オペ室の女

あべせい

オペ室の女



 ソファにふんぞり返り、テレビに釘付けになっている美形の果於梨(かおり、34才)。

「いまから30分以内のご注文に限り、千円のお値引きです。但し、おひとりさま、3箱までとさせていただきます」

 そのテレビの音声を聞き、果於梨は電話を取った。

「もしもし。『テレビマルシェ』よね? いまやっている「にくコン」、3箱注文したいンだけど……」

 受話器から、オペレーターの若い女性の声が聞こえる。

「ありがとうございます。『にんにくウコン』3箱でございますね」

 オペレーターの麗子(31才)は、いつもの調子で確認する。

「そうよ」

「では、『にんにくウコン』のご注文を承ります」

「あなたね。『にくコン』のことを、あなたたちは、わざわざ『にんにくウコン』って、呼んでいるの?」

「いいえ、おっしゃる通り、社内では『にくコン』です……」

「だったら、『にくコン』でいいでしょうが」

「はァ……。では、お客さまのご住所とお名前をお願いいたします」

「ちょっと、その前に、聞きたいの」

「なんでしょうか?」

「にくコンって、中に何が入っているの?」

「はァ?……」

「だから、お宅のにくコン、ってどんな成分なのか、それを聞いているの」

「ですから、にんにくとウコンですが……」

「にんにくとウコンなら、スーパーで売っているでしょ。それと同じというわけ?」

「いいえ、奥さま。市販されているにんにくやウコンとは違います」

「どう違うの?」

「ですから、VTRの中でも紹介されていますが、農薬や化学肥料を一切使わずに栽培された、安全安心なにんにく、ウコンです」

「オーガニックというンでしょ」

「正真正銘の有機農法です」

「それで一箱30錠入りが通常税込み価格1980円は、安過ぎない?」

「ですから、いろいろ知恵をしぼり、工夫して、お安く提供できるよう、日々努力しております」

「あなた。にんにくを買ったことはないの?」

「(少しムッとして)ございます」

「青森県産のにんにくだったら、1個300円はするわ。中に小片が6つあるとして、1日ひとカケづつ食べたら、1ヵ月30日で5個のにんにくが必要になる。それだけで1500円の出費よ。それにウコンもある。クスリにする手間賃もバカにならない。一箱1ヵ月分が通常価格1980円は、ありえない値段よ。しかも、それを30分以内だと、千円も値引きする。初回限定としても、1箱半値以上の値引きをして、よくやっていけるわね」

