第27話
廊下は薄暗くて何処までも果てが無いように思えた。
実際は突き当りに階段があるんだけど、そう感じた。
まだあたしが足を踏み入れたことのない部屋に、向かっている。
「世の中には、知ってはならない話って言うのがある」
景壱はドアを開いて、あたしを招きながら言う。
知ってはならない話って何だろう?
照明がついて、部屋全体が見えるようになった。
どこもおかしくない普通の部屋。カーペット、ソファ、テーブル、エアコン、本棚、その他色々。
普通の一般家庭でよくある部屋だと思う。
あたしがソファに座ると、景壱はノートパソコンを手に持ちながら、あたしの隣に座った。
「しかし、こういった話は事故と同様のもので、いつ耳に飛び込んでくるかわからないもの。あなただって、事故のように、ここに招かれてしまった。ここは夕焼けの里。生きられなくなったものが生きる素敵な里。ここでは訪れるすべてのものに永久の安らぎを約束する」
「あたしは、生きられなくなったものが何なのか知りたいの」
「そのままの意味。あなたは里内で色んな人に出会ったはず。どの人も幸せそうに笑っていたと思う」
「そのままの意味って言われても」
「順を追って説明しよう。まずは、あなたが入って来た森について」
景壱がキーボードを弾くと、液晶画面に森が広がった。あの森だわ。
「ここが『禁足地』と呼ばれていることを、あなたは知っていた。人間は残酷なものやね。あなたは知っていたからこそ、ここに来てしまったのに」
「どういうこと?」
「そのままの意味」
また、そのままの意味。
あたしは、あの森を禁足地だと知ってたから、ここに来てしまった?
それなら、知らなかったら、ここに来ることはなかったの?
「でも、知らなかったら、タケちゃんとかいう子を見つけることはできなかった。あなたは知っていたからこそ、タケちゃんを見つけることができた」
「でも、川で溺れて亡くなってたわ」
「そうやね。これは一意見として聞いておいて。いつまでも行方不明でいるよりは、死んでいたとしても、見つかった方が良かったと思う」
「それは、そうね」
「だから、そんなに気に病むことはない」
カチッ……。キーボードが弾かれて画面が切り替わる。
森の中を歩いているみたい。今この瞬間を歩いて移動しているかのような動きをしてる。
「菜季は、タケちゃんがどうして溺れて死んだかを知りたい?」
「弐色さんが言っていたわ。付き添っていた先生が――って」
「あの人は嘘吐きやけど、あなたは信じるの?」
「どうして嘘吐きだって言うの?」
「嘘にも色んな種類がある。予防線の為の嘘。合理化の為の嘘。その場しのぎの嘘。利害の為の嘘。甘えの為の嘘。罪隠しの為の嘘。他にも色々ある。あの人の吐く嘘は、どれやろね?」
「教えてくれないの?」
「俺はあの人やないから、あの人がどういう理由で嘘を吐いているか推測することしかできない。だから、俺から菜季に真実を教えることはできない。でも、これだけは言える。あの人は、嘘吐き」
液晶画面に動きがあった。
川に人がいる。子供がいる。これ、誰かの目を通して見てるみたい。
まるで、目がカメラになって映像をパソコンに送ってるようだわ。画面に突如現れた手は、子供の頭を掴んで、川へ顔を浸けた。
「あの人が言ってたのは、こういうことやろ?」
「どうして、こんな映像があるの?」
「これは想像であって、真実ではない」
「どういう意味?」
「これは、俺が組み立てたコンピュータグラフィックス。つまり、虚構の世界。だから、真実はどうか俺もわからない。だって、俺は見てないから知らない。俺は知らないことは知らないとしか教えられない」
景壱は退屈そうにしながら、キーボードを弾く。
このタイミングで見せられたら、これが真実だって思っちゃうじゃないの。って、あれ? 思い込むってこういうことかしら? もしかして、あたしに教えるために、こういうことをしてる? そうだとしたら、おかしいわね。景壱は思い込ませることで、心をなんちゃらって弐色さんは言っていた。その思い込ませる方法を教えてくるのは、なんだかおかしい気がする。それとも、何か別の理由がある?
