第八話

「それは、交渉かな?」

「え、交渉、ですか?」

「だってそうでしょ」

 と、少女が視線を落とす。

「こんな状況で、こんな御馳走を前に『お願い』って、そういうことでしょうがね」

「あ」

 と少女の言っている『意味』に気付く。

「いやそういうつもりはないですよ。これは二人で分けましょう」

「おや? いいの? あなたがあなたの独力で獲ってきた食材なのに?」

「獲りに行くとき、二人分確保するつもりでいる、って言いましたから。そうじゃなくても、こんな状況だからこそそんな足下を見るようなことしませんって」

「ふうん」

 何故か拍子抜けしたような顔をされた。

 交渉したかったのだろうか?

 イチかバチかで巨猪に攻撃をぶちかましたりしていたことといい、何となく危うい雰囲気はしないでもない。

 表情は豊かに見えるが、真意がいまいち読み取りづらい。

「そう言ってもらっても、こっちが頂く立場なのに変わりはないし、いつまでも自分のことを晒さないのは礼を失してるよね。まあ先に裸は晒しちゃったわけだけど」

「……………………」

 反応しづらい。

「いやさっき散々自分で瞼に焼き付いてるやら、綺麗やら言ったじゃん。何で今更困ってんのよって」

「綺麗、なのは、まあ…………事実だけど、言わされた奴ですしそれ」

「ほぅ、事実かあ。嬉しいなあ」

 にやにやと意地の悪い笑みで見てくる。

 見ず知らずの男に裸を見られ、それを『綺麗』だなんて言われても実際嬉しくはないだろうに。

「私は、エンカ・トバク。十七歳。組合所属で序列は『華の位かのい』。よろしくホウツキ。一つ年上だよー」

「えっと、はい、よろしくお願いします」

「あはは、今更堅苦しいなあ、もう」

 寧ろそちらが砕け過ぎなのではないだろうか。

 ともあれ、寝起きにあれだけ捲し立てるように言った自分の名前をよく憶えているものだな、と感心する。

「それで、訊きたいことがあるって話だけど、

「何でも、ですか…………いいんですか?」

「そりゃあね。この肉がなくても、気を失った私の世話とか、焚火の準備、食糧の調達などなど、そういう諸々を勘定に入れると、ホウツキへの借りが凄いからね」

「そこはお互い様でしょう」

「そんなことはないよ。もしかしたらホウツキは、自分の為に私が無茶な迎撃に出た、なんて思ってるかもしれないけど、あのまま走り続けてても当てのなかった私は、結局どこかで追いつかれただろうし、そのときには同じようにイチかバチかで攻撃しなくちゃいけなかった。どこで攻撃したって結局あの化物猪には通らずに逸らされて、跳ね返されて動けなくなってた。あの場から助け出してもらえた、それだけでもでかい借りだよ」

「それを言うなら、僕だってトバクさんに出会わずに、単身であんなのにかち合ってたら何もできずに殺されてたでしょうし、こうして生きているのは、それこそトバクさんに会ったからだと言えます。だからやっぱりお互い様ですよ」

「そっか。じゃあスリーサイズとか答えようか?」

「とんでもない角度で話の内容が捻じれたな…………」

「知りたくないの?」

「…………」

 凄みのある顔で詰められた。

「いや、何と言いますか、僕はそういう数字に囚われたくないというか、感覚派なので目で見たバランスが大事だと思っていまして。サイズよりも形や全体的なシルエットが大切だと、そう、思うんですよ」

「おぉう…………そう、だね」

 あれ?

 何故か引かれた。

「じゃあ、訊きたいことって?」

 改めてエンカから問われ、

「教えて欲しいのは――」

 フラトは答える。



「随分とざっくりした質問してくるじゃん」

「ですよね、えーっと…………大体十年くらい前の話なんですけど」

「急に飛んだね」

「どこからどう説明したらちゃんと伝わるのかわからなくて、だったら最初から話そうかなと」

「成程。じゃあ聞こう。ちゃんと火が通るまでまだ時間掛かりそうだしね」

 肉の焼ける芳ばしい匂いが漂ってくるが、食べ応えを重視して分厚く切った為にまだ中は生だろう。

「だいたい十年くらい前なので僕自身がまだ小さかったっていうのもありますけど――」

「本当にそれは十年前だから、なのかな?」

「今よりも、って話ですよ。速攻で話の腰折りに来るじゃないですか」

 確かにフラトとエンカは同じくらいで、年代を考えるとフラトは小さい方なのかもしれない。身長が。

 いや、平均に比べてエンカが高いということも、まだ可能性としては有り得る。

「ごめんごめん」

 謝罪を口にしながらもエンカはけらけらと笑う。

「兎に角、僕は自分よりも身体の大きな狼に追われて山の中を逃げ回ってたんですよ」

「一人で?」

「はい。一人で、です。僕の何倍もでかい体格をしてて、だから、小突き回されただけでも僕なんて傷だらけのぼろぼろになってて、正直もう死ぬんだなって、子供ながらに悟ってました」

