11. ぬいぐるみ

 ある日の放課後、優斗は彼方と一緒に帰るために彼女の教室に立ち寄った。

 ここしばらくは優斗が来るのを待っているのか先に帰らずに席に座っているのだが、今日はその姿が見えなかった。


「あれ、帰っちゃったのかな」


 しかし机の上に鞄が置かれている。

 最初はトイレにでも行っているのかと思ったが、そんなことはなく教室に残っていた。


「何やってるの!?」


 彼方は何故か床に這いつくばっていた。


「彼方?」


 慌てて駆け寄り声をかけるが、優斗の存在に気付いた様子は無く一心不乱に何かを探している。

 消えていた視線が蘇り、床をはっきりと見ていた。


「どうした、何か落としたのか?」

「…………」


 声をかけても反応しない。


「彼方、彼方。何を探しているの? 俺も探すぜ」


 これまでの経験上、諦めずに話しかければいずれ応えてくれるとは思っていた。


「お母さん……お母さん……」


 しかし彼方は『お母さん』とつぶやくだけでそれ以上の反応をしてくれない。

 明らかな異常事態だ。

 せっかく回復傾向にあったメンタルが、また壊れてかけてしまっている。


「(母親から貰った何かか?)」


 優斗は立ち上がり机の上に置かれている鞄を見た。


「ああ、アレか!」


 鞄についているキーホルダー

 そこについていた小さな猫のぬいぐるみが消えていた。

 優斗が昼休みや放課後に来るときにいつも触っていたものだ。


 手作り感満載だったのと、今の彼方の様子から察するに母親が作ったのだろう。

 いわば母親の形見。

 必死に探すのも当然だ。


「よし、俺も探す!」


 優斗もまた床に膝をつきぬいぐるみを探し始める。

 ちぎれたならば落ちているのは彼方の席の近く。

 すぐに見つかると思っていた。


「あるぇ、無いぞ。なんでだ?」


 しかし全く見つからない。

 少し探す範囲を広げても気配が無い。


「教室の外で失くしたってことはないよなぁ」


 昼休みに一緒にご飯を食べた時にはあった。

 彼方がいつものようにソレを撫でているのを確かに見た。


 昼休みから放課後の間にわざわざ鞄を持って教室の外に出るとも思えないし、そもそも彼方は移動教室とトイレ以外はずっと自分の席に座ってそうだ。


 だとすると間違いなく教室内にあるはずなのだが。


「う~ん、分からん。よし!」


 優斗は探し方を変えた。


「なぁなぁ、このくらいの猫のぬいぐるみ見たこと無い?」


 もしかしたら誰かが見つけて拾っているかもしれないと考え、クラスの人に聞き込みをすることにしたのだ。


「……し、知らない」

「……見たこと無い」

「知らない! 知らないったら知らない!」


 放課後だというのに妙に人が多く残っていたので聞き込み相手には欠かなかった。

 挙動不審になり慌てて知らないと答える者や、近づくと逃げて教室から出てしまう者。

 何も言えずに震えながら小さく首を横に振る者など反応は様々だが、誰もがぬいぐるみを見てないと答える。


 成果が得られないまま、最後に教室の後ろに立っていた三人の女子に話しかけた。


「なぁなぁ、このくらいの猫のぬいぐるみ見たこと無い?」


 この三人も同じだろうとあまり期待はしていなかった。

 しかし予想外なことに、彼女達の一人が笑顔・・を浮かべて重要な情報を教えてくれた。


「うん、知ってるよ」

「ほんと!? どこで見たの!?」


 期待していなかった分、喜びもひとしおだ。

 これで彼方の大切なものが戻ってくるかもしれない。


「あの薄汚い・・・やつっしょ。ゴミかと思ってゴミ箱に捨てちゃった」

「さっすが玲緒奈れおなちゃん、綺麗好き~!」

「キャハハハ!」


 玲緒奈と呼ばれた女子が、優斗を見下すような侮蔑の視線を投げかけている。

 友人と思しき二人も下品な笑みを浮かべて煽っている。