「ここは、
「あの、もっと簡単に言ってくれない?」
「あなたの知能レベルを理解していなかった俺が悪かった。ごめん」
何であたしは謝られたんだろう。
景壱は可哀想なものを見るかのような目であたしを見る。
つまり、ここは素晴らしく良い場所だけど、何処にも無い場所。
どういうことかさっぱりわかんなくなってきた。これについては考えなくて良いんじゃないのかしら。
「橋を渡ったら、不思議の国に着いてたってことにしておいて」
「まるでアリスのようね」
「白兎を追いかけてないし、穴にも落ちてないと思うけど」
「そ、そうね」
どうしてそこは真面目なトーンなのよ。あたしにはこの子の思考がやっぱりわからない。
「ご主人様!」
ドアが開いたと思ったら、お風呂からあがったこやけちゃんが景壱に抱き着いた。景壱はドライヤーを持ってきて、こやけちゃんの髪を乾かしていた。平和ね……。
「菜季さん、弐色さんの家に忘れ物をしたでしょう! コウモリが届けに来ているのですよ! 窓を開けてあげるのです!」
あたしは窓を開く、するとコウモリが部屋に入って来て、風呂敷を置いていった。
中には丁寧に服がたたまれていて、化粧道具の上に手紙が乗っていた。綺麗で読みやすい字だ。ただ、内容がすごくイラッとする。バストサイズをチェックしてるんじゃないわよ。まったくもう。
「はい、髪乾いた」
「ありがとうございます! お風呂どうぞなのです!」
「うん。菜季も一緒に入る?」
「へっ?」
「冗談」
景壱はクスクス笑いながら部屋から出て行った。あたし、何でこんなにからかわれるんだろう。どういう反応をしたら正解かもわからない。
こやけちゃんがあたしの腕を掴んだ。ああこれ、移動するのね。もうわかったわ。
何も言わないであたしは立ち上がる。すると、こやけちゃんは嬉しそうな表情をしながら、手を引いた。やっぱり移動ね。
部屋を出て、薄暗い廊下を歩く。
クレヨンで描かれた絵が壁に飾られていた。決して上手だとは言えないけど、可愛らしい絵。きっとこやけちゃんが描いたものなんだろう。図書館で見たものと同じような感じ。
またもやあたしが知らない部屋へ連れてこられた。床が網だわ。網の下に棘のようなものが見える。網の上には、色々な楽器が置かれている。ピアノやミニハープもある。なんだか妙に静かな部屋ね。気味が悪い。
「少し前にお話した景壱君の作った太鼓はこれなのです」
「え、えっと、人の皮の?」
「そうです。なかなか良い音が出るのです。ほら」
こやけちゃんは変な色をした太鼓をぽんぽん鳴らして遊んでいる。
既に太鼓となってたら怖さなんて感じない。色々麻痺しちゃったみたい。これが慣れってものなのかしら。恐ろしいわ。
「ここは
「へえ。そうなのね」
「つまり、助けなんて呼べませんよ」
こやけちゃんは可憐な笑みを浮かべている。怖い。腕を掴まれた。すごく力強く握られて痛い。
「逃げちゃ駄目なのです。そっちのほうが怖いものがあるのです。でも、見たいなら自己責任でどうぞです。この奥は、景壱君のアトリエです」
よく見ると、室内にもう一つドアがあった。別の部屋に通じるドアがあるのは、この屋敷で初めて見る。このドアの向こうが景壱のアトリエらしい。こやけちゃんが怖いと言うくらいなんだから、きっと、怖い。でも、こやけちゃんは精霊だから、あたしとは価値観が違う。だから、怖くないという可能性もあるのよね? 自己責任でどうぞって言われたし……。ちょっと気になる。こやけちゃんは腕を離した。あたしはアトリエへのドアノブを回す。鍵はかかってないみたい。
「見るのですか?」
「ちょっと気になるもの」
「菜季さんは知りたがり屋さんですね。それなら、私も一緒に入ってあげます。一緒に怒られましょう」
「って、待って。入ったら怒られるの?」
「無断で入ったら誰だって怒られるに決まっているものなのです」
「それなら入らないわ! 怒られるのは嫌だもの!」
「入ったと気付かれなければ大丈夫です! バレなきゃ嘘も真実なのですよ!」
「駄目よ! 何か仕掛けがあるに違いないわ!」
景壱のあの感じを見てたら、何処かに監視カメラとかあるに決まってる。
あたしは慌ててドアから離れる。こやけちゃんはしょんぼりした表情をしていた。
「菜季さんなら頼んだら入れてくれると思います。その時は、私も一緒に入るのですよ」
なんとなく、こやけちゃんの性格を考えたら何か壊しそうな気がしちゃうんだけど……。
部屋を出て、再び屋敷内を歩く。この屋敷ってこんなに大きかったかしら? まだ知らない部屋がある。きちんとわかってるのは、自分に与えられた部屋と景壱の部屋、こやけちゃんの部屋、リビング、キッチン、お手洗い、お風呂場かしら。それとさっきの無響室とアトリエ。そういえば、その前の部屋は?
