第十七話

「さて。かな」

 未だ、遭難真っ最中。

 遺跡と思しき場所から離れて間もなくの地点。

 不意に立ち止まったエンカが肩をぐるぐる回しながらそんなことを言った。

 手を握ったり開いたり、その場で二度、三度、と跳ねてから身体を捩じったり。

「おい…………何する気だ、トバク」

 今にも暴れ出しそうな準備運動と笑顔が妙に不安を煽ってくる。

「んー? やぁーっと身体が馴染んできたからねー」

 言いながら屈伸をする。

「ホウツキの師匠さんが持たせてくれた薬なんだか霊薬なんだか秘薬なんだかで確かに私は治りはしたけど、回復はしてなかった、みたいな感じだったんだよ」

「は?」

 いまいちニュアンスのわからないことを言う。

「なんて言うかな、傷は確かに修復されてたし、身体の動きになんら違和感はなかった。あのバカデカ猪にありったけぶつけた魔力も補充してくれた。多分、魔力だけじゃなくて、体力とか、生命力とか、気力とか、そういう目に見えないけど身体の中にあって大事なもの、そういうのを補充してくれたんだけど、それがさっきまで馴染んでなかったっていうかさ、倦怠感みたいなものがずっと纏わり付いてたんだよね。けどやっと戻ってきたっていうか、さっきの遺跡周りで結界の魔術使ってようやく本調子に戻ったのを確認できたからさ――」

 なんてことを説明してくれながらエンカは視線を上空へ向け、手は腰の剣に。

 しゃら、と抜剣し、だらりと下げるように下段に構えたそれを、

「うりゃ!」

 見上げていた上空へ向けて無造作に振った。

 直後――周囲に豪風が巻き起こり、身を屈めたエンカが直上へ跳ぶ。

 土煙が舞い上がり、巻き込まれた小石がばちばちとフラトの身体を打った。

「いてえっ、くそ、いたっ! 何だこれ普通に危ないだろ。やる前に一言言えよっ!」

 愚痴りながら木の陰に回り込んで身体を小さくしやり過ごす。

 吹き荒れる風が止むと、元居た位置にエンカが降りてきてきょろきょろ――フラトを見つけて駆け寄ってきて言う。

「え、何してんの?」

「こっちの台詞だけど」

 ふざけんな。

「いきなり何してくれてんだお前」

 跳んだ瞬間、エンカの姿がぐんぐん遠ざかって周囲の大木すら一気に越えて、空に向かってその身体がみるみる小さくなっていくのが見えたが、一体どれだけ跳んだんだか。

「出口までのルートを探してたんだよ。上から」

「じゃあ、最初剣振った意味何?」

「あれは、魔素を吹き飛ばす為のやつ」

「魔素を?」

「そ。封鎖地域は魔素濃度が濃いって話したでしょ? じゃあそもそも何で魔素濃度が濃いと封鎖地域なんてものに指定されるのか」

「魔獣が強力になるからだろ?」

「それが一つ。もう一つあって――」

「おい。さっき聞いたとき、魔獣が強力なことしか言ってなかったじゃんか」

「ごめんって。そのとき魔獣の話に逸れて有耶無耶になっちゃってたじゃん。そのときに言いそびれたもう一つがね、魔術行使が難しくなるってこと。もう少し厳密に言うと、魔力操作の感覚がズレるっていうか、狂うんだよね。実際にこうして足を踏み入れてみてわかったけど、これは気持ち悪いし、このは結構危ない」

「危ない?」

「空中で何かあったときに咄嗟に魔術使えなかったら危ないでしょ。それに、あんな高度から落下するのに、着地の為の魔術が上手く使えなかったらそれだけで怪我しかねないし。だから、そういうリスクを排除する為に、魔素を吹き飛ばすっていうか、一時的に散らして魔素濃度を下げたってこと」

「理解はした」

「おや? 何かな、その引っ掛かる言い方」

「めちゃめちゃ小石とか枝とか、身体に打ち付けられたんですけど」

「ホウツキなら避けられると思って」

「無理に決まってんだろ。雨の日に外出て雨避けながら歩けって言ってるようなもんだからな、それ。適当なこと言うな」

「ごめんごめん」

 へらへらと半笑いで謝罪された。

「ったく…………。にしてもトバク、とんでもない勢いで真上に跳び上がっていったけど、あれも魔術だったのか?」

「んー、厳密には魔術とは違うかな」

「あれが魔術じゃないって…………まさか、何もしないで素の身体能力だけであんなに跳んだなんて言わないよな」

「ないない。それはないね」

 言いながらエンカは手を顔の前で横に振る。

「一応かなり一般的に知られてるものだから『身体強化の魔術』なんて呼ばれてはいるけど、魔素とは反応させてないし魔術陣も介してないから魔術ではないんだよね、これ。魔力を魔力のまま全身に纏う感じって言えばわかりやすいかな。その状態から、身体の動きにブーストを掛ける感じ。たとえば、早く走りたいときは地面を蹴るときに足裏から地面に向かって魔力を放出させる、みたいな」

