第七話
「あんたが孤児院にいたとき、他にも五人の子供達がいて、年代も同じくらいだったし、仲も良いように見えたわね」
「え、全員で六人だったんですか? その、よく一緒にいたのがその六人とかではなく?」
「全員で六人よ。あのね、まあ今でこそこれだけの規模の建物になって『学び舎』なんて名乗り、玄関で多くの靴も見たからそんな風に驚いてるんでしょうけど、こんな場所にある小さな町なのよ? そもそもそんなところで六人も孤児がいる方が、多いくらいなのよ」
「…………確かに、言われてみればそれもそうですね。でも、だとすると、今これだけここに子供達が多いのも変な話なのでは?」
「王都の方からこっちに流れて来てんのよ」
「子供の足で、ですか?」
「まさか。商人が連れてくんの。再建のときに王都側からある契約を持ちかけられてね、実際に野菜や肉の輸出が軌道に乗ったら、王都側で預かり切れない子供をこっちで面倒見てくれってことで、引き受けてんのよ。実際この町の再建から、畑なんかの整備、商人の派遣なんかも最初は王都主導でやってくれたし、この学び舎に関しては、子供達を引き受けている関係上って面もあるんでしょうけど、向こうから講師も派遣されて、良い環境が整えられていると思うわ」
「成程。手厚いですね」
「ほんとにね。でもま、向こうの言い分としては子供がどこかしらの世話になることで、将来の犯罪を未然に防げる、治安の悪化を防げる、こっちはこっちで人手が増えて稼ぎも増やせるってことらしくて、嘘か本当か遠くない内に町の規模を広げる大改修、大規模工事が王都主導で行われるとかなんとかって話もあるくらいだからねえ、ま、この町がそれだけ大事に思われてるってことで飲み込むことにしたのよ。実際、この十年で何のデメリットもなければ、害を受けたこともないしね」
ということで――閑話休題。
「話を戻すわよ。ここが孤児院だったときに六人の子供がいて、あんたがいなくなった日、この町が魔獣に襲われたあの日は――その中の一人の女の子が誕生日だったのよ」
「誕生日、ですか」
「そ。誕生日。そのことが、あんたが尖狼に追われる原因になったのかどうかは私は知らないけどね、ただその日は一人の女の子が誕生日で、午後の自由時間にあんたともう一人の男の子が一緒に施設から町中に出て行っていて、夕方前に帰ってきたのがその男の子一人だけだったってことしか、私は知らない」
「その男の子から何か話は?」
「その子は、まああれよ…………恋だったらしいわ」
「はい?」
急に何だ?
「誕生日だった女の子が好きだったそうよ。それであんたに相談して誕生日プレゼントを買いに出て行ったんだってさ」
「はあ」
どうにもその状況を上手く想像できない、というか、しっくりこなくて生返事になってしまう。
覚えていないだけに何とも言えないが、フラトは自分が異性にあげる誕生日プレゼントの相談役として気の利いたことを言えたとは思えない。何せ頭に掌大の蜘蛛を乗せていることを良しとできる人間なのである。そういう人間性なのだ。
そういう根本的な部分の性質は、記憶を失おうがあまり変わらないのではないだろうか。
現にこの町の目抜き通りを歩いているときも、特に女性には距離を取られているようだったし。
「そこで、小さな髪留めを買ったらしいんだけど、男の子はそこから余ったお金でちょっとしたお菓子を買いに行って、あんたはそれについていかなかったんだって」
「別行動に?」
「らしいわ。ただ、あんたが何の為に、何をしたくて、どこに行きたくて離れたのかは男の子も知らないって言ってたわ。訊いたけど何も答えずに走って行っちゃったって」
「それはもう、なんと言うか――完全に自業自得ですね」
「他人事みたいに」
記憶がないのだからそれも過言ではない。
「まあ、そういう状況であんたが村の外に出たっていうなら、考えられることとしては食料の調達かな、と私は踏んでるけど」
「食料?」
「そのときは…………まあ、そこまで困窮していたわけじゃないけど、だからって誕生日を盛大に祝う余裕があったわけでもないからね。そこで、肉の一つでも確保できればいいんじゃないかとか思ったんじゃないの?」
「そんなことを僕が、ですか?」
「当時、私から見たあんたは、まあ、そういう子だったわよ」
「そういう子とは?」
