第三話.抱卵と鉄の獣

 二人のフェイの間に生まれた銀の卵は、ネムサクナリアが編んだ籠の中に入れられて、どこへ行くにも一緒に運ばれていた。

 籠の中に敷き詰められている白いふわふわしたものは、綿花のフェイの綿毛である。リースが拾われたあの日に彼の身体を暖めていたあのふわふわした白いものは綿花のフェイだったのだ。


 倒木に腰掛けたネムサクナリアの膝の上に乗せられた籠を覗き込み、リースはその美しい銀色に目を細める。


「綺麗ですね」

「ふふ。わたしとフィスの卵だもの、当たり前だろう」

「そうだな、ネム」


 穏やかに微笑んで籠を抱き、身を寄せ会う二人のフェイ。春の木漏れ日の下、その光景はまさに明媚と言った様子だ。彼らが自然の一部であることがよく分かる。


 フィスセリウスは卵が孵るまでこの森に留まるそうだ。抱卵中はどうしても力が不安定になるため、卵の気配を嗅ぎ付けて来る鉄の獣からネムサクナリアと卵を守るためだという。

 黒鴉のフェイであるネムサクナリアは抱卵に適した性質を有しており、白狼のフェイであるフィスセリウスは戦闘に適した性質を有しているため、そういう役割分担になったそうだ。


 ふと、リースが思ったことを呟いた。


フェイの卵はどのくらいで孵るんですか?」


 駒鳥や鳩の抱卵は二週間程度、田鳧たげりは約三週間。リースはネムサクナリアに教えられたことを思い返す。

 鳥卵形をした、しかし鳥のものではなく大きいフェイの卵は幾日抱けば良いのだろう?


 ネムサクナリアとフィスセリウスは顔を見合わせ、それからリースへ向けて曖昧に首を傾げて見せる。


「卵が孵るまで、だな」

「えっ?」


 フィスセリウスの答えに、リースは驚いて目を見開いた。


「お、およその期間とかは……」

「抱卵期間は決まっていない。この子が孵ろうと思った時がその時なんだ」

「そうなんですか……?」


 くすっと笑ったネムサクナリアが小首を傾げて「そんなに不思議かい?」と問う。


「あなた方の卵ですから、年単位とかで想像していたので……まさか不明とは」

「この子の気分次第なのさ」

「いつの話だったか、三日で孵った鹿の一族の子がいた。逆に百年卵で居続けた蛇の一族の子もいたぞ」


 フィスセリウスの思い出話にネムサクナリアは「いたいた」と笑っている。


「僕、孵化を見られますかね……?」

「この子にお願いでもしておくかい?」

「聞いてくれるんですか?」

「さあね」


 適当な答えにリースはガックリ肩を落としたが、ここは気休めにと大きな銀の卵に話しかけ始めた。



 薄い笑みを浮かべながら、ネムサクナリアは瞬きの間に大きくなったリースを眺めていた。


(本当に、大きくなったものだね……昨日まであちこちに躓きながら、半泣きで兎を追いかけていたというのに)


 他にも、種や葉に毒を持つイチイの実を種ごと食べようとしたり、木に登って下りられなくなり「ねむぅぅっ!!」と森中に響く声で大泣きしたり、リースはなかなかに手のかかる子供だった。


 しかし知識を授ければ喜び、世界の神秘を知ることを求め、よく学ぶ賢い子供でもあった。


 気まぐれに、ただ目についたから拾った人間の子供が、ここまで愛しくなるとは思っていなかった。ネムサクナリアはあの日の己の選択に感謝している。


 フェイは愛情深いいきものだ。

 決して同じ時を歩むことのできない人の子の忙しなさが、愛しく、そして寂しい。


(わたしと、フィスと、リースがいる。そして新たな命も。この時を、少しでも長く共にいたい)


 恐らく似たようなことを卵に祈っているであろうリースの頭を柔らかく撫でる。


(わたしの可愛い愛し子)