「ねえ、こやけちゃん。さっきあたしと景壱がいた部屋は何なの?」
「あそこは客間なのです。でも、ここに泊まるお客様は滅多にいないのです」
誰か泊まることもあるってことよね。あまり深く考えないほうが良いかしら。
そのまま階段を上る。あたしの部屋のドアにかかっていたプレートがたぬきからコウモリに変わっていた。どうして変わってるんだろう。
コウモリで思い出してポケットを探る。コウモリの形をした紙が出てきた。こやけちゃんがあたしの手を覗く。
「これは弐色さんの式符でございますね。貰ったのです?」
「うん。持っておいたら良いって言ってたわ」
「そうですね。これには強いおまじないがかかっているのです」
「おまじない?」
「そうなのです。式を打てば式神として使役することも可能なのですが、菜季さんにそんなことはできないので、おまじないがかかっているのです」
「どういう?」
「貴女を護るおまじないですよ」
こやけちゃんは、あたしの部屋のドアを開きながらそう言った。
あたしを護るおまじないって何だろう?
部屋の中は昨日と変わっていた。すごく見慣れた部屋。おばあちゃんの家の部屋と実家の部屋を足したような感じ。家具も全部そのままあたしの部屋にあったもの。こやけちゃんを見ると胸を張っていた。
「ふふん。驚きましたか? 現世の菜季さんの部屋から運んできたのです! サア、感謝するが良いです! 崇めるが良いです! 私を褒めちぎるが良いです! サアサアサア!」
「ありがとう。こやけちゃん」
こやけちゃんの手を握って、お礼を伝える。
子供が褒められて喜んでるみたいで可愛い。こやけちゃんは子供じゃないから失礼だけど、すごく小さな子が喜んでいるみたいで可愛いわ。
「喜んでもらえたようで嬉しいのです。さて、景壱君がお風呂からあがったのです。菜季さんもお風呂に入れば良いのです。着替えはタンスに入っているのです。そのまま持ってきたので菜季さんの方が何処に何が入っているかわかるでしょう」
シールの貼りついたタンスを開いて、あたしは着替えを準備する。あれ、そういえば……。
「あたし、おばあちゃんの骨壺を忘れてる!」
「ここにあるのですよ」
「いつから持ってたの?」
「お迎えに行った時に回収しておきました。お風呂に行く前に菜季さんの部屋に置いたのです」
骨壺は机の上に紫陽花と一緒に飾られていた。あんなに目のつく場所にあるのに気付かないなんて。
もう少ししっかりしないと。あたしの名前は、寺分菜季。
よし、ちゃんと覚えてるわ。弐色さんに名前を呼ばれてから鮮明に思い出せるようになった。おばあちゃんの言ってたことはやっぱり正しい。
こやけちゃんが急かすので、あたしはお風呂場へ向かう。その前にお手洗いに行っておかないと。
お手洗いに行ってから、お風呂場へ入る。服を脱いで洗濯機へと入れる。頻繁に回しちゃ悪いかしらね。あまり汚れたような物は入ってないようだし。
浴室はほのかに温かかった。あたしは髪と身体を洗ってから湯船に浸かる。
窓から星空が見える。今日は月が見えないのね。
ずっと昔からここを知っていたみたいで落ち着いてしまう。まるで田舎に里帰りしたみたいだわ。とても癒されてしまう。ここが禁足地だと呼ばれてる森の奥にある不思議な場所だってことも忘れてしまう。
浴室を出て、身体を拭き、服を着る。髪をドライヤーで乾かす。
古いデジタル時計には二十時四十三分と表示されていた。一日が長く感じるわ。もう二十二時を過ぎてると思ったのに、まだこんな時間。
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