 その態度に何かを感じなくは無かったが、今はそれよりもぬいぐるみを探す方が先決だ。


「教えてくれてサンキュな!」


 爽やかにお礼を告げ、ゴミ箱を確認する。


「まずい、もう回収されちゃってる!」


 こうなったらゴミ収集所に行って探すしかない。

 この学校では各クラスのゴミは定期的にゴミ収集所に集められ、そこから地域のごみ焼却センターへと運ばれる。

 ゴミ箱に捨てられたのなら、今ごろはゴミ収集所にあるはずだ。


「彼方、探し物は捨てられちゃったらしいからゴミ収集所に行こう!」

「…………」


 だが彼方はその場を動こうとせず、床を探し続けている。


「彼方?」


 話を聞いていない、というわけではなさそうだ。

 彼方は顔を横にブンブンと振って優斗の申し出を拒否しているからだ。


 その理由が優斗には分からない。

 だけれども、まごまごしていたらゴミが学校から回収されてしまうかもしれない。


「よし、なら俺が行ってくるよ!」


 彼方をこのまま放っておくのは気が退けたが、時間が惜しいという事で別行動をとることにした。


「キャハハハ! ばっかじゃないの!」


 教室を出る時に何かが聞こえた気もするが、優斗は無視して走り出した。


――――――――


 全ての教室から集められたゴミ。

 どの袋に入っているのがどのクラスの物かなど分からない。

 複数のクラスのゴミが一つにまとめられているので、ゴミの中身で判断することも出来ない。


 それゆえ片っ端から調べるしかなかった。

 指でつまめるほどに小さなぬいぐるみを。


「ない、ない、ない……」


 お昼ご飯のパンの包み紙や飲み物のパックなど、匂いの強い物も沢山捨てられている。

 消しゴムのカスや小さな紙くずなどの、ぬいぐるみが紛れてしまいそうなゴミも大量にある。


 臭いゴミを丁寧に漁り、目的のぬいぐるみがあるかどうかを探し続ける。

 大小様々な気持ち悪い虫も目に入る。


「どこだ……どこにある……」


 それでも優斗は探すのを止めようとはしない。

 ひたすら無心に探し続ける。


 それ以外の選択肢などあるわけがない。


 『母親の形見』が、どれだけ大事な物なのかなんて、痛いほどによく分かっているから。


 しかし見つからない。

 必死であるからといって報われるとは限らない。

 陽は落ち、辺りは徐々に暗くなり、探すことが困難になる。


 そしてついにその時は来てしまった。


「篠ヶ瀬、お前何やってんだよ」


 優斗のクラスの担任教師。

 自クラスの生徒が遅くまでゴミ漁りをしているという話を聞いてやってきたのだろう。


「何を探しているのか知からんが、もう遅い。諦めて帰りなさい」


 帰る時間としても、探す時間としても、もう遅い。

 これ以上ここに居ても見つかる可能性はほとんど無いだろう。


「先生すいません! 大切な物なんです! どうしても見つけたいんです! 続けさせてください!」


 それでも優斗は諦めるつもりは無い。

 スマホの明かりを頼りにして、徹夜になろうとも探すつもりだった。


 その想いを、土下座という形で担任に必死に伝える。


「おいおい……そんなこと言われてもなぁ」


 担任は優斗の事情を知っているため、彼のメンタルに関わりそうなことは出来る限り手助けしてあげたいとは思っている。

 とはいえ、このまま深夜までゴミ漁りをさせるのが優斗にとって良い事なのか、あるいはその逆でここで強引に止めるのが良い事なのか判断がつかない。


「お願いします! お願いします! お願いします! お願いします!」


 額を地面をこすりつけるように、必死にお願いを繰り返す。

 一介の高校生がここまでしてお願いをすることなど普通はあり得ない。


 どうしたものかと担任が悩んでいると、別の先生もやってきた。


「後藤先生」

「あれ、岡部先生?」