 どれだけ狼がでかかったのか、当時の恐怖のせいもあり実際よりもそれは大きく見えていた可能性はなくもない。

 けれど、ぼろぼろの満身創痍になっていたのは間違いなかったし。

 着実に死が迫っていたのも事実だった。

「背中を小突かれて、転んで、転がって木にぶつかって、もう動く気力もない僕を相手に、狼は弄ぶようにわざと背後の木を引っ掻いたりしてたんですけど」

「けど?」

「そこに突然人が現れて、たった一撃――一蹴りで狼を吹き飛ばし、気絶させたんです」

「へえ」

「助かったっていう安堵からか、気力が限界だったのか、あるいはどちらもか。そこで僕は気絶してしまって、次に目を覚ましたら、山の中に建つ大きな丸太組みの家で、ベッドに寝かされていました」

「その人の家?」

「はい。そのときからついさっきまでの約十年間、そこで一緒に暮らしてました。師匠と」

「育ての親、ならわかるけど師匠って何?」

「毎日行われる実際の戦闘を仮定した実践稽古だったり、年四回は山の中に放り出されてそこから三日間、必要なものは自分で調達しながら、隙を見て奇襲を仕掛けてくる師匠の攻撃を凌がなきゃいけない鍛錬だったり、まあ散々と鍛えられたので、そういう呼び方が自分の中でしっくりくるといいますか」

「うへぇ、何そのスパルタ教育」

「慣れるまで地獄でしたね」

「慣れられるもんなの、それ」

「それが日常でしたから」

「よく逃げ出さなかったよね」

「あんまりそういうのは考えなかったですね。確かにきつかったですけど、嫌ではなかったと言いますか。目の前を乗り切るのに精一杯だった、というのもあるのかもしれませんが。戦闘面だけじゃなくて、日常生活で必要な家事とか料理も教えてもらいました」

「食糧の調達は?」

「師匠の庭の畑で育てた野菜とか、山で採った山菜とか」

「動物を狩ったりとか?」

「はい。あと魚を釣ったりとか」

「ほんとに何でもって感じだね。すげー」

「まあ、そんな感じで大体十年間、師匠の下で一緒に生活を続けていたんですけど、今日の朝いきなり、世界を見てこい、と放り出されまして」

「それだけ鍛えられたのに?」

「面白い土産話を期待してる、とか言われましたね」

「元々外に出すつもりで鍛えていたのかな?」

「それか本当に思い付きか。そこら辺はあの師匠の場合、どちらもありそうですから真面目に推測するだけ無駄だと思いますけど」

「ドライだねー、自分の事なのに」

「無茶な要求とか、振り回されたりするのにはこの十年間で慣れたというか、それこそ鍛えられましたから、いちいち気にしてたら今日まで精神を無事に保ってられなかったですよ」

「ふむん、それは諦めってより、どんな無茶な要求も振り回しも、ホウツキの為を思ってってのを信頼してる感じかな?」

「さあ」

 肩を竦めると、エンカが「ふふふ」と含んだような笑いを漏らした。

「ま、そういう暮らしを続けていたなら魚やら肉を捌くのが上手いのも納得かな」

「それは、どうもです」

 少し照れたようにフラトははにかんだ。

 山の中では全てを師匠に教わったと言っていい。

 故に、全てにおいて師匠の方が技術は上で、特別褒められる、ということはあまりなかった。

 フラトもフラトで、別に褒められたいとかはあまり思わず、どうせなら出し抜いたり、びっくりさせたいと常々試行錯誤していた。

 戦闘にしろなんにしろ。

 まあそれが成功した試しなんてないのだけれど。

 大体は見透かされたり、失敗に終わるのだが――今、思い返すと師匠はそういうフラトの挑戦みたいなものを楽しんで見ていたような気はする。

 そういうわけで、フラトはあまり褒められることに耐性がない。

 素直に照れてしまう。

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