第37話 警告。

 テンションが高い花田さんと、観覧車に乗る時だった。

 俺は今まで知らなかったけど、高いところがめっちゃ苦手だったんだ…? 遊園地に来たのは今日が初めてだから…、観覧車に乗るのも初めてで。今すぐ壊れそうな貧弱な足場に、俺は顔に出せない恐怖を抱いていた。


「わぁ…! 大きいね!」

「あっ…、うん。お、大きいね…」


 マンションでもこんな感情を感じたことないのに…。

 なんで、観覧車は怖くなるんだ…? 理不尽…!


「おお…! どんどん上昇する…! テンションも上がるよ…!」

「よ、よかった…」

「尚くんも見て見て…! ワクワクしちゃう…!」

「う、うん…」


 観覧車の中、そして近い二人の距離…。

 俺は花田さんのことを意識する前に、このゆらゆらしている観覧車からどうにかしたかった。地面からどんどん離れていく観覧車、俺は外から目を逸らしたまま下を向いていた。


「あれ…? 尚くんは楽しくないの…?」

「た、楽しいけど…? どうした?」

「なんか…、尚くんの顔色が…」

「こ、怖くない! 怖がってないから…!」

「へえ…、やっぱり怖いんだ…?」


 何それ…心配してるような言葉だけど…、顔は笑っている。


「な、なんで笑う…?」

「フン…。高いところが苦手なんだ…」

「そうだけど…?」

「可愛いね…! 一緒に外を眺めよう…!」

「嫌だ…! 落ちる…!」

「落ちないから〜」


 俺と腕を組む花田さんが外の景色を指したけど、目を閉じて見るのを拒否した。

 そして、観覧車の中で俺を倒した花田さんが微笑む。


「何をする…?」

「尚くんの恥ずかしい声が聞きたい…、聞かせて…?」

「い、今…? な、なんで…? 外であんなことをするのは禁…しぃ…」

「うん…? 禁止…? 私がやりたいって言うのに、禁止…?」

「き、禁止…、とか言ってないかも…」

「だよね? 外だけど、ここは二人っきりだから…」


 花田さんが、俺の上に乗っている…。

 耳にかけていた彼女の横髪が、俺の顔に落ちて頬をくすぐる。そして目の前で見える花田さんの赤い瞳は、もうすぐ触れるその唇より赤くて、鳥肌が立ってしまう。どうして…、俺はこの色と感触に逆らえないんだろう…。


「……」


 静かなこの時間、目を閉じた俺は花田さんとキスをする。


「尚くんの味がする…。なんか…、噛みたくなっちゃった…。噛んでもいい?」

「えっ…? いや、噛むのはちょっと…」

「私は噛みたいから!」


 この前に噛まれたところをまた噛む花田さんに、抗えず喘ぐだけの俺だった。


「ダメ…、菜月。痛いからぁ…はぁっ…」

「うぅ————! 幸せ…」


 花田さんの鋭い糸切り歯には何度も首筋をやられたけど、噛まれるたびに体の力が抜けてしまう。震えている俺を抱きしめた花田さんは、なぜか喜んでいた。無力に、ずっとやられっぱなしの俺を、彼女は支配したかったのか…。抗えない、自分に従うワンちゃん…スイッチが入った時の花田さんは怖い…。


「ねえ…」

「うん…」

「今日は帰ったらすぐやらない…?」

「何を…?」

「何って…、決まってるんでしょ? 尚くんと二人っきりでって」

「ケホッ…。うん…、分かった」


 観覧車から降りる時まで、ずっとそばにくっつく花田さん。

 いつの間にか日が暮れる時間になってしまったけど、眩暈がした俺はしばらくトイレで顔を洗っていた。


「はあ…、また噛まれた…」


 鏡を見ながら首筋の傷を確認する時、後ろから黒い服を着た人が俺に声をかける。


「柏木尚」

「……だ、誰だ?」


 あれ? 今のは男…の声じゃないよな…? 確かに、男ではなさそう。


「お前に話したいことがあるからここに来た」

「そ、そうか? じゃあ、待ってる人がいるから早く話してくれない?」

「〇〇駅刃物事件を覚えているのか…?」

「いや…、初耳だけど?」

「やっぱり、そうだったのか…。柏木尚。お前は…、お前と一緒にいる女性の正体を知っているのか?」


 あの人は花田さんのことを知ってるのか…? どうして?


「花田さんのこと?」

「そう。花田菜月。お前があの人の正体を知っているのかを聞いているんだ」

「女子大生だろう? 普通の…」

「あの事件も、そして花田菜月も…何もかも思い出せないのか。そっか、だから実家と離れた場所で一人暮らしを…」

「その前に誰だ? どうして、俺に花田さんのことを聞くんだ…? 〇〇駅の事件も俺は知らない!」

「全部思い出せないお前に、それを教えてあげても無駄だ」


 この人、着ている服と帽子が全部黒色だ…。

 でも、さっき喫茶店で会ったんじゃないのか…? しかも、隣席だったような気がするけど? なら…喫茶店に入る時の視線もこの人ってわけ? まさか、ずっと俺たちの尾行をしていたのか? どうしてだ…。


「何かを考えているような顔。なら、一つだけを教えてあげる」

「何…?」

「あの人から逃げろ。どんな手段を使ってもいい、あの人から逃げないと…次はお前の番だ」

「な、何が…?」

「チッ、バレたのか!」


 あの人は舌を打ってから、反対側の出口で逃げてしまった。


「な———おくん! まだなの?」

「ご、ごめん。今行く!」


 確かに、あの人は「バレた」と言った。

 誰に追われている…? んなわけないな。遊園地だし…。


「尚くん〜」

「はい!」


 急いで外に出たけど、花田さん以外の人は見えなかった。

 もしかして、あの人が警戒していた人は花田さん…? 彼女に対して何かを知っている人なのか…? それなら…、ちょっと気になる。


「遅いよ!」

「ごめん…。ちょっと眩暈がして…」

「観覧車のせいで…? 尚くん、歩ける?」

「それくらいはできる!」

「うん! じゃあ、早く行こう」

「うん!」


 そして黒服の人は、二人の後ろ姿を見つめていた。


「……」

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