 岡部は彼方のクラスの担任教師。

 そして岡部の隣には彼方が立っていた。


 教室を閉める時間ということで、追い出されたのだろう。

 そして未だにぬいぐるみを探している優斗の元へとやってきた。


「彼方?」

「…………」


 辺りが暗くなっているので優斗の位置からは表情が見えない。

 しかしぬいぐるみが見つからない以上、あの自殺を試みた時と同じくらいに酷い顔になっていることは想像出来た。


「っ!」

「お、おい!」


 彼方は担任からの許可を待たず、ゴミ漁りを再開する。

 一刻も早く見つけなればならない。

 彼方を元気にして『生きてて良かった』と言わせると誓ったのだ。

 こんな序盤で諦めるわけにはいかない。


「(絶対に見つける!)」


 優斗の頭の中は、それだけで占められていた。


 教師達がどうしたら良いかと悩み、優斗は必死にゴミ漁りをし、彼方は優斗を見ながら立ち尽くす。


 この状況を動かしたのは、第三者、いや、第四者だった。


「あ、あのっ!」


 いつの間にか、彼らのそばに二人の女子がやってきていた。

 彼女達は彼方の元へと小走りで近づいた。


「「ごめんなさい!」」


 そして手に持った猫のぬいぐるみを差し出した。

 それは間違いなく彼方と優斗が探していたものだった。


「…………」


 彼方はそれを見てしばらく動かなかった。

 すぐにでも手に取り安堵するかと思いきや、まるで手に取るのを躊躇っているかのように硬直していた。


「良かった~! なぁ、彼方!」


 それとは真逆に優斗は大喜びだ。

 ゴミ捨て場から出て彼方の元に向かい、軽く肩を叩いた。


「おっと、悪い。臭いよな」


 そう笑って体を離すと、ようやく彼方はぬいぐるみを手に取った。


「本当にごめんなさい!」


 女子達は彼方のクラスメイトだった。

 優斗がぬいぐるみを知らないかと聞いた相手でもある。


 そもそも何故ゴミ箱に捨てられたはずのぬいぐるみを彼女達が持っていたのか。

 何故優斗が聞いた時に知らないと答えたのか。

 そして何故謝っているのか。


 気になることは沢山あるはずなのに。


「二人ともありがとう。彼方も感謝してるってさ!」


 彼方の気持ちを勝手に代弁し、二人にお礼を告げた。


「そんな悪いのはわた」

「そうだ! 良かったら明日から彼方と話をしてあげてよ。俺が彼方のところに行けるのって昼休みと放課後だけだからさ」

「「え?」」


 女子達の言葉を不自然に遮り、優斗は彼女達と彼方を結び付けようとした。


 優斗は決して馬鹿では無い。

 これまで見て来たクラスの様子から、彼方の置かれていた状況に察しはついていた。


 いじめか、それに近い状況に置かれているのだろうと。


 クラスメイト達が不自然に彼方を敬遠していたのがその証拠だ。

 今回の事件だって、クラス内に『黒幕』がいるのだろうとは思っているし目星もついている。


 彼方が日常を取り戻すためには、学校生活も普通でなければならない。

 それには優斗だけではなく、友達の存在が不可欠だ。


 詳しい理由は分からないけれど、彼女達は何らかのルールを破りぬいぐるみを彼方に返してくれた。

 女子グループのルールを破ったとなれば、彼女達のこれからの立場は危ういものになるだろう。

 その危険を犯してまで、ぬいぐるみを返してくれた。


 優斗はその行動を選んだ彼女達を信じることにした。


「あ! ゴミ片付けないと! 先生、すぐ片付けて帰りますね!」

「お、おう。俺も手伝うわ」

「ありがとうございます!」

「「私達もお手伝いします!」」


 女子達と教師達の協力もあり、ゴミはすぐに元通りに片付けられた。


 その間、彼方はようやく見つけた母の形見を軽く握り、ずっと優斗の方を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る