「なんていうか、別段自身の主張が激しいわけでもなく、ぼうっとしてるように見えることも多かったけど、意外に視野が広くて、同じ子供達だけじゃなく大人相手にも、器用に気を配っていたわ」
「何か、小癪な奴ですね」
「あんたのことよ」
「あらら」
「今のあんたの方がよっぽど生意気だけどね」
「まさか」
「そういうところね」
「…………」
フラトは誤魔化すように視線を逸らして肉にかぶりついて噛み千切り、それを見たクビキも小さく溜息を吐き出してから、
「ま、そういうことがあったのよ」
と雑に締め括ってから、自分の肉に噛り付いて頬張った。
それからまた無言で二人は肉を噛み千切り、咀嚼して飲み込んで舌鼓を打つ時間が過ぎた。
「ごちそうさまでした」
フラトが先に食べ終わり、串をお皿の上に置いて、手を合わせ、言う。
「食べ終わったなら、お皿とあんたが持ってきたその鞄はそのまま置いといていいから、廊下出てこの食堂の二つ隣にあるお風呂行ってきなさいな。戻ってきたら部屋に案内するわ」
クビキが、まだ肉の塊が刺さっている串の先で食堂の出入口の方を指し示しながら言った。大変行儀が悪い。
「わかりました…………っと、そうだ」
立ち上がり、出入口へ向かおうとしたところで思い出したようにフラトが振り返った。
「どうしたの?」
「ちょっと質問が」
「何?」
「そのお肉を出して下さったとき、魔力を使ったからお腹空いて、みたいなことカイガイさん言ってましたよね」
「言ったっけ?」
「言ってました。その使った魔力――というか魔術は、もしかして、あの石を投げてくるときに?」
「そうよ」
あっさりと肯定して肉を噛み千切るクビキ。町中で人に向けてあれほど攻撃力の高い魔術を行使しておいてまるで悪びれる素振りもないその人間性は甚だ疑問だが、兎も角、魔術の行使があった。
「じゃあ一つ思ったんですが、その魔術を利用して、投げた小石の軌道を途中で曲げる、とかは出来ないんですか?」
あのとき、飛ばされた石そのものではなく、飛ばしてくるクビキの視線、手の動きを見ることでフラトは投石を大雑把に避けていたわけで、魔術が行使されているとなればそんなトリッキーな動きもあるかもしれないと警戒はしていたが、実際にそれをされていたら無傷では済まなかっただろう。
「出来るわよ」
「え?」
「え、って何よ。別に狙撃なんて言うほどの距離じゃないんだもの。それくらい、やりようはあるわよ。でも、そんなことしたら本当に当たっちゃうでしょうが」
「はい?」
「は?」
「いや、本当に当たっちゃうって、僕が避けなきゃあれでも当たってましたが」
「でも当たってないじゃない」
「そりゃあ避けましたからね」
「じゃあいいじゃない。大体、それくらいは出来ると踏んだ上でやったのよ、私は」
「十年の時を経た再会で間もなかったのに、どうやって、何を踏んだんですか」
「そりゃあ……………………立ち居振る舞いからよ。なんかあるでしょ、出来る人の、そういう、なんか」
「……………………」
うさん臭さが半端じゃなかった。
この目の前の女は、人間性どうこうを語るのではなく、疑問を持つのではなく、化物が人間の皮を被っているくらいに考えた方がいいのかもしれない。
人間を、騙っている可能性すらある。
「ほらもういいでしょ、とっととお風呂行きなさい。タオルは脱衣所に置いてあるやつ使っていいから」
しっしっ、と追い払うような仕草でフラトは食堂から追い出されてしまったので、折角の好意を素直に受け取っていざお風呂へ。
●
脱衣場も、その先の浴場も広々としていて、ここで暮らす子供達がまとめて入れるように設計されているのだろう。
「これは嬉しいな……………………え? お前も這入んの?」
服を脱ぐときに勝手に頭の上からどいた蜘蛛が、いざ浴場に這入ろうとしたときに、フラトの腕に糸を巻き付け、振り子の要領でアクロバティックに浴場壁に飛びついた。
「そんな這入り方する必要あったか?」
フラトが呆れていると糸玉を投げつけられた。
浴室に落ちた糸玉を拾い上げて脱衣場の方へ投げ、扉を閉めてから近くにあった桶にお湯を少量溜めて一応端に置いてみたら、蜘蛛が浸かった。
蜘蛛が。お風呂に。入った。
浮かぶでもなく身体をお湯に浸けている。心なしか足を広げ、身体を出来るだけ下げて、出来るだけお湯に浸かれるような体勢を取っているようにも見えた。
何だこいつ。
「蜘蛛ってそういう生き物だったっけ…………」