「お客さま、弊社のにんにくは国産ではございません。東南アジアで栽培しております」

「中国産なの。それを早く言ってよ」

「中国ではございません。東南アジアです。ただ、どこの国かはここでは申し上げることは出来ません」

「だったら、ウコンもそうなのね。だから、安く作れるンだ」

「ご納得いただけましたでしょうか?」

「あなた、よく勉強したわね」

「よろしいでしょうか」

「値段の点は、ね」

「まだ、何か、ございますか?」

「箱よ」

「はァ?」

「『にくコン』が詰めてある箱、パッケージ。さっきテレビで、テーブルの上にたくさん積んであったでしょ」

「はい」

「小さな辞書くらいの大きさの」

「はい」

「あの箱の中に、にくコンの錠剤が詰めてある、ってわけ?」

「錠剤ではありません。カプセルです」

「そんなこと、どっちでもいいのよ。錠剤でもカプセルでも。飲めるンでしょうが」

「はい。服用できます」

「だから、にくコンの錠剤、じゃなくて、カプセルが箱に詰めてあるンでしょう」

「箱に直接、入れてあるわけではございません。専用の瓶に詰め、その瓶を専用の箱にお入れしてございます」

「専用が好きなのね。あとの専用は、あなたのカレシくらいにしときなさい」

「はァ?」

「はァじゃないわ。わたしが言っているのは、その箱のデザインのこと。中身の瓶はどうでもいいの」

「デザインと申されますと?」

「あのデザイン、どこがやったの?」

「弊社専用のデザイン会社ですが……」

「また、専用……あのデザインについて、どこからか、苦情は来てない?」

「苦情ですか?」

「クレームよ!」

「いいえ、そのようなお話は承っておりません」

「だったら、言うわ。あの箱のデザインは、にんにくとウコンの写真と並んで、ニッコリと微笑んでいる上半身女性の写真でしょう」

「あの女性は写真ではございません。イラストです」

「イラストでも写真でもいいの。あのイラストを描いたのはだれよ」

「弊社専用のイラストレーターです」

「あなた、専用じゃないでしょ。そういうときは、弊社専属の、でしょ。違う?」

 麗子は、初めて感情を露わにして、

「どちらでもよろしいかと存知ますが……」

「あなた、専用と専属の使い分けも出来ないってわけ。バッカじゃないの」

「バッカじゃ、ございません。よろしければ、電話を切らせていただきますが……」

「待ちなさいッ! いま電話の向こうで、『冷やかしは、早く切れ!』って、だれか言ったわね」

「いいえ。そのようなことは……」

「わたしは、確かに聞いたのよ。この耳で」

「何かの、お間違いかと存知ますが……」

「シラを切るのなら、それでもいいわよ。いまにたいへんなことになるから……」

「では、あとのお客さまがお待ちですので……」

「待てーッ。あの女はワタシよーッ!」

 果於梨は、声を限りに受話器に向かって叫んだ。

「イッー!」

 オペレーターの麗子は、思わず頭に装着しているインカムを外して耳を押さえ、マッサージした。

 そしてゆっくりインカムを構え直す。

 一方、果於梨も、落ち着きを取り戻し、

「あのイラストのモデルはわたし、わたしなの」

「突然、そんなことを申されましても……」

 お客の狙いがわからない。

「だから、イラストレーターの名前を教えて欲しいのよ」

「しかし、いま、にくコンの箱を手にとってお話していますが、このイラストの女性は、どこにでもいそうな、お顔ですよ。目があって、鼻があって……」

「あなた、わたしをバカにしてンの! その侮辱、高くつくわよ」

 にくコンの小箱の女性は、軽くウエーブがかかった髪の毛を、耳もとでうまくまとめている。パッチリとした切れ長の瞳、大きくはないが、吸いつきたくなるような柔らかそうな唇をしている美形。

 年齢は28、9才といったところか。といっても、写真ではない。イラスト、正確に言えば、イラスト風の絵になっていて、特徴に乏しい。

「お客さま、このイラストのモデルだとおっしゃるのでしたら、何か証拠と呼べるものをお持ちでしょうか?」

 オペレーターの麗子は、ことさら丁寧な言葉遣いをした。

 質のよくないクレーマー向けの対応マニュアルを思い出したのだ。しかし、言っていることは、かなりぶしつけだ。

「証拠? 証拠です、って!」

「わたくしどもの上司に報告しなければなりませんので、上司を納得させられる証拠を、是非ご紹介ください」

「証拠なら、あるわよ。いま、あんたの真後ろにいる、オペ室の責任者……」

 エッ! この主婦には見えるのか。麗子は思わず振り向いた。

 ゲェ、いたッ!

 オペ室主任の尾多(おだ)がニタニタと笑っている。尾多は、さきほど麗子のそばにきて、「冷やかしは、早く切れ!」と助言した男だ。

 それっきり、本来の持ち場であるオペ室中央のデスクに戻ったとばかり思っていたのだが、やはり……。

「尾多、って言うでしょ」

「エ、エェッ!……」

 麗子は怖くなった。この主婦は何者だ。オペ室主任の名前まで知っている。それにオペレーター室を最初から、馴れ馴れしくオペ室と呼んだ。

「気をつけなさい。彼は、仕事はできるけど、その分、女性に対するやさしさに欠ける。平気で捨てるから……」

 麗子は、その話をもっともっと聞きたいと思う。しかし、いま問題になっているのは、商品パッケージのイラストモデルだ。

「お客さま。もう少し具体的にお話いただけませんか?」

 尾多の名前を出すわけにはいかない。彼は後ろで聞き耳を立てている。もし、クレーマーのでっち上げだったら……。麗子は、尾多の怖さを知っている。

「じゃ、言うわ。そのにくコンの女性のイラストは、尾多が、わたしをモデルにして写真を撮って、パソコンでイラスト風に加工したのよ。その証拠に、そのイラストの女が着ているブラウスの胸のポケットに、わたしの名前がローマ字で書いてあるでしょ」

