第十四話
午前七時過ぎ。
宿の一階に併設された食堂で大盛の朝食を食べお腹を満たした二人は、それぞれ鞄一つを背に組合に来ていた。
フラトは、まあ、例によって頭の上に蜘蛛もいるが。
これだけ朝早くとも、既に中にはまばらに人がいて、奥ではギキが手を振っていた。
昨日約束していた通り、何かしら必要なものを用意してくれていたのだろう。
因みに――宿を出てからここまでの道中でエンカには改めて『これから一緒に遺跡に行くことになるが本当にいいのか』みたいなことを訊かれたが、フラトは迷いなく『勿論』と答えた。
エンカが『遺跡』なる場所を目指していること、そこが命懸けの難易度を誇ること、そういうのは既に聞いて知った上で、彼女からの誘いに乗ったのだから。
まあ、信頼している、なんて言われ調子に乗って、ちょっと軽々しく返事をした感は否めないが…………。
旅というのはそれくらいの気軽さでいいのだ。多分。
命を拾うのも、懸けるのも。
「…………んー」
受付にいるギキの下へ向かう途中、エンカが左右に視線を振りながら思わし気な声を漏らした。
「どうした?」
「なーんか、におうんだよねー」
「は?」
「きな臭い」
「何が?」
「…………んー」
具体的な返答はなかった。直感なのだろう。
普段出入りしているだけに、組合内の『いつも』と違うところを敏感に感じ取っているのだろうか。
何にしろ、フラトにはその違和感はわからなかった。
「おはよう、お二人さん」
受付前に辿り着いた二人に、にこにことギキが挨拶を口にした。
「おはようございます」
「おはよう。早速ですけど書類書いたらすぐに行きますから」
ギキに向かって淡々とエンカがそう告げると、
「わかってるわよ。準備はしておくって言ったでしょ」
ギキが机の下から二枚の紙を取り出して、フラトとエンカの前に置いた。
紙には大きな文字で『誓約書』と書かれていた。
――ざっと内容に目を通す。
要は、封鎖地域内において全ての行動を自己責任とし、怪我や病気、最悪死ぬことになろうと組合はその一切の責を負わない――というものだった。
行きたきゃ勝手にしろ、ということだ。
続けて、封鎖地域内で発見した物品に関しては、組合としては発見者の所有権を優先する、ともある。
発見した物品を回収することで土地そのものを大きく損傷するなど、環境に多大な変化をもたらすようでなければ、だが。
「ふむ」
隣からの声に視線を向けると、エンカも誓約書をしっかりと読み込んでいた。
てっきりこんなものは読み飛ばしてさっさと署名だけ済ませているのではと思っていただけに意外である。
慎重という概念も持ち合わせているらしい。
「いたっ」
フラトのお尻が蹴り飛ばされた。
「あ、ホウツキ君左利きなんだねえ」
全て読み込んだ後、自分の名前を署名しようとペンを握ったところで、ギキがそんな風に言った。
「え? あ、はい。まあ」
昨日も目の前で名前を書いたりしたわけだが…………ああいや、でも、改めて見て気付いたということもあるか。
しかし利き腕の話を振られてどう返したものか。
この話題って膨らむのか?
