第十二話

 さて何と言ったものか、なんてフラトが悩んだのは一瞬だった。

 すぐに隠す意味もないと判断する。

 というか、ここは正直に話して少しでもエンカからの信用を得た方が得策だろう。

 下手に嘘を吐いても見抜かれそうな気がするし。

 ということで――

「師匠の家を出るときに餞別だって言って持たされたものがあるんです」

 服の内側のポーチから残り三つになった内の一つ、透明な液体が入った小瓶を取り出し、ついでに一緒に入っていたメモもエンカに見せた。

「死にそうになったら飲みなさい。飲めないなら傷口に掛けなさい…………」

「はい。で、湖から引き上げたトバクさんは、自分で言っていたように、応急でどうこうなるような状態じゃなくて、他にできることもなくて、イチかバチかで使いました」

「それで――まるで何もなかったみたいに回復したって?」

「はい。僕も使ったのは初めてで心底驚きましたが、実際の効果もわからないものをぶっつけ本番で使ってしまってすみませんでした」

 フラトは素直に頭を下げた。

 だが。

「いやいやいやいや。待って待って、謝らないでよ」

 エンカが顔の前で慌てたように手を振る。

「私だって逆の立場なら同じことしたし、結果としてこうして健康体になったんだから、寧ろそんな凄い物を出会ったばかりの私なんかに使ってくれたことに感謝するし、使わせてしまったことを申し訳なくも思うよ」

「申し訳なくなんて、いや、それこそないですよ」

 使用したことに対する後悔は微塵もない。

「無事で、良かったです」

「ありがとう」

 まあ、それにしても、とエンカが続ける。

「見た感じさっ――」

「ちょっと、トバクさん!?」

「何?」

「いや、何じゃなくて、何でいきなり上の服捲り上げたんですか!?」

「えー? そっちこそ何でこれくらいで今更動揺すんのさ。見たんでしょ、裸」

「いや、見ましたけど…………見ましたけど、一回見たからはいもう見慣れました、なんてなるわけないでしょうよ」

「何、それじゃあこんなちらっと肌が見えたくらいでも興奮するって?」

「直截的過ぎる! 言い方!」

 しかもちらっとじゃなくて、思いっきり捲り上げてるから普通に下着とか見えてたし。

「で、どうなのよホウツキ、こんな――?」

「……………………っ」

 フラトは少し逡巡した後、ばっと勢いよくその場で立ち上がり、

「そっちがその気なら――」

 と、自分も上の服を思いっきり捲り上げて万歳して腕を真っ直ぐに空に向かって伸ばし、上半身を晒し、首から上を脱ぎかけの服が覆った状態で静止した。

「これで僕の視界は隠されました」

「馬鹿なの?」

「綺麗ですよ」

「は?」

「トバクさんの身体、滅茶苦茶綺麗でした。確かに古傷は沢山ありましたし、時間が立ち過ぎてる傷には効果がないのか、師匠からもらった小瓶の液体でもその傷はそのまま残ってしまいましたが、それらを含めて僕は綺麗だと感じました」

「……………………」

 おい、くそ、何でここで何もしゃべらなくなるんだよ、と心の中で毒吐くフラト。

 変な格好で自分の視界は覆っている為に今エンカがどんな表情をしているのかもわからない。

 まあ、こんなこっ恥ずかしいことを言って恐らく真っ赤になっているだろう自分の顔を見られなくて済んでいるのだからそれはそれで助かっているのだが。

「僕も、この十年で身体中に随分傷が出来てしまいこうして残っています。ぱっと見た感じ、多分同じくらいありますよね、表面に残っちゃった傷痕。だから、トバクさんがそれだけ鍛錬してきたんだなって、あれだけの痛い思いを同じ様にした人がいるんだなって、なんかちょっと僕は嬉しくもなりました。いやまあ、古傷見た程度で知ったか振るなって話ですし、トバクさんの方がもっともっときつい思いをしているかもしれないので勝手に共感するのも失礼かもしれませんが…………兎に角、僕が言いたいのはですね……………………僕は、個人的な主観で、勝手に、トバクさんのその身体はとても綺麗だと思いました。正直興奮しました!」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

 まずい。

 非常にまずい。

 気まずい。

 フラトは静寂に心臓を握り潰されそうだった。

 果たしてどれだけ変な格好をしたまま上半身を晒してその場に立ち尽くし、焚火のぱちぱちと爆ぜる音だけを聞いていたのか――

「はぁ……………………いつまで立ってんのよ」

「え」

「座ったら? ちゃんと服着てさ」

「はい」

 言われた通り、服をしっかりと着直し、フラトは改めて岩に腰掛けた。

 因みに既にエンカは捲っていた服を戻していて、ほっとした。

「ありがと」

「え!?」

「…………」

「すみません、今声が小さくてよく聞こえなかったのですが、もしかして死ねって言われました?」

 そう問うと、エンカに思いっきり目を細められ、睨まれた。

 これ以上はやめとこう。

 なんかちょっとエンカが恥ずかし気だったから嗜虐心をくすぐられて変な言及の仕方をしてしまったが、本当はお礼の言葉は小さくともちゃんと聞こえていたのでそれで満足しておこう。

 というかでも、このやり取り、始めたのエンカの方なのだけど…………。

「兎も角、致命傷すら綺麗に治しちゃう薬なんてこれまで全く聞いたことがないから、やっぱりホウツキの師匠さんは尋常じゃないね」

「まあ、ですね」

 あれは、尋常なんて言葉からは程遠い。

 異常も異常。

 エンカから『魔術』の存在を聞いてからは更にその認識が強くなっている。

 何せ――約十年間も一緒に暮らしていながら、そこにいる以前の記憶がないという事実を理解をしていながら、何故自分がそこにいるようになったのか、まるで気にしなかったのだ。

 師匠と二人、山の中で暮らしていることをあまりにも当たり前に捉え過ぎていた。

 山の外がどうなっているのかなんて気にも留めなかった。

 師匠が持っていた本も沢山読んで、世界には沢山の人がいて、村があって街があって、買い物をしたり、食事をしたりする為のお店があって――なんてことを知っていたのに。

 自分が暮らすその山を出たら――なんて発想に至らなかった。

 視野狭窄も甚だしい。

 ただ、それが仕組まれたことなんだとしたら納得はできる。

 もしも師匠が魔術を使えたのだとしたら、何かしら『意識の制限』のようなものを仕込まれた可能性は高い。

 何の為に――なんてのはわからない。

 狼に追い回されるような辛い過去を思い出さないように、という可能性も考えられるし、しかし一方で師匠がそんな真っ当な優しさを見せるだろうかとも思う。

 まあ、真意がなんであれ、命を救われ、拾われ、育ててもらって、鍛えてもらったという事実は変わらないのだから、今更師匠の見方が変わったりするわけではないが。

 やっぱりあの人は、イカれてる、と再認識する。

 というか『ヒト』かどうかすら怪しくなってきている感も否めない。

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