気持ちよさそう、なのかどうかは表情も変わらずよくわからないがその場から動こうとしないので蜘蛛的には満足しているのだろう。わざわざ自分から浴室に飛び込んできたのだし。
そんな蜘蛛から目を逸らし、フラト自身は浴槽に浸かることなくシャワーで済ませた。
まだここで何の手伝いもしていないし、と浴槽に浸かるのはなんとなく憚られた。わけなのだが、シャワーだけでも、お湯で全身を洗い流せるのはとても気持ちよかった。
ここ数日の野宿の疲労まで流されていくようで、長くない時間だが幸せに浸れた。
●
食堂に戻ると、お皿が片付けられたテーブルで、クビキがお茶を飲んでくつろいでいた。
「お風呂、ありがとうございました。それと洗い物も」
「そんなのはいいのよ。それより早くない? ちゃんと温まったの? まだ寒い季節じゃないけど、下手すると風邪ひくわよ」
「いえ、今日は取り敢えずシャワーだけで。まだ手伝いの一つもしてないどころか、ご飯だって御馳走になっちゃいましたし」
「そういう、変な気遣いをするところ、変わってないのね」
「そうなんですか」
「そうそう。そんな子供だったわよ、あんた。ま、いいわ。取り敢えず――」
とぞんざいに言って椅子から立ち上がったクビキがおもむろにフラトに近付き、手に持っていた絆創膏をフラトの頬の真新しい傷に貼り付けた。
「別に気にしなくていいですよ、これくらい」
「一応よ一応。あのジジイに手当しろって言われてるしやっておかないと私が怒られるでしょ。だから、それ、外したら駄目だからね」
「…………りょーかい」
心配はされていなかったし、気遣われてもいなかった。
クビキ・カイガイ――出遭ってからここまで自分本位な姿しか見ていない気がする。いや、一応、お菓子を渡そうとはしてくれたか。
かなり一方的だったが、気遣いと言えば気遣いに見えなくもなかった。
「あの、すみません。一つお願いをしてもいいでしょうか?」
「何かしら」
「朝も、シャワーをお借りしてもいいですか? さっと浴びてタオルは自分のものを使いますし、学長は先ほどああ言ってくれましたが、やっぱり手伝いは出来る範囲で何でもしますので」
「何だ、シャワーくらい別にいいわよ。十年前ならいざ知らず、今はそれくらいの余裕あるしね。まあそれはそれとして、手伝いに関しては期待してるわ」
「はい、ありがとうございます」
「ん。それじゃあ、行くわよ」
先に食堂を出て行くクビキに付いていくと、廊下の突き当り手前にある部屋に案内された。
「ここを曲がった先は、図書室と職員室、それから一番奥に学長室があるくらいね。この部屋の手前隣は電気の点かない物置部屋だから、まあ這入っても何もないかな。むしろ暫く整理できていないから、這入ったりしたら埃まみれになるわ」
「わざわざ這入ったりしません」
「それがいいわね。あと、二階はここに住む子供達と住み込みの職員の部屋、それから授業に使ってる部屋があるくらいだから、こっちから用事を頼んだりしない以上は行かないようにね」
「はい」
「それじゃあこれ鍵。一応施錠はできる作りだけど簡単なものだし、窓割られたら一発だから貴重品は置きっぱなしにしたりしないように。自己責任でお願いするわ」
「わかりました。何にしても、部屋が借りられるだけでありがたいです」
「はいはい。そしたら明日は…………そうね、取り敢えず朝六時に食堂まで来てもらえる?」
「了解です」
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
ひらひらと手を振りながらクビキは食堂へ戻っていき、フラトは案内された部屋に渡された鍵を使って這入った。
六畳ほどの畳敷きの部屋で、布団だけが端に置かれている。殺風景この上ないし、ここで『暮らす』なんてことはおよそ考えられていなさそうだが、今のフラトにとってはちょっと感動するくらい嬉しかった。
こうして四方を頑丈な壁に囲われており、なにより建物の中にいるというのは、とても安心する。しかも――
「布団まで貸してもらえるとは」
寝袋なんかよりは断然、寝心地がいいだろう。
取り敢えず端に鞄を置いて、直に畳の上に座り込む。
クビキに貴重品がどうこうと言われたが、そもそも持ち物が鞄一つで、金目のものなどほとんど持っていない。