 エッ……。 麗子は、にくコンの箱を、目を凝らして見た。いや、見えない。机の抽斗に忍ばせてある拡大鏡を取りだし、イラスト女性の胸の部分を覗いた。

「アッ!」

 抑えたつもりだったが、思わず声が出た。

 ブラウスのポケットの上辺に、オレンジ色で「KAORI」と小さく刺繍してある。

「お客さま、お名前は?」

「だから、果於梨(かおり)よ」

 こんなときはどうしたらいい? 麗子の思考は、こんがらがった。果於梨という女性の話は、信じてよさそうだが。勿論、対応マニュアルにはこんな場合まで想定していない。

「お客さま、どうなさりたいのですか?」

「そうよ。最初から、そういう対応をしなくちゃね」

「はァ……」

 麗子は思う。わたしには無縁のことだ。でも、おもしろい。尾多の弱みを握るチャンスだから。

「あのとき、モデルに決まったら、会社からモデル代が出るから、って聞いたのに、いまになっても音沙汰がない。これ、っておかしくない?」

 それが本当なら、おかしい。でも……。

「お客さま、こちらでは判断ができかねます。お電話を他の部署におまわしいたしますが……」

 と言ったものの、どこにつなげていいのか。麗子は戸惑った。が、本当は果於梨の話をもっともっと聞きたい。

「待ちなさい。わたしはいまさらギャラを支払って、なんて言わないわよ。わたしは、にくコンを注文するために、電話したの。この意味、わかるでしょ?」

 わからない。そんなことがわかって、たまるものか。それじゃ、脅しだろうが。

 麗子は、左隣のパソコンで電話を受けている姿摩枝(しまえ)をチラッと見た。彼女なら、どうするだろう。男性社員の間では、30数人いるオペ室女性のなかで、ピカ一と評判の美人だ。

「お客さま、お支払いがございませんと、商品は自動的にストップいたします」

「あなた、入社して何年? 1年はたっていないわね」

 どうして、わかるのだろうか。もしかして……。

「お客さまは……」

「去年まで、あなたと同じことをしていたの。去年といっても、やめて、まだ8ヵ月ほどよ」

 そうか。だから、いろいろ知っているのか。

「あなた、お名前は?」

 もういいだろう。尾多の目が、こっちに向くのは、仕方ない。

「桐坂麗子です」

「麗子さんね。あなたになら話してもいいわ。あの尾多って男は、去年の冬だったかしら。にくコンのモデルになってもらうからって、わたしを含めてオペ室の3人の女性を写真に撮った。モデル代は20万円。モデルに決まったひとには、20万をボーナスに加算すると言った。3人は、みんな自分は選ばれないと思ったわ。そうでしょ。尾多は『だれにするかはいろんなひとの意見を聞いてからだ。3人の中から選ばない場合も大いにありうる。そのときは、プロのモデルを使ったと思ってくれ』。そう言ったの。わたしはホテルで、尾多から直接『社長の意見で、モデルを使うことにした。おれはキミを押したンだけれど』と言われたから、諦めていたわ。別に商品パッケージのモデルになったからって、素人なンだから、仕事が広がるわけでなし。あまり深く考えなかった。尾多はそれから1ヵ月もしないうちに、『もう、別れよう。社内の噂にならないうちに』って言って、去って行った。3人の中では、わたしが最も年を食っていたから、当然よね。あとの2人は、わたしより5つも若かったから、楽しんだンでしょ。でも、2人とも、もうそこにはいないはず。わたしがやめるとき、2人に別々にその話をしたら、彼女たちももうすぐやめる、って応えた。それは、新入社員のなかから、飛びっきりの美女がオペ室に回されて来ることになり、尾多が有頂天になっているとわかったから、だって……」

「桐坂くん。その電話、長すぎないか?」

 尾多が、またまた後ろに来たッ!

 麗子は、ドキッとした。麗子は考える。尾多は隣の姿摩枝が目当てで、用もないのにうろついているのだ。姿摩枝は、4月の入社だ。当初は総務に配属が決まりかけていたのに、尾多がどういう手を使ったのか知らないが、強引にオペ室に入れた。

 40過ぎの独身の尾多が、姿摩枝でようやく年貢を納めるだろうとも言われている。しかし、わたしだって、尾多に捨てられた口だ。近く、にくコンのパッケージのデザインを変えるという話があり、キミをモデルの1人にあげていると言われ、3ヵ月前、たった1度だけ関係を持った。この電話の果於梨さんと同じだ。

