(2)

 藤木和弘警視監。

 H県警察本部の本部長。長身でスーツ姿が似合う、まるで大手企業の重役のような見目は切れ者の演出に十二分に貢献している。一方で、その人当たりは驚くほど柔らかく、そのギャップで大抵は面食らうと言われている。

 なお、仕事ぶりに関してはらしく、所謂いわゆる陰口の類では『昼行燈』という不名誉を拝していると聞く。


 これで『昼行灯』なら、世の中だらけになるが。


 過去に一度会った――という程ではなく、一声掛けられただけに過ぎないのだが――時の印象は、何とも言えないといった程度でしかなかった。

 が、たった今、情報は更新された。目の前の男は昨日の今日で一警官の身柄を洗い切る程度の手腕は間違いなく持っている、ということだ。のことをけるにも不自由していないことだろう。調査でも遂行する手駒人員に関しても同様と見るべきか。


「過分な妹です」


「謙遜する必要は無いよ。君だって何年か前に全国警察柔道選手権73kg級で3位を獲った猛者じゃないか。3位決定戦で見せた、相手の大外刈おおそとがりを返したすかしは鮮やかだったね」


「……よくご存じですね」


「そりゃあね。こと、覚えているかい?」


 柴塚の瞳孔が固まる。

 藤木は急遽調べた情報だけで語っているのではない。

 確かに選手権大会から凱旋した時にささやかな祝賀会が開かれ、選手一同は藤木本部長から慰労と激励を受けた。しかしそれは本当に一言ずつ、たったそれだけである。それに、柴塚自分大外透おおそとすかしで決めたことも記憶している。


 柴塚のこめかみを汗が一筋、下る。

 もはや人工的とも言える均一な青の空からの熱線のせいか、足元から燃え上がる陽炎にいぶされたせいか――


 ――それとも、その陽炎の上に座して大樹を背負う陰のせいか。 


「……覚えております」


「良い目をした青年だと思ったものだよ。警官とはかくあるべき、とね。それだけに、麻薬取締部マトリとの合同捜査の件では複雑な気持ちだったものだ」


「は……」


 心底残念そうにため息を吐かれて、窮する柴塚。

 柴塚が件。地方厚生局厚労省の麻薬取締部マトリと県警本部とで内偵を進めていた、近隣府県にまで広がっていた新型ドラッグ売買ルートの捜査。柴塚にしてみればで己が職責を果たしただけなのだが、結果的に、一年がかりの内偵を台無しにしてしまったのだ。そのため、H県警察の面目は丸潰れとなり、麻薬取締部に負い目を持つ羽目になった。

 そして、柴塚のラベルが『若手の注目株』から『問題児』に貼り替えられた件でもある。


「君は君の案件に対して職務を果たした。誠実にね。それが分かるだけに、歯がゆいものだった」


 抑揚を沈めた声で語り、そこから「私が周りに頭を下げて回ったんだよ? 麻薬取締部マトリには嫌みをずいぶん言われたものさ。ちょっとは感謝してもらっても良いと思うがね?」と、藤木はにこやかに笑いかける。


 しかし、そう明るく言われても柴塚には返す言葉が無い。

 それはもう、皆目見当がつかない。広域の合同捜査をぶち壊した一警官が、その後始末をした警察本部長へ、一体何と言えば正解だというのだろうか? 


「……」


 無言でしかやりようがなかったが、それはそれで好都合でもある。

 一方的に話題を展開されて隙がなかったが、今この一瞬、が生まれた。今の話の流れならば返答に窮したところで妥当、切り返せる方が普通ではあるまい。

 何とか主導権を……


【少なくとも、何かしら聞き出さなければ】


 瞬時に思考に沈む柴塚。

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