唯一と言えるエンカからもらった亜空間収納の魔具は常に指に嵌めているので特に何かしらの対策をする必要はないし、小瓶を入れたポーチも今となっては亜空間収納の中に入れてある。後は、金目の物というかナイフが金属製だが、盗む程の価値はないだろうし、こちらは肌身離さずである。
大体、窓を叩き割ってでも侵入してくるような輩がいるほどこの町の治安が悪いようには見えなかったし、いたとしてこういう場所に金目のものがあるなどとは普通考えないだろう。強盗なんてリスクを犯すなら、もっと儲けていそうなお店などを狙うはずだろうし。
それに治安どうこう言うなら、この町で出遭った一番やばそうなのが同じ建物内にいるのだから今更気にしたところで、である。
ということで――フラトはそのままごろんと畳の上に寝転がった。
あちこち歩き回って疲れた身体に、ボリューム満点の肉。その上シャワーまで浴びられて…………寝転がるだけで心地よい疲労感に包まれた。
自然と下がってくる瞼に、折角だから布団を敷かねば勿体ないと思いつつ、抗い切れずに瞼が完全に閉じ切ろうとしたところで。
「ん?」
部屋に這入った途端にどこかへ飛び移っていた蜘蛛が額に落ちてきた。
「いや、お前…………。人が眠ろうとしてるのに、おでこの上で変なステップ踏むなよ」
不規則なリズムが気持ち悪いし、足先が肌に突き刺さって痛い。
更に糸玉までぶつけられて痛みが倍増。
「やめろやめろ」
いつもの嫌がらせにしてはちょっとしつこく、耐えきれなくなってフラトは上体を起こした。
蜘蛛は天井から落ちてきた際に使った糸を張りっ放しにでもしていたのか、フラトの目の前で逆さに垂れ下がっている。
「お前、もしかしてだけど…………不機嫌なのか? 怒ってる?」
訊くと、再び糸玉をぶつけられた。
どうやら怒っているらしい。
思い当たる節としては――。
「さっき僕だけ串焼き食べたことか…………いてっ」
そうに決まってんだろ、と言わんばかりに更に強い勢いで糸玉がぶつけられた。
更に、更に、更に。
「痛い痛い痛い痛い痛い…………いてえって」
どんどん追加で糸玉がぶつけられ、ぶつかって跳ね返った糸玉がそこら中に転がる。
部屋の中だからなのか、いちいち回収せずに新しく作ってはぶん投げてくるのだが、一つ一つそこそこに大きい糸玉の癖に、作成速度が異様に早い。
流石に投擲威力は小石をぶん投げてきたクビキほどではないにしろ、痛いものは痛いのだ。
「わかったわかった約束するよ。これから食事を摂るときは必ずお前の分も用意するって、だから…………いたっ、ちょ…………痛いって…………」
などと暫く糸玉を投げ続けられたが、一応言ったことには納得してくれたのか最後には天井にするすると昇って行った。
「公園でだってパンからそこそこの量、肉だけ抜いてった癖に、その小さな身体のどこに入ってるんだか」
或いは、自分が食べられるかどうか関係なしに、フラトだけが美味しいものにありついているという事が許せなかったのか。
お風呂では割と気持ちよさそうにお湯に浸かっていたくせに――と、そう考えると、蜘蛛は蜘蛛でこうしてフラトが完全に一人になるまで気を遣って感情をセーブしていたことになるわけで、益々謎の深まる蜘蛛だった。
「はぁ……………………」
小さく嘆息しながらフラトは床中に散らばった糸玉を一つ一つ回収する。
よくぶつけられはするものの、いつもは回収されてしまうのでこうしてまじまじと手に取るのは、考えてみればこれまでなかった。浴室で回収したものも服の中に捻じ込んでしまってそれっきりだったし。
「綺麗な丸に作れるもんだな」
どれもこれも、歪みのない球体になっている。
不思議なことに、糸はばらけることなく、しっかりと強固に球体を維持しているのに、それ自体はあまりねばつかない。
試しにナイフを取り出して切ろうとしてみたが、全く切れなかった。
ぐにゃん、と曲がるだけで傷一つ付かない。
割とこまめに研いでメンテナンスをしているナイフだし、師匠からのお下がりで切れ味も相当なもののはずなのに。
「…………」
蜘蛛の糸に負けた気がしてなんかちょっと悔しいフラトだった。
取り敢えず、全ての糸玉をまとめて鞄の中に突っ込んで片付けてから、改めて布団を敷きその上に寝っ転がった。
そうしてふかふかの布団に寝転がってみると、すぐさま再び睡魔に襲われ、抵抗することなくフラトは瞼を閉じた。
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