナナメが上げていた左手を降ろすと、その掌が向けられた先、地面の上に、目に見える程強烈な風が渦を巻いた。

 高さにすれば三十センチもないそれの上に、ナナメが小さく跳び上がって着地。

 瞬間。

「っ!?」

 とんでもない速度で直上へ吹っ飛んでいった。

 暫くして落ちてきたナナメは、渦から少しずれた位置に、ふんわりと柔らかく、重力を無視したような軽やかさでもって着地した。

 それもまた魔術が行使されたのだろう。あれだけ跳び上がって普通に着地してたら、骨折しそうだし。

「これなら、私が魔術を発動させていれば一緒に使えますよ。えっと…………すみません、お名前は」

「フラト・ホウツキです」

「ホウツキ様。それで、如何でしょうか?」

「そしたら一緒に使わせてもらってもいいですか?」

「はい、勿論です。ただ少しコツがいるので――あ」

「うわああああああああああああああああああああああああああああ」

 最後まで話を訊かずに、試しに、とばかりに渦に乗り上げたフラトが真横に吹っ飛んでいって木に衝突した。

 鈍く低い衝撃音の直後、受け身も取れずに木の根元に落下。

 その様子を見ていたエンカが、

「うはははははははははははははははははは! ひっ、ひっ、ひひひひひひひひひ、ひー」

 腹がよじれそうな程笑っていた。

「くそう…………」

 よろよろと立ち上がりながらフラトが呻く。

「あの…………コツがいるんです。最低でも一時間くらいは練習しないと――」

「十分」

 戻ってきたフラトに申し訳なさそうな、困惑したような様子で声を掛けるナナメの言葉を遮って、エンカが言う。

「待てるのは十分」

 じゅうぶん、ではなく、じゅっぷん。

「え、でもそれは流石に――」

 山の麓まで二日掛かる道のりだ。

 たとえ二度、三度成功させたからって辿り着ける距離ではない。

 故に、この移動方法の精度を安定させるために一時間は必要だろう、とナナメは言っているのだが。

「そうだそうだ。流石に厳しいだろトバク。もうちょっと練習させろ」

「別に出来なきゃ出来ないで置いていったりはしないから安心してって」

「は? 置いていかないって、でも僕はトバクに付いていく手段がないんだぞ」

「だから投げる」

「え?」

「私がホウツキを前にぶん投げて、走ってキャッチ、また投げて走ってキャッチ。これを繰り返せばフラトも一緒に来れるでしょ」

「…………」

 多分本気で言っているな、というのが察せられてフラトの表情が引き攣った。

「まあ、練習時間十分は取るからさ、それで出来るようになればそれはそれでいいし」

「頑張ります」

「いや、あの頑張りますって――」

 困惑するナナメの前でフラトが再度、渦に飛び乗る。

「よっ! ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 今度は少し角度を上げて、しかし横方向に、砲弾のように吹っ飛んだ。

「……………………っし、今度は木にぶつからなかった」

 小走りに戻ってきたフラトはそんなことを満足気に言っていた。

 確かに、予め渦に飛び乗る方向を見定め、障害物のない開けた方へ飛び出すように調節はしていた。

 結果、ざりざりざりざり、とかなりの勢いで踵を地面に擦り付けてブレーキを掛けながら着地していたわけだが。

 それは――木にぶつからなかったどうこうで済ましていい問題なのだろうか、とでも言いたそうな表情で、心配そうにナナメが見る。

 そんなナナメの目の前で、フラトは感覚を確かめるようにその場でぴょんぴょんと跳ねてから再び、渦に飛び乗った。

 今度は更に大きく角度を上げて、ちゃんと斜め上の方に飛んで行く。この魔術を使った移動方法としては、距離を稼ぎつつも、空中で体勢を整えるだけの猶予もある――かなり具合のいい跳躍になったかに思えた――が。

「あ――やばいやばいやばい! 高い高い! 着地! ちょ、誰か助けて! 足折れる!」

 急上昇から一転、降下しながらフラトが叫び散らし、慌ててナナメが左手をフラトの方へ翳すと、着地と言うより激突寸前、フラトの身体を包むように強風が起こり、軽やかに地面へと下ろされた。

「ふぅ」

「ありがとうございます。助かりました」

 安堵の吐息を漏らすナナメの下へ小走りに戻ってきたフラトが、頭を下げて言った。

「いえいえ。こちらこそ対応が遅くなってすみません」

 ナナメが謝る必要などないだろうに、ちょこんと頭まで下げる。

 物腰は丁寧で礼儀正しく、律儀な少女である。

 しかしだからこそ――違和感はどうしても拭えない。不可解ですらある。

 身に着けている物は、ぱっと見質素には見えるが、どう見たって質自体が良いのは、フラトの目から見てもわかった。

 それに、なんというか、彼女の纏うそこはかとない上品さ。

 とても命を懸けなきゃいけないような泥臭い場所に行く雰囲気は感じられないのだが……………………事情は人それぞれということだろうか。

 それが何であれ、ナナメのおかげでこうして移動方法を確立出来そうなのだから、フラトに文句はない。というか感謝せねばなるまい。

 彼女達がいなければ、フラトはエンカにぶん投げられて山の麓までいかなければならなかった可能性がとても高いのだから。

 普通に危なそうだし、怖そうだし、冗談じゃない。

 ということで、フラトは改めて意識を目の前の課題に戻す。

「なんとなく、ちょっと、わかってきたかも」

 そう言いながら、フラトは何かを確認するようにその場で数度、軽く跳躍。

 よし、と頷いて再び渦の上に飛び乗った。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 そして、今度こそ、直上に吹っ飛んでいった。

