23 ネズミコウ
公園を散歩していると、痩せこけた老人に出会った。
ベンチに座る老人は見るからに高そうな仕立ての良い服を着ていた。
ただ、残念なことにサイズがまったく合っていなく、それが体格以上の貧相さを彼に与えていた。
老人は手に持った小瓶を眺めていた。
小瓶の中では何か黒いものが動いていて、それが何か確認しようと視線を走らせたところ、老人と目が合ってしまった。
老人は痩せこけた頬をゆっくりと動かして笑みめいたものを作ると、俺を手招きした。
小瓶の中で動いていたのは、真っ黒な毛色の小さなネズミだった。
「見てしまったなら、しょうがないね。君にも幸運のネズミを分けてあげよう」
なぜ、受け取ってしまったのかは自分でもよくわからない。一人暮らしのわびしいアパート、無聊を少しでも慰めてくれるペットが欲しかっただけなのかもしれない。
「このネズミは富をもたらしてくれる。それだけではない。命じれば人も殺してくれる」
老人は気味の悪いことを言ったが、それでも俺は一応礼を述べた。
「いいんだ。うちには、たくさんいるからね」
富をもたらす上に命令次第で人も殺してくれるようなスーパーネズミが沢山いるのに、どうしてそんなに貧相なのだ。
もちろん、それは口に出して言わない。かわいそうだ。
◆◆◆
ネズミのために小さなかごを買った。
中には餌箱と回し車をいれてやる。
つやつやとした毛並みの黒い塊は餌をしっかりと食べ、回し車で走ったあとにこちらを見つめた。
可愛らしかった。
「俺にも富とやらを運んできてくれよ」
俺はネズミに笑いかけると、パチンコに出かけることにした。
いつもならば、数分も経たずに消えてしまう三〇〇〇円が消えるどころか大金に化けた。
俺は家で寝ているだろうネズミ様に心のなかで感謝をした。
これほど運が良いならば、いけるんじゃないか。
俺は競馬場に向かう。
競馬場を出るとき、財布ではなくカバンに金を詰めないといけなかった。
俺はネズミの力を信じるようになった。
それほど大事なネズミだ。何かあったら元も子もない。俺は大金をばらまくこともせず、タクシーで帰宅した。
扉を開けた俺はネズミと目が合った。
ほっとした。名前をつけてないことに今さら気がついた俺は彼(?)をチュータと呼ぶことにした。
俺はチュータと自分の住環境を大幅に改善した。
俺のようなアルバイトでは死んでも入居審査に通らないような高級マンションでも二年分現金で前払いすると言えば話は別だ。
チュータのかごも大きく高級なものにしてやった。
餌ももちろん健康に配慮した高級なものに変えた。
俺は残りの金で投資をはじめた。
金は毎日毎日増えていった。
日中、パソコンの前に座って金を増やし、それが終わると、チュータと遊んだ。
チュータは人懐こかった。
オーガニック栽培が売りのひまわりの種を渡すと、両手で受け取り必死でかじる。その姿はとても愛くるしかった。
それなのに、しばらくしてチュータが急に餌を食べなくなった。
心配してかごからチュータを出すと、指先に痛みが走った。
噛みつかれたのだ。
反射的に手を払うとチュータが飛んだ。
かごの中に逃げ込んだチュータは、こちらを見上げると、かごの中の餌を食べ始めた。
俺が急激に痩せ始めたのはその後である。
ガンではないかと疑うくらいに痩せた。
もちろん、検査に行ったが、腫瘍のたぐいは一切見つからなかった。ネズミから感染する病気というわけでもなかった。
激ヤセの原因は謎のまま、いくら食べても痩せ続けた。
俺の身体に連動するように財布もやせ細っていった。
買った株は大暴落し、俺の資金は桁を減らした。
その頃、俺は株式投資以外にもマンション投資というのにも手を出し始めていた。
しかし、俺が関わったのは詐欺まがいの取引をおこなう会社であったらしい。
最初に説明されたときから、どんどん話が変わっていった。
問い詰めると、そっけない態度で自己責任と言われた後に、証拠はあるのかと逆ギレで恫喝された。
腹が立ったが、学生時代に空手をやっていたというその営業マンにすごまれると、引き下がるしかなかった。
悔しかった。悔しかったが、とぼとぼと部屋に戻った。