 くすぐったそうな彼に、ネムサクナリアは柔らかく微笑みかけた。



――――――――



 雨の匂いを察知して、葉の陰で嬉しそうにひそひそと言葉を交わす花のフェイたちの声を聞き、リースは今日の夕食を早めに探しに出た。


 この森のことは何でも知っている。


 今日はあそこの木の実が食べ頃になったとか、南部の白樺の近くで雉が卵を五個生んだとか、日々色々な情報が風や動物からもたらされるのだ。


 魔法の名手であるフェイから直々に魔法を学んだリースはそれらの声を聞くすべをよく知っていた。


 ただ、育ての親であるネムサクナリアがいつまでも彼を子供扱いするため、悪戯好きの駒鳥などがたまにからかって嘘を言う時があるのはいただけない。


 確かに、あの黒鴉のフェイからしたら、ただの人の子である自分など死ぬその時まで幼い子供なのだろう。


 だからと言って嘘を言う駒鳥を許す気はないので、リースも嘘を言ってやり返してやるのだった。

 こう言うところが「まだ子供」と判断される理由であるのだが、分かっていてもやられっぱなしは気に食わないリースであった。


「……よし」


 ズボンの裾を捲り、陽光に煌めく川に入る。水は温かく、穏やかな流れを作っていた。


 足を川に浸したままじっと待つ。


 油断した小さなますがやって来たら即座に手を突っ込んで捕まえる。随分と野生的だがリースがネムサクナリアに習ったのはこの方法だけだった。


 途中、親元を離れたばかりの若い熊が物欲しげに見ていたので大きめのものを二匹くれてやり、残りの四匹の内臓をその場でさっさと抜いてしまう。

 近場にあったかやを引っこ抜き、魚の口から腹へ通して吊るせるようにしてリースは立ち上がった。


 フェイは特別食べると言うことを必要としないのだが、昔からネムサクナリアはリースと食事をとりたがる。

 ネムサクナリアに用意するならフィスセリウスにも用意せねばなるまい。


 リースは間違いなく食事が必要な若く健康な人間なので、楽しく少量で良い二人とは違って魚は二匹欲しかった。だから四匹なのである。



 帰り道では調子に乗って脚を痛めた若い牡鹿に会い、助けを求められたリースは彼の脚に手持ちの薬を塗ってやった。

 対価として串に丁度良い枝のある木を聞き、それを数本切り取って帰る。


「おかえり、リース」

ますが獲れましたよ」

「感謝する」


 ネムサクナリアの住処で(巣と言っても木々に囲まれた雨風をしのげる場所に柔らかな苔を敷き詰めたり、好物の果物を干したりしているだけの場所だが)のんびりしていた二人のフェイがリースを迎える。


 リースは手早く火を起こし、ますを串に刺して焼き始めた。

 フィスセリウスは彼が料理をしているといつも近くで観察している。その光景に慣れきっているネムサクナリアは苔のベッドに転がっていた。


「……良いにおいだな」

「そうですね」

「我々は食事の要らぬいきものだが、やはり食してみると楽しく、美味なもので、私は気に入っている」

「それは良かったです……あ、焼けたかな。どうぞ」


 白狼の姿をとるフェイなのに肉を食む必要がないというのは人間の感覚として不思議に思う。

 森に近い村で生まれたリースにとって狼とは時に人を襲い、肉を食らう危険な獣であったからだ。


 自分が渡した焼き魚をはふはふと食べているフィスセリウスの姿を見る。ネムサクナリアが「わたしにも」と白い腕を伸ばしてきたので串を握らせた。



 フェイは本当に不思議だ。

 夜を統べる美しいいきもの。星天の一雫をその身に宿し、永く永く、悠久を生きるものたち。

 闇色の星のようだ。そこに人の手は決して届かない。


(……ん、おいしい)


 その寂しさはどうしても埋まらない。

 リースは、人であるから。



――――――――



 未明、微かな物音で目が覚めた。夜通し降っていた雨は止んでいて、濡れた森はじっと静まり返っていた。

 苔のベッドの上でそろりと身を起こしたリースは、目だけを動かしてその物音の出所を探る。


「わたしだよ」


 するとすぐ近くで彼と同じように身を起こし、卵の入った籠を抱きしめていたネムサクナリアが小声で答えた。


「……どうしたんですか」

「鉄のにおいだ」


 リースの問いかけに答えたのはネムサクナリアの隣にいたフィスセリウスだ。

 スン、と鼻を動かす。雨に濡れ、湿り気のある目覚めかけの森の香り。霧の中を漂うそれに紛れて、荒々しい鉄のにおいが微かにした。

 大きな双翼を前方へ広げて丸め、自身を包む様にしたネムサクナリアが低く唸る。


「鉄の獣だよ」


 ごくりと唾を飲んだリースの耳に、森を踏み荒らす魔獣どもの足音が聞こえた。


「卵を、狙って……?」

「そうさ。お前はわたしの隣に。獣はフィスが片付ける」


 同時に、大きな白狼に変じたフィスセリウスが蒼く暗い森の中へ駆け出していく。


「一人で行かせて大丈夫なんですか?!」

「あの程度なら問題ないよ」


 ほどなくして、薄い闇の中から狼の咆哮と魔獣の叫び声が聞こえてきた。ネムサクナリアは警戒心の浮かぶ表情でじっとその方向を見つめている。


 リースは固く両手を握り、フィスセリウスの無事を祈った。

 ネムサクナリアが「問題ない」と言うのだから本当にそうなのだろう。しかしそれでも祈らずにはいられない。

 命を懸けた戦いは時に思いもよらぬ結末を迎えることがある。鉄の獣はフェイの天敵だ。力に差があっても数の不利は多少影響するのではないか。


 不安からじっとしていられず、貯蔵してある薬草の中から傷薬になるものを取る。それからひたすら祈った。

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