(7)

 絶句。


 二の句が継げなかった。妹の口から出てきた名前に、柴塚は思い切り面食らう。

 が、ほうけている場合ではない。警官を不審者の犯行は、残念ながら一定数存在するのだ。


「入れてないな?」


「まだ家には上げてないよ。前に言われた通りに。警察手帳を見ても素人じゃ本物か偽物か分からないから」


 まずは一安心、か。


「でも、本物に見える。大丈夫かな、気を悪くはされてないみたいだけれど、『ケイシカン』って警察機構の中でもかなり上の階級じゃなかった?」


 かなり上どころの話ではない。

 警視監けいしかんは警察機構のトップである警視総監に次ぐNo.2の階級で、全国に40人といない。警視庁を除く道府県警察では本部長を拝命する階級。

 なお、現在、H県警察本部長の名前は『藤木』で間違いはない。


 つまり、が訪問しているのだ。


 奏の質問には答えず、柴塚が畳みかける。


「俺と知ってて来たのか?」


「うん、『叶警察署の柴塚巡査部長のお宅でしょうか。本日は在宅になったはずですが、おられますか?』って」


 ただの不審者ではない可能性がぐっと上がった。こちら柴塚の情報を正しく把握している。

 しかし、だからといって県警本部トップが平刑事を訪れることなど前代未聞も甚だしい。あり得るとしても――それでも辛うじてだが――境管理官がオフレコで釘を刺しに来るといったところが限界だろう。大企業の代表取締役が一支店の一営業員の自宅を訪問することなど、一般的にあるまい。


話口はなしぐちも穏やかで朗らかだし、外で待つのも快く了承してくれたし、不審者とは真逆の印象。でもんだよね? 装うことに長けてるから自分の感触を過信しないようにって言われてたから」


 柴塚に言われたことをはきちんと守っていたわけだ。

 そのことに安堵しつつ、柴塚は短く告げる。


「すぐ戻る」


「うん」


 通話を切った。

 振り返ると、鍛治谷口の真剣な顔と、榊の怪訝そうな顔が並んでいる。


「柴くん?」


 問う鍛治谷口。

 無言の柴塚。


 仮に――おそらく高い確率で――藤木県警本部長だとして、それが一介の刑事を訪れるなどただ事ではない。そして、それはめでたいことではなく、十中八九ことだと想定するべきだろう。


 何もなければ御の字なのだが……。

 いずれにしても同僚を巻き添えにするわけにはいかない。


「用事が出来たので、失礼します」


 柴塚は、それだけ口にした。

 一、二秒ほどだけ柴塚の目の奥を窺って、鍛治谷口は苦笑する。


「分かったよ。


 詮索はしないことにした鍛治谷口に、柴塚は軽く一礼する。「あれ、帰るんすか?」と首を傾げる榊を鍛治谷口が「まあまあ」と曖昧に丸め込み、現場検証へと連れ戻していった。


 その場から踵を返し歩き始めて、段階的に速度を上げる。公園の地下駐車場へと駆け込み、スイフトに飛び乗った。

 アクセルを踏み自宅への最短距離を突き進む。

 アパート隣の駐車場へと飛び込んでエンジンを切る。


 そこでようやく、大きく深呼吸した。

 二度、三度と。


 呼気を安定させて、車から降り、駐車場を出る。

 振り返った先、アパート2階の自室の玄関扉の前に人影があった。すらりと伸びた長身、やや薄めだがそれなりに厚みのある体躯、白髪が5割ほど混じっていそうな髪の下に知った顔。

 姿勢良く、しかし実に柔和に、片手を上げる影。


 H県警察本部長、藤木和弘警視監だった。

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