唇を噛み締め、涙をこらえていると、かごの中のチュータと目があった。
「お前、やってくれるのか?」
思わず口に出すと、返事をするかのようにチュータはチューと鳴いた。
翌朝、チュータの姿は消えていた。
しばらくして件の営業マンから電話がかかってきた。
謝りたいから会えないかというものだった。
わけがわからなかったが、これ以上酷いこともおこらないだろう。
俺は営業マンが待つ喫茶店に向かった。
広い店でもないのに、俺は営業マンを見つけられなかった。
いや、声をかけられるまで彼を認識できなかったのだ。
ゴリラがスーツを着ているかのようなたくましい男は見る影もないくらいに痩せ衰えていた。
ゴリラが骨格標本になったのだ。わからないのも当然だろう。
元ゴリラは喫茶店の机に頭を擦り付けて、許してくださいと言った。
事情を飲み込めない俺が呆然としていると、机の上にあった頭を床まで落とし、骨ばった指で俺の靴にすがりついた。
気味が悪くなった俺は席を立つと、逃げるようにして店を出た。
俺も激痩せしていたが、元ゴリラはそれ以上に痩せていたので、振り払うのは簡単だった。
チュータはいつの間にかかごの中で回し車を元気よく回していた。
数日後、別の者から電話で不動産投資の担当の交代を告げられた。
「Hさん、具合悪そうでしたが、大丈夫ですか」
そう問う俺に新担当は元ゴリラが亡くなったことを告げた。
俺の体重と金は再び増えていった。
体重の増加は適正なところで止まったが、金はものすごい勢いで増えていった。
チュータは今日も元気に回し車で走っている。
愛くるしい姿だ。
◆◆◆
ある日、かごの中のネズミは二匹になっていた。
どこから来たのかわからなかったが、ネズミが増えると資金の増え方も倍になった。見分けはつかなかったが、もう一匹はチューコと名付けることにした。
そして……ある日、チュータとチューコは餌を食べなくなった。
以前と同じだった。
以前と同じように、いや以前の倍の速度で俺は痩せていった。
金の減り方は倍以上だった。
氷が溶けるように消えていった。
株式投資の失策をSNS上に投稿した俺を執拗に煽ったやつがいた。
俺はこれほどまでに苦しんでいるのに、「ざまぁ」とはどういうことだ。
療養者用の高カロリー流動食をぐびぐびと飲みながら、俺はかごを見た。
ネズミたちがチューと鳴いた。
煽り投稿はその日のうちにとまった。
数日経って謝罪のダイレクトメールがきたが、無視した。
電車のホームの画像を投稿したのを最後にやつの投稿はとまった。
翌日の新聞にやつが投稿した画像とおぼしき駅で人身事故が起こったことが載った。
SNS上のグループで飛び交った話ではやつが飛び込んだとのことだった。
これまた嘘か真かわからないが、遺体の大部分は肉片レベルでも見つからなかったという。
もちろん、俺の体重と資金は戻った。
資金についてはさらに増えたのは言うまでもない。
俺はそれほど頭が良くない。
そんな俺でもさすがに因果関係をはっきりと理解できた。
俺は痩せ始める前に恨みを持つ相手を呪っていった。
片っ端から呪っていく俺の金とネズミは増え続けた。
不愉快な相手はいなくなった。
俺はうつろな目でネズミを数える。
大きなかごからこちらを見つめるネズミ、大量のネズミ。つやつやとした黒い毛をもつネズミたちの瞳がこちらを向く。
俺は痩せ始めていたが、俺にはもはや恨む相手がいなかった。
関係ない相手を呪おうとしてもネズミたちは動かなかった。
出来と態度と手癖の悪い使用人を何人も雇ってきたが、それも限界だった。
もう耐えられない。
少しでもネズミの数を減らさないといけない。
俺はネズミたちを小さな瓶にいれて、家を出た。
だぶだぶの服は動きにくかった。
◆◆◆
俺は懐から小瓶を取り出す。
中には小さな真っ黒なネズミ。
目が合った男に声をかける。
「見てしまったのなら、分けてあげよう。これは世にも稀な幸運のネズミ。今なら特別にただで分けてあげよう」
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