第8話

 洋菓子店って何で? どういうこと? 殺されることがないなら良いけど……。

「洋菓子店に行くのは良いとしても、二人をこのままにしておけないわ」

「死なないので大丈夫でございますよ。死神も微笑まないのです。冷たい死の接吻をされる事も無いのです。ほら、早く行きましょう」

 こやけちゃんはあたしの腕を引っ張って連れ出す。

 もう二十二時を過ぎたし、洋菓子店なんて、どこも閉まってると思う。あたしの予感は的中した。昼間は賑わってる商店街も、居酒屋以外はシャッターを下ろしている。

 こやけちゃんは辺りをキョロキョロ見渡してから溜息を吐いた。

「シャッターばかりなのです。閉店ガラガラなのです」

「そりゃ居酒屋以外どこも閉まってるわよ」

「主人のおやつを買い損ねたのです。このままでは私はお仕置きされてしまうのです。助けてください」

「助けてくださいって言われても困るわよ!」

 というか、この子、あたしをご主人様の元へ連れて行く命令があったとかじゃないの?

 あたしが聞いて良いことなのかわからないけど、心にモヤモヤしたまま残しておくのも嫌だし、何がおしまいだったかも気になるし、聞いても良いわよね?

「ねえ、あたしをご主人様の元へ連れて行く命令はどうなったの? あと、貴女に見つかったら『おしまい』とか言ってたのは?」

「あ……私の主人――景壱君は、菜季さんを視認して生きていることを知ったので――貴女、死にたいとか人を殺したいとか思ったことないでしょう?」

「そんな物騒なこと、思わないわよ」

「それが答えです。それと『おしまい』と言うのは、私は弐色さんと隠れ鬼をしていたのです。しかし、あの人は隠れようともせず『菜季を捜してみなよ』と言ってきたのです」

「え? えーっと? いまいちわからないんだけど……」

「隠れ鬼はおしまいなのです! 私の勝ちなのですよ!」

「は、はい?」

 あたしが思ったよりも、深刻なことはなかったみたい。あたしの早とちり? いや、言い方が悪いのよね。あたしが考えていると、こやけちゃんはあたしの腕を引っ張ってずんずん歩みを進める。

 あたしの声は何一つ届いてないようで、道路の角にあるお地蔵さんの前を通過すると、途端に景色が草原に変わった。田んぼかしら? とりあえず田舎の風景ということはあたしにもわかる。

 って、冷静に見てる場合じゃないわよ! 変なところに連れ去られてる!

「ここは何処なの?」

「夕焼けの里なのです。この坂を上れば、私達の住居に着くのです」

「いやいや、住居に着くのですって言われても――」

「貴女、幼稚園の先生だったのでしょう? それなら、お菓子が作れるはずなのです! つべこべ言わずにお菓子を作らないと、その首を刎ねとばして、サヨナラ場外ホームランにしますよ!」

「わ、わかったわよ」

 そう言われたら、あたしも従うしかない。見た目は可愛い女の子なだけに、こういうことされたら怖い。それにしても、おやつってこんな夜遅くに食べるの? 相手は人間じゃないから人間の常識は通用しないってことかしら。

 あたしは腕を引かれるままに、坂の上の屋敷に吸い込まれていった。

 屋敷の中を歩く。壁に夕焼けの写真が数枚飾られていた。とても綺麗な夕焼けの写真。ここが夕焼けの里と言っていたのも納得できるわ。

 こやけちゃんがガラス戸を開くと、ガスコンロと鍋が見えた。ああ、ここがキッチンなのね。流しはピカピカに磨かれててなんだか意外だった。戸棚には食器、引き出しにはナイフやフォークが収納されていた。どれもピカピカに磨かれていて、お手入れは完璧みたい。

「サァ、おやつを作るのです! と言いたいところですが――思えば、コンビニで買えば良かったのです。なので、貴女には夜食を作ってもらいます。私はコンビニに行ってきます。張り切ってお願いします」