 ただ、尾多はわたしには、モデル代は30万円と言った。尾多はこの手で、オペ室の女性を何人も、手玉にとってきたのだ。

 わたしは、姿摩枝より3つ年を多く食っているだけで、尾多は2カ月前、

「キミは残念ながら、こんどのモデル候補から外れた。もう若くないンだから、早く結婚しろよ」

 と言って去っていった。

 でも、いまは、あんな男に捨てられてよかったと思う。負け惜しみ? そンなことはない。あいつは評判以上の擦れっ枯らしだ。もう手が付いたのか、わからないが、姿摩枝もきっと泣きを見るのだろう。

「主任!」

 麗子は、後ろを振り向いて言った。

「な、なんだァ?」

 姿摩枝のバストラインに見惚れていた尾多が、ハッとしたように麗子に視線を移した。

「このお客さん、主任のお知り合いのようなンですが、代わりますか?」

 麗子が「主任の知り合い」と言った瞬間、姿摩枝だけじゃない。このオペ室の、2人の女性の肩が、ギクッと反応したのを、麗子は見逃さなかった。

「おれの知り合い、ってかッ……」

 尾多は、その瞬間戸惑ったが、すぐに、

「バカ野郎! いまは仕事中だゾ。個人的な電話をしてくるバカがいるか。早く、切れ!」

「主任、お名前を聞かなくていいのですか? あとで掛け直すのに……」

 当然の質問だ。

「職場に掛けて来るのは、ロクなやつじゃない。構わん、切れッ!」

 尾多は、電話の主が見当ついている。ここは、この果於梨さんの話を、耳を澄ませているオペレーターたちに聞かせるべきだ。

 麗子はそう考え、インカムを握り直す。

「お客さま。もうお相手はできません。タイムオーバーです」

 注文にタイムオーバーもないものだ。しかし、これで果於梨さんの怒りに火がついたら、と麗子は願った。

「タイムオーバー、ですってッ! あの尾多がそんなことを言わせてンの。尾多はわたしがそこをやめてからも、お金を無心に来たの、知っている? これまで4度。それも1度にわずか3万円よ。それでも、あの男は「悪いな」と言って、うれしそうに帰って行った。もちろんホテル代はわたし持ち。ほかの女とのデート代とわかっていたのに、わたしはくれてやった。どうしてか、って? それがわかっていたら、呼び出されても応じなかったわ。ただ、つい最近、近所の奥さんがにくコンを注文したらしくて、偶然そのパッケージを見たのよ。そうしたら、わたしがモデルでしょ。どうなってンの! モデル代は尾多がこっそり着服したのよ。決まっている。だから、わたし、腹が立って。そうしたら、いままでのことが全部思い出されて、くやしくてくやしくて。いても立ってもいられなくなったの……」

 麗子は、果於梨の気持ちが痛いほどわかる。だから、彼女はここに電話を掛けてきたのだ。

 オペ室が急にザワザワし始めた。このオペ室の受信システムは、ボタン一つで、他のオペが使っている回線にはいり、その会話が聞ける仕組みになっている。

 30数人いるオペたちの半分以上が、麗子と果於梨の会話を聞いている。間違いない。

「麗子さん、あなただったら、どうする?」

 麗子は問い掛けられて、覚悟した。

「わたし、ですか?……」

 麗子は間を置いた。たっぷり10秒。だれかがツバを飲み込む気配がインカムを通して伝わってくる。

 姿摩枝か、それとも、果於梨がやめているはずと言った葉瑠花(はるか)か、背李菜(せりな)か。それとも……。

「果於梨ッ! おまえは結婚相手が見つかったから、ってやめたンじゃなかったのか! だからおれは引き下がった。なのに……」

 尾多が姿摩枝からインカムをもぎとった。

「あんたがわたしのカレに電話でいろいろ言ったから、破談になったの。知っているでしょ。『あれはオレの女だ! 手を出すな!』って。そんなことまで言われて、喜んで結婚する男がいる? あんたは、どうしようもないクズよ」

「オレにどうしろと言うンだ!」

「だから、もう一度……」

 麗子は女の性(さが)を見せつけられて、唖然となった。

「もォ!」

 麗子の怒りの声に続いて、インカムから、他のオペたちの腹立たしそうな溜め息が漏れてきた。

                 (了)

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オペ室の女 あべせい @abesei

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