もうこの際適当に、オウム返し的に、きっと違うだろうけど『ホノモモさんも左利きなんですか?』とでも訊いておこうか。
などと。
フラトがよくわからないことで逡巡していると。
「そこを何とか、お願いします!」
隣の受付から大きな声が聞こえてきた。
組合の中にいる人間の視線が一斉に声の主――黒いコートに、フードを目深に被った二人組に向けられる。
一人はフラトよりも身長が小さく、逆にもう一人はかなりの高身長で、凸凹な組み合わせだった。
大きな声を出したのは頭を下げている身長の低い方だろう。
女性の声に聞こえた気がしたが、コートが細かなシルエットを隠し、フードが頭部をすっぽり覆っているせいで、性別はわからない。
「どうしたん?」
あからさまに困惑している様子の隣の受付の女性に、ギキが話し掛けた。
「先輩…………。あの、このお二方なんですけど」
「うん」
「二人とも栄の位の序列を保有されているのですが、その…………封鎖地域である南の山に這入りたいと仰ってて」
「サワスクナ山?」
「はい」
隣の受付の女性が困ったように頷く。
「ふーん、でも一応組合としては、封鎖地域に這入れるのは華の位からってしてるからねえ。或いは、華の位の同行者として這入るかだけど」
「はい、私からもそう言っているのですが…………」
本当に困り果てたような、消え入りそうな声で、隣の受付けの女性は言うのだが、
「あれあれ、困ったねえ」
反してギキは、言葉とは裏腹に全く困ってなさそうな、薄い笑みすら浮かべている。
しかも。
「ねえ、エンちゃん」
と何故かエンカの方まで見て言うものだからますます意味がわからない。
だが。
「ちっ」
何を察したのか、エンカが短い舌打ちを鳴らした。
「生半可な貸しじゃあないからね」
「がってん承知」
いい笑顔で親指を立てるギキ。
「はあ…………んじゃ行こうかホウツキ」
「え、ああ。了解」
慌てて誓約書に署名を終えて、とっとと出口に向かうエンカの下へ急ぐ。
フラトは、エンカが去り際、誓約書をギキに渡すのと同時に耳元でぼそりと、
「王都正門外、真っ直ぐ五分くらい歩いた場所で」
と、そう言うのを聞いた。
●
王都の外、街道からは外れた、草原にぽつぽつと立つ大木の根元にフラトとエンカは立っていた。
「ごめんねえ、ホウツキ」
「いや、別に僕は気にしてないっていうか…………正直、状況がまるで飲み込めてないんだけど、なんのやり取りだったの?」
「さっきの黒コートの二人を同行させることになった」
「ふむ。成程」
それはまあ、そうなんじゃないかと思っていたが、フラトとしては何故エンカがそれをあんなにも潔く受け入れたのか、が気になっていた。
貸しがどうこう言ってはいたが。
いざこれから楽しみにしていた遺跡へ向かおうというときに、余計なものを手元に抱える判断をしたことに驚いている。
「丁度良いね」
そう言うエンカの視線の先――丁度街道から外れて、先ほどの黒コートの二人がこちらに向けて歩いて来ているのが見えた。
「どうせなら、本人たちも交えて答え合わせと行こう」
黒コートの二人もエンカ達に気付いたらしく、まず低身長が小走りに走り出して、それを追うように高身長の方も足を早めた。
そして。
「申し訳ございません!」
目と鼻の先まで近付いてきて早々、身長の低い方がおもむろに頭を下げて謝った。
それから、ぼうっと後ろに控える高身長の脛を蹴り飛ばす。
「あだっ…………」
それで察したのか、高身長も頭を下げた。
声音と、ちらりと見えた顔からしてこちらは男性だろう。
「いきなり謝られても反応に困るし、取り敢えず顔を上げて欲しいかな」
「は、はい…………」
少し緊張したような声音で頭を上げた低身長は、そのまま自分の頭部を覆うフードを取り払った。
角度を付けて真っ直ぐにカットされた前髪と、丸い眼鏡が印象的な、金髪の少女。
眼鏡の奥の瞳も金色で――まだ幼さの残る容姿ながら、そこはかとなく気品を感じる。
「私はナナメ・タナツサクと言います。歳は十四。一応、風系統の魔術が使えます」
はきはきと言って少女――ナナメは小さく、もう一度頭を下げた。