「何を作れば良いのよ」

「冷蔵庫に食材は入っているのです。お野菜はそこのカゴの中です。味噌汁も作ってください。それでは」

「ちょっ、ちょっと、待って!」

 キッチンから出ようとしたこやけちゃんを急いで捕まえる。こやけちゃんは首を傾げて不思議そうな表情をしながら、あたしの顔を覗き込む。

 おやつを作れと言ったと思ったら、夜食を作れなんて滅茶苦茶よ。全く話にならないわ。それに、ここがこやけちゃんの住んでる家だとしたら、ご主人様もいるってことでしょ。

「その、ご主人様は?」

「景壱君はお風呂に入っているのですよ。もう少しであがってくるのです」

「そういうことが聞きたいんじゃないわよ」

「お風呂からあがる前におやつを準備しないといけないのです。私は忙しいのです。それでは!」

「ちょっと!」

 こやけちゃんはあたしの腕を振り切ると、そのまま慌てた様子で出て行った。そもそも自分が買い忘れたとかなんだから、素直に謝れば良いと思うんだけど……ここってコンビニあるの? とも思うし。

 あたしは仕方なく夜食を作ることにした。なにかしら作らないと、あの鎌でスパスパッと、首を刎ねられそうだもの。怖いわ。

 冷蔵庫の中は綺麗に整頓されていて、よく冷えていた。豚もも肉があったので、あたしは取り出す。生姜焼きでも作ろうかしら……。キャベツもあるし。あと、タマネギとマイタケを見つけた。調味料もきっちり並べられていて、とても見やすい。あと、味噌汁を作って欲しいみたいだったし、具は何にしようかしら。乾燥食材は――ここね。これまた何倍に増えるとかメモが書いてあってわかりやすいわね。

 豚もも肉を食べやすい大きさにカットして、両面に塩、ブラックペッパーをまんべんなく振りかけ、味を馴染ませておく。

 先にタレを作っておかないといけないわね。

 ポン酢とおろし生姜と料理酒とみりんを混ぜ合わせてちょっと味見。なんか物足りないわ。蜂蜜があったから足してみようかしら。

 うん。とてもいい味。

 あとは炒りゴマも混ぜておきましょう。タマネギとマイタケも食べやすいように細切りしてあげないと。

 そろそろ味が馴染んできただろうから、豚もも肉の両面に小麦粉をはたいた。熱したフライパンにオリーブ油を注ぎ、タマネギとマイタケを炒める。しんなりしてきたら、一度皿に取り出して、代わりにお肉を投入。

 お肉がカリッとしてきたら、さっき作ったタレを入れてっと――タマネギとマイタケを戻してあげないと味がつかないわよね。

 うん。良い香りがしてきたわ。

 照りがついたところで火を止める。添えのキャベツを洗って千切りにする。氷水でシャキッとしてあげたほうが良いわよね。

「なんか良い香りがする」

「あ」

「…………」

「こ、こんばんはぁ……」

 タオルを頭に被ったこやけちゃんのご主人様がガラス戸を開けて、立っていた。

森で会った時はよくわからなかったけど、肌がすごく白い。美白ってこういうことを言いそうなくらい。まるでここにある陶器のような白さと滑らかさだわ。

「こやけは?」

「こやけちゃんは、ちょっとコンビニに行ってくるって」

 おやつを買い忘れたってことは言わないほうが良いわよね。

あたしの後ろを通って、こやけちゃんのご主人様――名前なんだったかしら――冷蔵庫からお茶を取り出して、椅子に座った。お風呂あがりだものね、お茶くらい飲むわよね。

 と、あたしが見ていたら、彼は椅子から立ち上がって、あたしの隣に立った。

「俺も手伝う」

「で、でも」

「どうせ、こやけはおやつを買い忘れたとかであなたを連れて来たけど、コンビニで買えば良いことに気付いて、あなたに夜食を作らせてるんやろ? 夜食もコンビニで買えば良いのにな」

