2. ひとりでできるもん (できるとは言ってない)

「…………」

「…………」


 カチャ、カチャと静かな室内に食事の音だけが鳴っている。


 話をせずに食事しているだけの普通の光景のはずなのに、不思議と空気が重苦しい。

 仲良く並んで食べているように見えるのに、二人とも居心地が悪そうだ。


「(恥ずかしいのになんで隣に座ったの!?)」


 部屋から出て来た彼方はひたすら料理の事だけを考えることに徹した。

 しかしそれも料理が完成するまでの間の急場しのぎでしかない。


 完成してしまえば優斗との二人きりの晩餐が待っている。

 しかも手作り料理を好きな男子に食べてもらうというシチュエーションなのだ。

 今まで全く気にしてこなかったその事実に気付かなければ良かったのに、残念ながら気付いてしまった。


『(どうしよう。こんな料理で良かったのかな)』


 しかし作り終わってしまったからには今更変更など出来ない。

 これまで優斗は美味しそうに食べてくれていた。

 今日もそうなってくれると信じて出すしかない。


『(出す? 一緒に食べる? え? ええ!?)』


 これまた問題だ。


 今の彼方は優斗のことを考えると胸が張り裂けそうになる状況だった。

 顔を見たり近づいたら色々と思い出して倒れてしまうかもしれない。


 となるとご飯は別々で食べた方が良いのではないか。

 例えば優斗がダイニングテーブルで彼方が自室とか。


『(そんなこと出来るわけないじゃない!)』


 しかしそれではまるで彼方が優斗と一緒に食べるのを露骨に嫌がっているかのようだ。

 そんなことを思われたくは無いのでNGである。


 食べるなら一緒のテーブル。


 距離が一番離れるように対角線上に座るべきか。

 いやいやそれも不自然だ。

 せめて正面。

 でもそれだと優斗の顔を見ながら食事することになってしまう。

 それならやっぱり隣に座るべきか。

 これなら顔は見なくて良いし、それに今までと同じだから優斗も安心出来るだろう。


 そんな理由付けをして葛藤した結果、これまでと同じく隣に座って食べることに決めたのだった。

 隣に座りたいという素直な気持ちが後遺症のせいで表に出てしまっただけなのかもしれないが。


 恥ずかしいならば離れて食べるはずだという先入観のある優斗は彼方のこの考えが分からず混乱していたのであった。


「(やっぱり今までみたいに話した方が良いのかな。でも彼方の顔真っ赤だし。どうしよう)」


 などと悩み始めてもう十分は経過している。

 ゆっくり食べているとはいえ、会話もなく黙々と食事をしていたら終わりはもうすぐだ。


 仕方なく優斗は食事の間に話をするのを諦めた。


「(この後どうすりゃ良いんだ?)」


 いつもなら食事の後片付けを優斗が手伝い、その後は宿題などをやる時間だ。

 だが今日はテスト最終日で特に勉強することもない。


 彼方との気まずい夜の時間が始まろうとしていた。




 さて、結局二人はどうしたのだろうか。


「…………」

「…………」


 なんと二人は無言を貫いたのだった。


 リビングの破れたソファーに離れて座り、ほとんど身動きすることが無かった。


 優斗は時折チラチラと彼方の方を覗き見し、あまりにも照れている様子なので話を切り出せない。

 彼方も時折チラチラと優斗の方を覗き見し、その度に顔が真っ赤になり羞恥で俯いてしまう。


 そんな傍から見てるとじれじれする関係を今さらやっているのだ。


 時が止まっているかのように同じ体勢を続ける二人だが、時はちゃんと動いている。

 なんら進展が無いままに次のイベントの時刻がやってきた。


 お風呂タイムだ。


「…………」


 彼方は時間になるとスッと立ち上がったものの、そのまま硬直した。


「彼方?」


 久しぶりに優斗が言葉を発したけれど、彼方の硬直は解けない。

 しかも顔がこれまで以上に真っ赤になっている。


「(篠ヶ瀬君が私の後にお、おお、お風呂!?)」


 自分が使った後のお風呂に優斗が入っていることの意味に気付いてしまったのだ。


 彼方はこれまでそのことをほとんど意識していなかった。

 それゆえ使用済み湯舟の状況などなんら考えていなかったのだ。

 分かる人には分かるとは思うが、他人が入った後のお風呂には色々と浮いていることがある。

 例えば恥ずかしい部分の……


「(あああああああああああああああああああああああああああああああ!)」


 慣れのおかげで狂乱がギリギリ表に出なかった。


「さ、さしゃ、さしゃがせ君!」

「お、おう。なんだ?」


 しかしまともに話しかけることは出来なかった。


「先に入って!」

「…………!」


 それは困る。

 優斗はそう言いかけて気が付いた。


