5

 小屋に飛び込もうとした不知火を止め、足音を立てずそばに寄った。作りが粗末なので、あちこちに隙間があったのだ。そっと中を窺い、驚いた。私の驚きを代弁するように、不知火が唸った。

 中には、女性が一人倒れていた。不知火の唸りに反応したらしく、ぴくりと肩を動かして、気だるそうに顔を上げた。燐ではなかった。困惑する私と違い、不知火は入口に立つと、胡乱な顔つきの女性の前に歩み出た。

「あんた、タツミか?」

 え、と思わず声を出してしまった。女性は頷きとも取れるように頭を垂らし、私と同じくらい長い黒髪を地面に擦らせながら、腕に力を込めて起き上がった。

 ばさりと音が響いた。影になっていて気付かなかったが、彼女の背には、黒々とした羽根が生えていた。

「不知火、巽さんの羽根とは色が」

「離れろ」

 鋭い一言に遮られた。何故かと理由を聞く前に、体が勝手に身を翻して逃げ始めた。生存本能というものだったのだろう。肉食の動物に追われて逃げる鹿や狐の姿が脳裏を過った。

 背後で激しい鳴き声が聞こえた。振り向くと、半壊する小屋が見えた。ばらばらと散る笹の葉の真ん中に、大きな黒い鳥が一羽、立っていた。

 竹にぶつかり、図らずも足が止まった。ちょうど斜面になっていたため、身を屈めて再び様子を窺った。不知火と鳥は、向かい合っていた。二人が揃うと、そこだけ夜のように黒い。はらはらと舞い踊る笹の影が、場違いなほど美しかった。

 鳥が周囲の竹をかわしながら翼を広げ、不知火に向かって突進する。不知火は威嚇のように唸りつつも軽く避け、後ろへ飛んで距離を空けた。攻撃を躊躇しているのかと思ったが、すぐさま地面を蹴って跳躍し、中空にいる鳥の羽を引っ掻いた。黒い羽根が散る。しかしかすり傷程度らしく、不知火が受け身を取る前に細い足指で襲い掛かった。

 かわしたかに見えたが、わずかな血飛沫が飛んだ。身を守る殻を避け、的確に顔を狙ったようだ。不知火は後ずさって頭を振る。その間にまた、鳥が突っ込んでくる。攻撃はどうにか避けているが不知火の動きは鈍い。紅く燃える瞳は、どこか戸惑っている。

 不知火は異形を相手取ったことがないのだと、気が付いた。どれかといえば夜に紛れての闇討ちが得意で、更には飛ぶ相手との喧嘩の経験がない。

 しかし鳥は、竹が生え伸びるこの地形でも難なく動く。荒事に慣れた印象も受けた。

 加勢に入れる身ではないことがもどかしい。下手に出て行っても邪魔になるだけだろう、どうするか。

 悩んでいると、何かがふわりと飛んできた。鳥の黒い羽根だった。二人の攻防が起こした風で、離れた私の元まで飛んできたらしい。拾ってみるが、やはり黒い。不知火は巽だと言ったが、色も違えば性格も違っている。

 しかし、攫われた燐を追ってきたのだとすれば、怒りゆえに凶暴性を増した可能性はある。不知火も、怒っていた時は普段よりも攻撃が強かった。目も燃えるように紅く閃き、見ただけで怒っているとわかる姿だった。

 一際大きな音が響いた。はっとして顔を上げると、倒れ伏す不知火の姿があった。

「不知火!」

 思わず立ち上がる。踏んだ枯れ葉が音を立て、鳥の鋭い目が私を捉えた。

 まずいと思ったが、好機とも思った。素早く周囲を確認し、こちらに向かってきた鳥を視界に入れつつその場を離れる。あまり長引かせても、よくはない。二人の立てた轟音は宿場にも届いているだろう。誰かが来てしまっては、酷い騒ぎになる。

 鳥と自分の間に、なるべく多くの竹を挟む位置へと走った。鳥は物ともせずに進んではくるが、速度は多少緩まった。鋭い咆哮が飛んでくる。鼓膜が痺れて脳が揺れる。足がもつれてしまったが、どうにか立て直して別方向へと走った。鳥は竹を翼で叩き割り、更に追ってきた。

 やはり怒っていると、確信する。位置を確認し、下手をすれば致命傷だと思いながらも、立ち止まった。竹は随分薙ぎ倒されて視界が広いが、それは私が冷静だからだ。私と鳥の間にもう竹はなく、鳥は周りが見えていない。

 咆哮のあと、頭から突っ込んできた。逃げそうになった足を無理矢理縫い付け、迫ってくる黒い塊を、視界へとおさめた。

 黒い羽根と赤い血が散らばった。笹の絨毯の上へと落ちた鳥の背を、不知火が強く踏みつけていた。

「悪いけど、折るよ」

 不知火は掠れた声で言ってから、鳥の羽を前足で折った。鳥は短い悲鳴を上げ、数度身を捩ったが、諦めたように伏した。

 ほっとして、その場に座り込んでしまった。不知火がぎろりと睨んでくる。

「助かったけど、危ないこと、するなよ」

「すまん」

 怒りで周りが見えていない鳥を、不知火が背後から襲える位置まで、どうにか誘導した。目を燃やしながら起き上がる姿を、逃げつつ確認していたためだ。竹が邪魔にも見えたので鳥に折ってもらった。そうやって場を整え隙さえ作れば大丈夫だと、不知火の強さをずっと見てきたから、知っていた。

 かなり息が上がってしまった。今更どっと溢れてきた汗を拭いつつ、早く離れようと声をかける。不知火は頷き、こちらに向かってくる人の足音が聞こえると言った。やはり騒ぎは宿場に届いてしまったようだ。

「この鳥は……」

 言い終わらないうちに、鳥の姿が小屋の中で見た女性へと変わった。黒々としていた長い髪は、薄い灰色になっていた。

「お手数を、おかけしました」

 女性は静かな声で喋った。

「春之介さんと、お連れさんですね、」

「……巽さん、で合うてますか?」

 彼女は頷いてから、

「燐を助けてほしいんです」

 譫言のように続け、また地面に伏してしまった。

「ハル、行こう」

 不知火はいつの間にか人の姿になっていた。色々なところに怪我をしていて心配だったが、草を踏む音やざわめきが私の耳にも届き始め、手当ての前にその場を離れることにした。

 気を失った巽は、不知火が抱えて運んだ。二人とも人の姿を取ってはいたが、纏う雰囲気がどこにも紛れないような異質さで、何故だか少し切なくなった。

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