次いでフードを取った高身長の方は、切れ長の目に、ぼさぼさの茶髪をしていた。
瞳の色も同様に茶色だが、髪に比べて暗い色をしている。
「俺はトウロウ・ザラメ。使える魔術はお…………いや、この子と一緒で風系統だな」
少し怠そうに話す。
身長だけでなく、雰囲気まで真逆の二人だった。
「私はザラメから魔術を習ったので、魔術に関してはザラメの方が上手く使えます」
その言葉に男――トウロウは肩を竦めるだけで応えた。否定も肯定もない。
ふと、師匠と弟子のような関係性なのだろうかと、フラトは勘繰ったが、それにしては先導しているのが弟子っぽい少女の方なのが気になる。
「ま、ということで――」
エンカはフラトを見て言う。
「――私達は謀られたわけよ」
「何が『ということで』なのかわかんないんだけど、どういうこと? 謀られた?」
「謀られたし、計られた。昨日私達の食事にホノモモさんが付いてきたでしょ」
「その件につきましては――痛っ」
思い出して恥ずかしくなって、一歩下がって頭を下げようとしたら、お尻を蹴られた。
しかも服を掴まれて元の位置に強引に戻された。
「あの食事のときはホウツキを紹介して欲しいなんて言ってきたし、まあホウツキがどんな人物なのか、その人となり、あとは私との関係性とか気になってたってのは本当なんだろうけど、多分本題は――帰りがけにそれとなく訊いてきた、今日の私の行動なんだろうね」
「今日遺跡に行くのに、朝早めに組合に顔を出すって話?」
「うん。組合に這入ったとき、こっちを見てたホノモモさんの視線が一瞬ぶれたような気がして引っ掛かってたんだよね」
「きな臭いって言ってたのはそれか」
左右に視線を振っていたのは、そのギキの視線の『ぶれ』の正体を確認しようとしていたということだったらしい。
よくもまあそんな細かいところに気が付くものである。
「多分私達が這入ったときには既にこの二人も中にいて準備してたんじゃないかな。私達が受付に到着してすぐに隣の受付に女の人が立って、二人がすぐにそこに来たし」
「そこまで気付いてたのか」
どれだけ視野が広いのか――というか、きっと、ずっとそのギキの視線の『ぶれ』が気になって周囲に気を張っていたのだろう。
フラトなんて呑気に誓約書と睨めっこしていたのに。
「左利きどうこうってホノモモさんがホウツキに切り出したのも、もしかしたら隣の二人の為の合図だったんじゃないの?」
「まあ、昨日も目の前でペン使って署名してるしな。左利きなのはそのときに気付いてて、何となく合図として都合が良かったって感じか」
しかしまあ、それで。
「謀られた、か」
謀られたし――計られた。
「多分この二人は封鎖地域に行きたいっていうか、行きたいのは遺跡の方でしょ」
そう言ってエンカがナナメを見ると、ナナメはばつの悪そうな表情を作って、けれど、
「はい」
と肯定して頷いた。
「でも組合としては序列の関係で認めるわけにはいかないから、ちょうどよくいた私達があてがわれたってところなんだろうけれど、さて、どうかな?」
「仰る通りです。どうしても、どうしても遺跡に行きたくて、どうにかできないものか結構前からホノモモさんに相談をしていたんです。そしたら…………」
今回の事を提案、計画してきたらしい。
「まあ、俺は別にそんな危ないところに率先して行きたいなんて、痛っ!」
ぼそりと水を差すようなことを言おうとしたトウロウの脛をナナメが蹴り飛ばした。
「でもいいのかよ。このホウジョウと一緒にってああああああああっ!」
先ほどよりも明らかに勢いと力を込めた蹴りがトウロウの脛を襲った。
しかも――
「いだっ、ちょ、痛いって、待て待て、悪かった! 悪かった、俺が悪かったから、蹴るのを止めてくれ」
二度、三度と止まらず、連続で蹴り続けられていた。
遂には、トウロウは蹲って脛を抱える始末。
「ホウジョウ? 何トバク、女神扱いされてんの?」
ふと気になってフラトがエンカに訊くと、
「!?」
当人であるエンカからは少し驚いたような表情を返された。
なんならナナメも驚いたような表情をフラトに向けている。
そんなに変なことを言っただろうか?