 今の彼方ならば問題が無いのでは。

 むしろこちらの方が良いのでは。


 そもそも優斗が先に風呂に入った時に困ったのは風呂上がりの彼方がくっついてきて悶々とさせられたからだ。

 照れまくりんぐ彼方がそんなことをしでかすとは思えない。

 しかも彼方の残り湯という問題に直面することもない。


「よし分かった」


 快諾しながらも思う。

 もしここで『一緒に入ろう』などと冗談を言ったら彼方はどうなるのだろうかと。

 少し前までなら本当に入ろうとしそうだから言えなかった冗談だ。


「(篠ヶ瀬君が入った湯舟……)」


 彼方もまた優斗と同じ悩みに直面した。

 しかし彼方は優斗とは違い、勇気を出して浴槽に身を沈めたのであった。


「~~~~っ!」


 後遺症の力である。




 お風呂が終わった後も二人の無言時間は変わらなかった。

 それどころか彼方がのぼせたかのようにより一層顔を赤くしている。


 先程のお風呂のことを考えているのか、それともパジャマ姿を見せていることが恥ずかしいのか。


 結局この日はまともな会話を何一つすることなく終えることとなった。


 そう、この日が終わったのだ。


 となると待ち受けているのは就寝タイム。


「流石に今日はソファーで寝るよ」

「え!? あ、うん。ごめんね」


 隣に座り夕飯を食べ、優斗使用後の浴槽に入った彼方でも、手を繋いで一緒に寝ることは無理だったようだ。


「一人で大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ」


 たぶん。

 と聞こえない程度の大きさでつぶやいた。


「(どうせドキドキが止まらなくて眠れないもん)」


 同じ屋根の下に、たった一枚の扉を隔てた先に、優斗が寝ていると意識してしまう。

 しかもベッドには恥ずかしい思い出が沢山詰まっているため思い出して悶えてしまう。


 そんな状態でまともに眠れるとは思えなかった。

 だからと言って優斗が隣に居たら更に眠れなくなるが。


「おやすみ彼方」

「お、おやすみ」


 彼方は優斗から逃げるように自室へと戻った。

 そしてそのままベッドに倒れ込む。


「(ここで篠ヶ瀬君と……)」


 抱き枕のようにして寝ていたことを思い出す。

 簡易ベッドで並んで寝ていたことを思い出す。


「~~~~っ!」


 ベッドの上をゴロゴロと転がり悶える。


 しかし不思議なことに、恥ずかしくてたまらないのに胸のドキドキはそれほど大きくは無かった。

 むしろ温かい気持ちに包まれるような心地良さを感じた。


 これまで優斗は彼方に多くの温もりを与えて来た。

 もしかしたら寝ている時に傍に居てくれたことこそが、彼方にとって一番の救いだったのかもしれない。

 だから羞恥心よりも心地良さの方が強いのだろう。


「(これなら眠れるかも。篠ヶ瀬君のおかげだね)」


 明日、一体どうやって優斗と顔を合わせれば良いのだろう。

 その問題から目を逸らし、彼方は目を閉じるのであった。


 ……

 …………

 ……………………


「眠れない」


 すぐにでも入眠するかと思ったのに全く寝付けなかった。

 胸の鼓動は大人しい。

 嫌なことを思い出して不安な気持ちになるということもない。


 ただ何かが物足りなかった。

 寝るために必要なピースが欠けている。

 このまま寝るのは何かが違う。


 そんな奇妙な感覚。


「まさか……ね」


 優斗が傍に居なければ眠れないのではないか。

 そんな予感を強引に頭から追い出す。

 もし優斗が傍に居たらそれこそ胸が張り裂けそうな程にドキドキしてしまい寝るどころでは無いはずだから。


 でも欠けているものと言ったらそれ以外に考えられない。


 優斗がいなければ眠れない。

 優斗がいても眠れない。


「どうしよう」


 彼方は上半身を起こして、なんとなく右手を胸に当てた。


「あ……」


 そして気付いた。

 何が欠けていたのかを。


「これ……なの……?」


 足りなかったものは右手の温もり。


 優斗の左手の感触。


 大きくて少し硬くて温かく、人差し指に巻かれた包帯の感触が印象的。


 彼方をこれまでずっと勇気づけてくれたその温もりが、眠るために必須のものとなっていたのだ。


 それすなわち、優斗に手を握って貰えないと眠れないという事。


「そんなぁ……」


 彼方はひとりで眠ることが出来なかった。


 右手がフリーでも眠れるかもしれないと願いひたすら横になり続けるか。

 それとも優斗を招き入れて羞恥に耐えながら寝るか。


 彼方は部屋の扉を見つめて苦悩した。

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