第三章 ラブコメ編 前編

1. 素直すぎる少女

 体中に刻まれた青痣が綺麗に消え去り、季節が夏に移り変わろうとしているこの時期。

 夏服の制服を身にまとった優斗と彼方はいつものように仲睦まじく・・・・・登校していた。


「篠ヶ瀬君、今日の晩御飯はスープパスタにしようと思うんだけどどうかな?」

「スープパスタ? いいね、何味かな」

「ほうれん草とシメジのクリームスープだよ。篠ヶ瀬君は男の子だから濃厚なのが大好きだよね」

「でもそれだと彼方の好みに合わないんじゃないか?」

「そんなことないよ。実は私も濃い味付けが好きなんだ」


 あの危機一髪の日から彼方の様子は大きく変化した。

 というよりも、普通の女の子と称しても問題無いと思える程に回復した。


 視線が宙を彷徨うことは無く、感情が消え去っているようにも見えず、消えてしまいそうな儚さも感じられない。


 はっきりとした意識があり、コミュニケーションにも問題はない。


 例えば今のように自分から会話することも当たり前になっていた。


「本当か? 俺に気を使ってるだろ」

「うん、気を使ってるよ。だからありがたく受け入れてね」

「こりゃあまいった。そんなこと言われたら断れないじゃないか」

「くすくす」


 冗談も言うし、笑いもする。

 誰が見ても恋人同士が楽しく会話しながら歩いている風景にしか見えない。


「(こうして見てると、普通に見えるんだけどなぁ)」


 だがそれでもまだ完治していなかった。

 彼方の友人曰く、彼方は本来もっと朗らかな人物だそうだ。


 良いところのご令嬢のように静かに微笑む感じではなく、可愛いえくぼが出来るほどにしっかりと笑うとのこと。

 感情豊かで、それでいて決して下品ではなく、程よく元気な女の子。

 それが彼方という人物だった。


 確かに今の彼方はまだそこまで元気な様子を表に出さない。

 何事にも淡々としているけれど、わずかながらしっかりと感情を表に出す。

 そんな物静かな女の子だった。


「(はぁ、ある意味こっちの方がしんどいよ)」


 だがその『淡々としている』という点が、引っ込み思案だとか奥手という意味では無かったところが優斗にとって大問題だった。


 ほんのりと楽しそうに薄く笑みを浮かべながら今日の夕飯について話しながら歩く彼方。

 その体が優斗の右腕をぎゅっと掴んでいるということは無い。


 ただ、優斗の服を遠慮がちにつまんでいた。

 まだ心のどこかに不安や寂しさが残っている証なのだろう。


「どうしたの?」


 優斗が何かに気をとられていることに気が付いたのか、彼方がこてんと小さく首をかしげる。


「(か、可愛い……)」


 感情が乏しかった時もやっていた仕草だ。

 その時は無表情だったけれどそれでも十分可愛らしかった。


 しかしそこに感情が加わると破壊力は激増した。


 無表情系こそが至高だと主張する紳士諸君には悪いが、少なくとも優斗にとっては感情がこめられた『こてん』の方が遥かに好みだった。


 わずかに目を見開いて、無邪気に『どうしたの?』と不思議そうにする姿が愛おしくてたまらない。


「あっ!」


 そんな彼方の仕草に内心悶えていたら、彼方が何かに気付いたように声をあげた。

 そして優斗の服をつまんでいた指をぱっと離す。

 

「ごめんね。恥ずかしいよね」


 気まずそうに少し俯いて優斗にお伺いを立てる。

 自然と上目遣いになってしまう形だ。


「(あざとおおおおおおおい!)」


 もちろんこれも狙ってやっているようには見えない。

 あくまでも彼方のあざとい行為は全て裏の無い素直な行為だったのだ。


「大丈夫だよ。どうぞどうぞ」

「ほんと? ありがとう」

「(ぐっ……やっぱりしんどい)」


 首を可愛くかしげたり、上目遣いをしたり、素直に喜ぶ。


 感情表現が薄めで傍目には淡々としているようにも見えるかもしれないが、はっきりと感情が伝わってくるのだ。

 しかも一切照れることなく素直な感情をストレートに表現する。


 美少女の彼方が小さくにこりと微笑むだけで胸にクるものがあるのに、全くの遠慮なく好意を優斗に向けて表現する。


「(これなら前の方が良かった……いや、どっちも厳しい!)」


 スキンシップ過多だったころは性欲が暴走しそうで危険だった。

 素直な感情を示すようになった今は可愛すぎてどう受け止めて良いか分からない。


「(なんでちびっこ達は来なくなっちゃったんだよー!)」


 せめて春臣達がいれば、弄り弄られの雰囲気でこの甘酸っぱい感覚から目を逸らすことが出来るのに。


 だが当面の危機は去ってボディーガードはお役御免なのだ。

 春臣達は優斗と彼方のイチャラブ生活を邪魔する気など毛頭なかった。


 グッジョブである。


「それじゃあ今日の帰りにスーパー寄って帰ろうね」

「おう」


 これじゃあ本当に新婚夫婦みたいではないか。

 以前、優斗は冗談交じりでそう思っていたがあながち間違いでは無い状況な気がしていた。


「(俺と彼方が……いかんいかん。何を考えてるんだ)」


 少なくとも優斗は恋愛目的で彼方と一緒にいるわけではないのだ。


 傷ついた彼方を幸せにしてあげたい。


 それが目的なのだ。


 極端な話、彼方が幸せになるのであれば素敵な男性を紹介するのも一つの手だ


「(馬鹿らし。そんな男なんて知らねーし)」


 一瞬だけ親友の閃の顔が頭に思い浮かんだが、何故か胸がズキリと痛んだので追い払った。

 今の彼方には恋よりも立ち直る方が先決なのだと言い聞かせて。


 彼方が自分のことをどう思っているのかと気になる心を見ないふりして。


 結局優斗は悶々とした日々から抜け出せないのであった。

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