第13話

 あたしはラベルに表示されていたことを信じて、料理をした。表示を信じてはいけなかった?

 頭が痛む。ガンガンする。

 ぐちゅり、気持ち悪い音がした。

 景壱が目玉を噛んだ音らしかった。あんな音がするなんて思わなかった。

「菜季。あなたが昨日食べた豚肉の正体――知りたい?」

 あたしは首を横に振る。知りたくない。きちんとした豚肉だったとしても、そうじゃなかったとしても、知りたくない。

 あたしはもう疲れた。

 そういえば、まだ昼食を食べていないんだったわ。食欲わかないけど。景壱は少し残念そうな表情をしている。

「知りたくないん? 知らない事を知ろうとは思わないん?」

「それよりあたしはコンビニが何処にあるか知りたいわよ」

 話題を変えたほうが良いわ。放っておいたら肉の話を聞きたくもないのに続けられそうだもの。

 あたしは箱に蓋をして、自分の後ろに隠した。これ以上食べさせて堪るもんですか!

 話題を変えるためにコンビニが何処にあるか尋ねてみたけど、無反応。

 景壱は着替えてから椅子に座り、パソコンを弄り始めた。何で無視なのよ。

 あたしは立ち上がる。それにしても暗い部屋ね。カーテンを開けたほうが良いわ。それに、換気もしないと身体に悪い。空気清浄機が置いてあるけど、やっぱり自然のほうが良いわ。あたしはカーテンに近付く。妙に分厚い。遮光性が高いカーテンってこんなに分厚いのね。季節感の無い灰色のカーテンを開いて、窓を開く。気持ち良い風が吹き込んでくる。閉じこもってるよりずっと良いわ。

 ドサッという物音に振り向くと、景壱の姿が見えなかった。けど、ドアの前にこやけちゃんが立っていた。昼食を食べ終えたから来てくれたみたいだった。

「景壱君に許可を得てカーテンと窓を開けたのですか?」

「どうして窓を開くのに許可がいるの?」

「それはですね……。私の主人はとても可哀想な方で、日中太陽が燦々と照り付けている間は外出できないのです。主人の表皮は紫外線に弱く、すぐに赤く焼け爛れてしまいます故」

「日焼けするだけでしょ?」

 こやけちゃんは「ヤレヤレ」と呟きながら、あたしの横に来て窓とカーテンを閉める。そして、あたしの腕を掴んでパソコンの前に連れてきた。ベッドの横に景壱が倒れている。気絶してる……?

 顔の左側に、茶色っぽくなっているところ、白っぽくなっているところ、水ぶくれができているところがある。火傷……ね。けっこう重めの。

「菜季さんは『日焼けくらい』と思いますが、景壱君からしたら生死の問題なのです。まあ、貴女の知らなかった事ですから、気にする事は何もありません。知らない事については、景壱君は優しいのです。知らなかったのだから、仕方ないのです。それに、お薬を塗れば治るのでございますよ」

「そ、そうなのね」

「とりあえず、気絶しているのでベッドに寝かせてあげるのです。このベッドでゆっくり眠るのは何カ月ぶりでございましょうか。菜季さんがここに来たお蔭でよぉく眠れて良かったですねェ。ご主人様。あはあは」

 こやけちゃんは嬉しそうにしながら、景壱をベッドに放り投げて、パソコンの横にある小さな棚から薬瓶を取り出して、塗りつけていた。やっぱりあんな大きな鎌を振り回すくらいだから力持ちなのよね。

「さて、菜季さんに謝りたいことがあるのですよ」

「何?」

「おばあさまのことです。ごめんなさい。どうやら私は順番を間違えてしまったようなのです」

 こやけちゃんはペコリと頭を下げた。

 謝って済むようなことじゃない。でも、あたしにはどうしようもできない。反応に困っていると、こやけちゃんが口を開く。

「お詫びに抹茶プリンの美味しい洋菓子店にご案内します! 今日は洋菓子店の案内をしたい気分なのです。だからついて来いなのです。それに、友達ペットはお散歩に連れて行かなければいけないものなのです。勝手にお散歩させてはいけないのです。景壱君にまた叱られてしまいます」

「ちょっ、ちょっと待って。この、おばあちゃんのことなんだけど――このままにしておけないわよ!」

 あたしの腕を引っ張って連れ出そうとするこやけちゃんに向かい、箱を指差しながら訴える。

 このままにしてたら景壱がまた何かしそうで怖い。あたしの言いたいことが通じたようで、こやけちゃんはあたしから手を離すと箱を抱えた。

「火葬で良いですか? 土葬しても良いのですが、何かに喰われると思います」

「それなら絶対火葬して!」

「了解です! 弐色さんに頼みましょう」

「弐色さんに?」

「死とは、穢れでございますよ。こういうのは、彼にお似合いなのです。先に神社に行ってから洋菓子店へ行きましょう。れっつごー! なのです!」

 あたしは黙ってこやけちゃんについていくことにした。どうせ、もうあたしには何もできないんだもの。このまま従ったほうが良いわ。

 こやけちゃんと共に道を歩く。道行く人々が「こやけ様!」と言う。まるで神様を崇めているようだわ。と思ったんだけど、こやけちゃんは精霊だから、そういうものなのかしら。