「よくわかるわね」

「ご主人様やからね」

「あの、貴方の名前――」

「俺は景壱けいいち。お気軽に、敬体抜きで話すことを許可しよう。それより、お手洗いに行かなくて良いん?」

「はい?」

「そろそろ月経周期やけど」

 そうだった。この人ちょっとアレな感じだったのよね。忘れていたわ。でも、そう言われてみれば身体がだるいし、お腹も腰もちょっと痛いかも。

「お手洗いの頭上の棚の右端にナプキンならある。あなたはタンポン派? いやでも、処女なら――」

「ちょっと黙ってよ!」

「何故? 生理現象なのだから、女性なら誰でもなるのに?」

「男の貴方が言うと気持ち悪いだけよ!」

 あたしの一言に、彼は止まった。

 あれ、もしかしてあたし、何か言っちゃいけないこと言ったかしら? でも、この人が悪いわよ。これは本当にデリカシーが無い。これならまだ弐色さんのほうがマシかも。どっこいどっこいな感じもするけど。

「なるほど。あなたの言いたいことはだいたいわかった」

「心配してくれてありがとうね。でも大丈夫だから」

「そう」

 この言い方で納得してくれたみたい。それはそれでどうなのかしら。

 あたしが悩んでいると、景壱は鍋に水を入れ、昆布を沈めて弱火でゆっくり出汁を取っていた。しばらく見ていると沸騰直前で昆布を取り出してるし、削り節を茶こしに入れて沈めていた。合わせ出汁を取ってる。

 もしかして、もしかしなくても、このキッチンの整頓をしてるのって、この子?

 眺めていると、豆腐とワカメのお味噌汁が完成していた。

「『夜食』と言うよりは、ランチみたいやね」

「そうね。あたしが生姜焼きなんて作ったからよね」

「お腹空いてるから良い。ご飯温めな」

 景壱は冷凍室からラップに包まれたご飯を取り出して、電子レンジに放り込んだ。一食ずつ包んでいるのかしら。なんて几帳面。景壱は、チンしたご飯を取り出して、お茶碗に盛り付けている。でも一人分。

「こやけちゃんの分は?」

「帰って来てから温めな冷める。……そこのガラスポットを火にかけといて」

 生姜焼きと味噌汁を盛り付けている景壱を横目に、あたしはガラスポットをコンロに置く。

割れないのか心配になるけど、耐熱性ってちゃんと書いてあるわ。しばらくすると、ガラスの表面が白く濁り、湯気が上り始めた。

「紅茶淹れるから、ちょっと退いて」

「もう食べたの?」

「お腹空いてたから。菜季もお腹空いてるなら食べれば良い。まだ残ってる」

「でも――」

「ご飯温めとく」

 昼間に弐色さんが言っていた「幽霊から」って話が気になる。でも、これを作ったのはあたしなんだから、大丈夫かしら? お腹の虫がぐうぐう鳴いている。そういえばずっと何も食べていない。あたしはお言葉に甘えることにした。

 景壱は温めたご飯をお椀に盛って、テーブルに置いてくれた。おかずも汁も全て勝手に置いてくれている。あたしが椅子に座って食事をしていると、紅茶の良い香りがした。

 紅茶はきちんとした淹れ方をしないと香りが消えるって聞いたことがある。これがきちんとした淹れ方をされた紅茶なのかもしれない。と思っていたら、あたしの前にティーカップが置かれた。

「砂糖とミルクは?」

「それじゃあ、砂糖だけ」

 景壱はあたしの前に角砂糖の入ったガラス容器を置いた。いちいち可愛い容器に入っているわね。

 すっかり食べ終わって、食器をタライに浸けて、紅茶を飲んでると、こやけちゃんが帰ってきた。

「あー! ずるいです! 二人で先に夜食なんてずるいです!」

「『ただいま』は?」

「ただいまです! おやつを買ってきたのに、先に夜食なんてずるいです!」

「おかえり。こやけが買い忘れたから悪いんやろ。で、おやつは?」

「はい。こちらでございますよ!」

 景壱はこやけちゃんからビニール袋を受け取る。中から出てきたのは、ロールケーキだった。

「俺、ミルフィーユって言ったんやけどな」

「似たようなものなのです!」

「全然違う」

 そう言いながら、景壱は冷凍室からご飯を取り出して、電子レンジに放り込んでいた。

 何かしらこの、ちょっと賑やかなお家は。


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