「それは…………そのブースト時の感覚に慣れるの、大変そうだな」

「真っ先にその懸念が出てくる感じ、何ていうか、ホウツキも大概だよね」

「何だよ、大概って」

「師匠さんの鍛錬の賜物っていうかさ。ま、確かにホウツキのいう通り、ブースト時に結構感覚ズレるから、使いこなすの難しいよ。最初とか、割と簡単に骨折ったりしたし」

「うわあ……………………しかもそのブーストって結局、効果に比例して衝撃も大きくなるってことだよな?」

「だね。だから関節や筋、筋肉を傷めないようにブーストと一緒に衝撃を和らげる為の魔力操作も体内でしないといけないんだよ」

「複雑過ぎだろ」

「そんなことはないよ。身体を動かすってことを魔力付きでもう一度覚え直すような感覚だから、慣れだよ慣れ」

「…………さいですか」

「でもだからこそ、この身体強化に慣れた人でもこういう魔素濃度が濃いところでは思いがけないミスが起きやすくて、それが起きないようにする為に周囲の魔素を吹き飛ばすのは必要だったのですよ」

「必要なのは重々理解したけど、次も同じような事をやる場合は事前に言ってくれると助かる。そして僕がちゃんと隠れてから実行してくれるともっと助かる」

「はーい」

 間延びした返事を返された。

 多分やってくれないな、これは。

「それで、ルートは確認できたの?」

「出来たよ。こっちこっち」

 言ってエンカは再び繁みを進み始め、今まで以上にペースを上げていく。

「あのさ、ちょっと思ったんだけど」

「何ー?」

 振り向くことなく、エンカが軽快な声音で答える。

「高濃度の魔素が魔力操作に影響を及ぼすっていうのは、その高濃度の魔素自体が人体に何かしらの影響を与えたりするってことなのか?」

「あ、うんそうそう」

 おい。

 すんなり肯定された。

「危険なこと、三つあんじゃねえか」

「あはは、すまんすまん。んでね、魔力の操作に影響を及ぼすってのは結局のところ、体内の魔力が乱されるからなんだけど、それが魔素酔いを引き起こすんだよね」

「魔素酔いって?」

「二日酔い、みたいな感じって言われてる。頭痛とか吐き気が酷いかな。その症状が出ても更に居続けると五感がおかしくなっていって、下手すると後遺症が残ることもあるとかなんとか」

「やべーじゃん」

「やべーよ。だから一般人は這入らないようにって組合も一応形だけでも規則を作ってるんだよ。でもまあ、五感がどうのこうの、後遺症がどうのこうの、そこまで酷くなるのは極端に魔力保有量が少ない人くらいで、一般的には『酔う』くらいで済む事が多いって話」

「二日酔いに、五感の不調、ね。もしかして、じゃあトバクはずっとそういう不調を感じてるのか?」

「ん? まあね」

「お前…………軽く言うけど、大丈夫なのか?」

「んー、まあ元々それがあるってわかってて来たし、気にするほどのことじゃないっていうか、我慢できない程じゃあないって感じ。いざとなれば、それこそ身体強化の要領で全身を魔力で覆えば『酔い』にも抵抗できるし」

 ただ、魔力消費が激しくなるからそんなことしないけど、とエンカ。

「っていうか、そっか、ホウツキはそういうのないの?」

「うん。今のところそういうのはないかな」

「まじか!? いいなあ。っていうかほんとに魔力持ってないんだねー」

「強いて言えば、トバクに会う前に感じた不調くらいのものだったけど」

「あー言ってたね。それもう死ぬんじゃねってくらいのこと。魔素酔いなんてレベルじゃないくらいえぐいこと言ってた気がするけど」

「そんなにだったか…………」

「それに、そのときのが魔素酔いだったなら、今何も感じてないのはおかしいし」

「確かに」

「でしょ。……………………っと、話してたら着いたね」

 そう言ったエンカの言葉の直後、一気に光量が増え、二人は山道に飛び出た。

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