「あれ? ホウジョウって『豊穣』のことじゃないのか?」
寧ろその読み方で他の意味の言葉を、フラトはぱっと思い浮かべることができなかった。
ホウジョウなどと言ってエンカのことを指しているようだったから、てっきり豊穣の女神的な扱いをされているのかと思ったのだが。
まあ、二人の反応からするに、違うのだろう。
「そのザラメって男が言ったのは、崩れる城で『崩城』」
エンカが教えてくれた。
「何それ?」
「文字通り、王都にある王城の一部をぶっ壊したから崩城」
「え!? トバクお前、城壊したの? 何で?」
「だって、王家直属の部隊に入れって勧誘がうるさかったから黙らせようと思って」
唇を尖らせ、エンカが拗ねたように言う。
子供っぽいそんな仕草に反してやっていることはとんでもなくえげつない。対比がえぐい。
「まじか…………とんでもねえな、それで城壊すんかよ」
「王家の部隊も半数くらい病院送りにしたかな」
「絶対その人達が付けたあだ名じゃん。二つ名『崩城』とか…………かっけー」
「うるさい」
「いったっ! 何でケツ蹴んだよ…………あ? もしかしてそういうこと? ザラメさんがあれだけ蹴られたってのは、もしかしてそれ、世間的に蔑称みたいになってるってこと?」
フラトがナナメの方へ訊きながら視線を向けると、表情を歪めて小さく頷いた。
そういうことらしい。
「まあ、確かに王城壊すって良いことではないもんな。でも格好良くないか? 『崩城』って二つ名。そんなことできる奴他にいないだろうし」
「格好良いかはわからないけど、それやったから私、華の位になったんだしね」
「そうなん?」
まさかの昇格のきっかけだった。
「それだけ高位の序列を与えておけば下手な手出しがなくなるってね。高位の序列持ちなら、王家直属だのなんだの言って腐らせてないで、普段から魔獣対処に当たって、市民の安心と安全を提供ってこと」
「成程なー」
「別に私は気にしてないんだけど、ホウツキが言ったように、王城を壊すのは良くないからこの二つ名も蔑称、みたいな認識があるだけ」
とはいえ、とエンカ。
「とはいえ――格好良いなんて言われたのは初めてだけどねー」
「いや格好良いだろ。人一人が城壊したんだろ。どこぞの英雄譚かってくらい滅茶苦茶で面白いじゃん」
「あーはいはい。もういいよ。やめてよ恥ずかしいなー」
ひらひらと手を振りながら適当にあしらわれてしまったが、どことなく、エンカの表情は不快そうではなかった。
というか。
面白いことが好きなくせに、自分が『面白い』と評価されるのは恥ずかしいらしい。
「あ、あの…………トバク様」
機会を窺っていたかのようにおずおずとナナメが声を上げた。
「ん?」
「それで、その…………私達はトバク様に同行しても宜しいのでしょうか?」
「ああ、良いよ。そりゃあね」
「本当ですか!?」
ナナメの表情が一気に晴れやかになった。
「本当も何も、拒否するならそもそもこんなところに呼び出してないし、私達だって待ってないよ」
「ありがとうございます」
ナナメが嬉しそうに頭を下げる。
だが。
「でもね」
と幾分真剣な口調でエンカは続ける。
「守れないよ」
と。
「同行を許したからって、私が華の位だからって、守れないよ。勿論、誓約書に署名しただろうけれど、全て自己責任だからね。皆、等しく平等に命を懸けなきゃいけない場所に行こうとしてるのはちゃんと理解してる?」
そう問うと、ナナメは、
「はい」
と力強く頷いた。
エンカはそれを見て、すっと視線をトウロウの方へ向けると。
「わかってるさ、それくらい」
こちらも、どことなく軽薄ではあるが、頷いた。
「それから待てないかもしれないし、足手まといなら置いてく可能性だってある。正直二人の強さや有用性がわからない今、私は、私達はかなり割り切って二人のことを見なきゃいけないからね。厳しいし、嫌な言い方だけど、これが今の本音。それでも同行する?」
その言葉にナナメは短く息を吐き出してから、ぐっと力を込めて言う。
「大丈夫です。それくらい、覚悟の上でここに来てます」
そしてトウロウは、
「…………」
何も言わないものの、手を上げて同意を示した。
「うん。ならいい」
エンカも満足気に頷いた。
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