 色々な人がこやけちゃんに挨拶していく。あたしも一緒に挨拶する。すると「こやけ様のお友達ペットになれるとは羨ましい!」と言う人もいた。神や精霊に言われるならともかく、同じ人間に「ペット」って言われるのはなんか嫌だわ。バカにされてるみたい。

 川原では相変わらず子供達が石を積んでいる。あら? 積んでない子がいる。ボーっと突っ立っている。

「少し待っていてくださいませ。あの子を孵化させてくるのです」

「え? う、うん」

 こやけちゃんは箱を置いて、その子に向かって駆けて行く。駆けていく途中で左手に大鎌が握られていた。その子がこやけちゃんの姿に気付いた時には、その子の首は川に落ちた後だった。首を失った身体はドサリとその場に倒れる。他の子達は黙々と石を積み上げていて、全く気にしていない様子だった。

あたしも驚かなくなってしまった。一気に感覚が麻痺しちゃっている。だって、今あたしの足元には皮の剥がされたバラバラ死体の入った箱があるんだもの。クラクラする頭を押さえつつ、あたしはこやけちゃんを見る。こやけちゃんは鎌を消して戻って来た。何事も無かったかのように箱を持つと、歩み始める。

「放っておけば私の可愛い使い魔がかえしてくれるのですよ」

「そ、そうなのね」

「意味をわかっていないのに返事しているでしょう? あの子達は一定時間置くとああして何もしなくなってしまうのです。それが孵化のタイミングなのです。菜季さんにわかりやすく言い換えますと……そうですね、いっぱい石を積んだら来世に期待できるってことでございます!」

「どういうこと?」

「わからないならわからないで良いのでございます」

 橋を渡って森の中に入る。すぐ森を抜けた。

 そういえば、この森は気分で距離の変わる森だったわね。今日の森は、短い気分みたい。

 鳥居がズラリと並んだ石の階段。この前はこんなに無かったように思うんだけど……。まさかこれも気分で変わるとか? あたしが考えていると、こやけちゃんはふわふわ浮かび上がった。……飛べても精霊だから不思議じゃないわよね。でも、ちょっとずるい。

 あたしが息を切らしながら石段を上りきると、こやけちゃんはベンチに座ってペットボトルのお茶を飲んでいた。

「思ったよりも早い到着でございますね! お疲れ様でございますよ!」

「っはぁ、もう、だめ」

 あたしはこやけちゃんの横に座る。こやけちゃんはあたしにペットボトルを渡してきた。未開封のお茶。あたしは迷わずに開封して、飲み下す。美味しい緑茶だわ。生き返った気分。

「『友達ペットには適時水分補給させること』って、本に書いていたのです!」

「そう」

 「絵本が良い」って言ってた本のことなんだろうけど、人間の飼育書なんて見たことも聞いたこともないから、どんな本を読んでるのかしら……。でも聞いたらいけない気がするから、あたしは口を閉じた。

「あ! 弐色さん、ちょうど良かったのです。この死体を火葬して欲しいのです」

「いきなり冗談言わないでよ。僕は葬儀屋じゃないんだよ。死体ならカラスにでも食わせなよ」

「この死体はそうはいかないのです。菜季さんのおばあさまなのです」

「菜季の?」

 いきなり立ち上がったと思ったら、こやけちゃんは近くを通りがかった弐色さんを捕まえていた。

 あたしは疲れて動けない。やっぱり食欲が無くても何か口に入れておくべきだったかしら、身体が重いわ。少し遠くで二人は何か会話している。あたしには聞こえない。

「菜季さん! 弐色さんが火葬してくれるそうです。ついて来てください」

「もうちょっと休ませてよぉ」

「駄目なのです! この後は洋菓子店に行くのです! 予定がびっしりなのですよ!」

「菜季は豊かな胸があるから疲れるんだよ。洗濯板のようなこやけとは違ってね」

「むむっ! そんなことはないのですよ! 私にだって胸はあるのです!」

「何処にあるの? 僕には見えないよ。むしろ、僕のほうがあるんじゃないかな? きゃははっ」

「キーッ! あるのです! あるのですよ! おっぱいあるのです!」

 弐色さんに向かってこやけちゃんは胸を張って背伸びしている。弐色さんは楽しそうに笑っていた。仮面のような笑顔じゃないわね……。あれが素なのかしら?


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