「嘘…………」

 とその光景を見ながら、見上げながら、ナナメが驚いたように声を漏らしていた。

「それ、そんな難しいの?」

 そんな彼女の様子に興味を惹かれたのか、エンカがナナメに問う。

「あ、いえ…………慣れてしまえば難しいということもないと思うのですが、普通はもっと弱い勢いから始めて徐々に慣れていくんです。ただ、山の麓まで一気に、ということなので、私が制御できる限界ら辺の勢いを出しているのですが、そんな状態で練習してこんなに早くコツを掴めるなんて思わなくて…………」

 前に飛び出すより、真上に跳び上がる方が難しいのだとナナメは言う。

 そんな二人の目の前に落ちてきたフラトが再び、ばびゅーん、と空に向かって吹っ飛んでいく。

「ま、身体操作には自身があるみたいなこと言ってたし、これくらいはできるでしょ」

 などと跳び上がっていったフラトを見上げながらエンカは軽々しく言った。

 相変わらずフラトに対する評価が異様に高いというか、期待値が高いというか。どちらにしろフラトにとっては頭の痛い話である。

「はあ…………ああいや、違います。そうじゃないんです」

 ばびゅーん。

「ん?」

「勿論、運動神経とか身体操作のセンスとかそういうのもあるんでしょうけど、一番は――」

「一番は?」

 一番――怖いのは。

「最初、あれだけの速度で木に衝突なんてしておいて、そのあと何事もなかったようにすぐに二度目のチャレンジに移った、その胆力です」

 普通は怖気ずく。

 勢いを殺せるよう、魔術の方をどうにか制御できないものかと考えるのが普通なのだ。一歩間違えれば確実に身体を、物理的に壊すのだから。

 なのに、まるで当たり前に、躊躇なく、怖がることすらなくやってのけるのは――正直に言って異常なことだった。

 だが、そんな風に言うナナメにエンカは、

「そんなの――これから遺跡に挑戦しようとしてるんだから、当たり前でしょ」

 何で今更そんなことを、とでも言いたげな顔で口にした。

 やらされているわけではなく、自分の意思で『遺跡』なんて場所に臨もうとしている奴は大なり小なり、どこかしら普通とはかけ離れてしまっているところがあるだろう、と。

「それも――そうですね」

 確かに、と納得したように頷くナナメの傍ら。

 ばびゅーん、ばびゅーん。

「あのさっ!」

 ばびゅーん。

「ちょっと!」

 ばびゅーん。

「助けてくれないかっ!」

 ばびゅーん。

 何度も落ちてきては跳び上がるのを繰り返すフラトが、着地の一瞬を狙いすまして、目の前の二人に懇願した。

「あ、すみません!」

 ナナメが素早く地面に発動した渦を消し、フラトの着地を見計らってふわりとその身体を地面に下ろした。

「ふぅ…………助かりました。ありがとうございます」

 再びフラトはナナメにお礼を言いながら頭を下げ、次いでエンカの方を向き、訊く。

「トバク、もう少しだけ練習の時間いける?」

「あと一、二分くらいなら残ってるでしょ」

「了解」

 エンカにとっても待ちに待った遺跡への挑戦なわけで、あまりこんなところで足止めさせられるのも、我慢の限界があるというものだろうし、こんな場所で時間を食っていては折角朝早くに出てきた時間が無駄になってしまう。

 頷いてフラトは改めてナナメの方を見る。

「お願いがあるんですが」

「何でしょう?」

 こてん、とナナメが首を傾げる。

「もう一度同じ場所にさっきの渦の魔術を発動してほしいのと、実際にその魔術を使って移動することを想定した二つ目の渦も出してほしいんですが、二つ同時に出しておくことは可能ですか?」

「はい、それくらいなら問題なく」

 そう言ってナナメは手前と、距離を置いてその先に風の渦の魔術を発動した。

「あれくらいの間隔か……………………よし」

 数歩、横に移動したりして距離感を計っていたフラトは頷き、二つの渦の直線上に立った。

「それじゃあ――」

 時間もないので、早速フラトが手前の渦に飛び乗ると、その身体が勢いよく射出され、綺麗な放物線を描くその先は、見事に二つ目の渦。

「…………もうコントロールしてる」

 驚きの呟きを漏らすナナメの隣でエンカが、ふふん、と鼻を鳴らす。

「だから言ったでしょ」

 まるで自分のことのように誇らしげに言う――のだが。

 そんな二人の視線の先。

「あ…………うわぁああああああああああああああああああああああ」

 見事に二つ目の渦に着地をして見せたフラトの身体は、当然のごとく、そこからも更に先に吹っ飛ばされていった。

 遠い目をして二人の少女がそれを見つめていた。

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