6
空は雲ひとつない青空だった。昼に差し掛かる、本来ならば長閑な時間帯だ。休憩中の弛緩した空気が見てとれた。
村に飛び込んだ私と不知火を見て、村人達は一瞬黙った。女性の悲鳴を川切りに皆が叫び出し、四方に逃げ始めたが平気だろう。ただ、邪魔であるとはわかっているので、素早く背を降りた。
不知火は駈ける。逃げ惑う人々の合間を縫って進み、突き当りの家を踏台代わりに蹴り付け方向を変える。その動作を待つように静止していた人々は、喉元から血を吹き出し崩折れる。不知火は止まらず、無傷の人間目掛けてまた走る。
相変わらず、圧倒的だった。私の故郷を蹂躙した時と全く変わらない。突っ立って見ているだけの自分も、同じだ。血の花があちこちで咲いている。
一際大きな破壊音が響いた。不知火が、村で一番大きな家を叩き割っていた。
「み、路、路はどうしたんだ!?」
中からまろび出た初老の男は呑まれた女を呼んだ。他の村人よりも、上等な着物を身に纏っている。村長のようだが、不知火はわかっているのかいないのか、腕の一振りで首ごと飛ばした。地面を三度跳ねた生首は、足元まで転がってきた。
村内に動ける人間はほとんどいなくなった。何人かは逃げただろうかと思っていると、ごぼりと音がした。振り向くと大蛇がいて、胴体は何箇所か、人の形に膨らんでいた。
「追い付いたんですね」
声をかけると目元を細めた。笑顔だろうか、案外と愛嬌のある神様だ。
大蛇は私の傍までずるずると這ってくる。
「ああ、不知火さんは、すごいですね」
「俺の村も、このような地獄になりました」
「地獄はもう少し、綺麗ですよ」
「そうなんですか」
「統治されてはいますので」
見たことがあるかはわからないが、知ってはいるようだった。大蛇は既に聞き慣れたあぶくの音を出してから、辺りに転がる人間を呑みに向かった。
不知火も、食べていた。咆哮は非常に嬉しそうだった。まだ生きているらしい村人を捕まえ、命乞いを聞きながら、肩や腕に食らいついていた。
血の匂いばかりが辺りを占める。私はろくに力も持たず、人が、いや悔恨が食事ではないため、それなりに手持ち無沙汰だ。ここはいい村だったから合掌くらいはしても構わないが、したところで意味もないだろう。
考えていると、背中にどんとぶつかられた。驚いて振り向く。女性が一人、私の背中に縋り付いていた。
蕎麦屋の女将さんだった。店にいるときと同じ格好をしていたが、ほぼ全身が血まみれだった。
「女将さん」
「たっ、たす、け、」
女将さんはがちがちと歯を慣らしていた。向き直って両肩に手を置き、落ち着いてくださいと声をかけるが、私が言う台詞でもなかった。震える指が、私の着物を握り締めていた。
「お願い、お願いします、わたっ、私はずっと、反対してたんですよ本当に! だからっ、縁切り鏡なんて、嘘だしあの、路さんがいるのだって、私は、っ」
「ああ、路さんは……なんやろう、神様と呼ばれとる異形をどうにか捕まえて売るつもりというか、調べる名目の金銭を払っとってもお釣りが来るくらい、見返りがあったんやないかなあと、俺は思うてます」
「そ、そんなこと、どっちでも、もうど、どっちでもいいから、お願いします助けてください!」
「助ける……」
私が村人を見殺しにしている様子を、見ていたらしい。不知火と大蛇が私を手にかけないから、命乞いをするのであればここだと、女将さんは縋ってきたのだ。
蕎麦の味を思い出した。素朴で、出汁が甘く、美味かった。旦那さんは、もう死んだのだろうか。蕎麦屋の方向を見ると、店先で仰向けに倒れている姿があった。下半身と顔の半分は喰われたらしく見当たらない。零れ落ちた臓物が、陽の光を浴びていた。
再び女将さんを見る。お願いしますと、青褪め切った顔のまま頼まれる。重たい足音が響いて、私たちに影が降りた。女将さんはひっと叫び、ほとんど抱き付くように身を寄せてきた。
不知火がいた。全身が濡れ光っており、よほど返り血を浴びたようだった。
ぎらつく赤目が私に聞いた。そいつを見逃すのか、見逃さないのか。あんたが決めろよと、目だけで話し掛けてきた。女将さんはもう、助けてしか言えなくなっていた。
「……女将さん」
肩に置いている手に力を込める。
「蕎麦、ご馳走様でした。美味かったです、できれば後一回くらいは食べたい」
「あ、え、助けて、もらえ、れば、いくらでも……!」
「せやけど俺、自分よりも美味いもんを食うて欲しい人が、いてもうてるんです」
掴んだ肩を思い切り押した。女将さんは目を見開きながら、後ろ向きに倒れていった。
「不知火。この人多分、美味いと思う。物凄く、怖がりやから」
女将さんの甲高い絶叫と、不知火の地鳴りのような咆哮が折り重なった。飛んだ血飛沫はそのまま受けた。女将さんの、既に言葉になっていない呻き声ごと堪能するように、不知火は下腹部を食い荒らしていた。
息を吐き、空を仰いだ。晴れていた。とてもとても、晴れていた。
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