2#43 にこにこ
トントントンと包丁がまな板を叩く子気味よい音が聞こえる。
「あ、起きてきたんですね、あなた。もう少しで朝食の準備が出来るから少しだけ待っててくださいね」
台所に立ち、手は止めずに首だけ振り向きながら微笑むエプロン姿の聖歌ちゃん。何この良妻感。くっそ可愛いんだけど。
確か、一昨日にもこんなことがあったが、どっかの露出癖のある義妹とは違い、聖歌ちゃんはしっかり服の上からエプロンをしていた。ちゃんと服着れてえらい。
普通に違和感なく俺の部屋に溶け込んでいる聖歌ちゃんではあるが、待って欲しい。聖歌ちゃんとは同棲してるわけでは無いし、なんだったら聖歌ちゃんが俺ん家に来るのはこれで2度目だ。
なのにこれはなんなのか?極々自然な2人暮らしの夫婦の朝の風景みたいな感じになってしまっている。
ホントみんな気がついたら俺ん家に居るよね。さも当然の様に入ってくるよね。一応、不法侵入だからね。俺が騒ぐと警察沙汰になるからね。騒ぎはしないけどさ。それとも何?ドアの鍵壊れてガバガバになってたりする?だからって出入り自由のフリールームじゃないからね?いやとやかくは言わないけどさ、人としてお邪魔しますの一言ぐらい無いとカズと一緒になるからね。
っていうかカズどこ行った?
カズとは昨日……その……いろいろあって一緒に寝てたはず。それが朝起きると聖歌ちゃんになっていた。ビックライトでも使った?いやビックライトで性格は良くならないからそれは無いか。
「…………」
部屋の中を見回すとゴミ箱にカズの服が押し込まれていた。下着諸共。
多い。ツッコミどころがあまりに多すぎる。そろそろ俺の脳のキャパシティをぶっちぎる。
いろいろと現状について聖歌ちゃんに聞こうとして――。
トントントントントン。
――やめた……。
俺は見てしまった。
普段通りにみんなを魅了する優しげ微笑みを浮かべる聖歌ちゃん。一見するとおかしい所は何も無い、聖歌ちゃんのその手元。
まな板に一定の感覚でリズムを刻む包丁。
トントン、トントン、と。
まな板を包丁で叩いている。
まな板を包丁で叩いているだけだった。
ぞくりと背筋が凍る。言いようのない恐怖が俺を襲う。
聖歌ちゃんはまな板を包丁で叩いているだけで何も切ってはいない。そこにはあるべきはずの食材の姿が見当たらなかったのだ。
聖歌ちゃん、空気、切ってる、?
その異常すぎる光景に俺はその場で金縛りに会ったように動けなくなった。
なんだかとっても凄く、いっぱいヤバい。
俺が激しく動揺していると、ことりと聖歌ちゃんが包丁をまな板の上に置いた。
そして火にかけられている鍋に向かい、オタマを手に取り、それで鍋の中身を掻き回し始める。
悪寒。
俺はそろそろと音を立てずに、極力気配を殺して聖歌ちゃんの後ろに忍び寄る。
恐る恐る。俺は聖歌ちゃんがかき混ぜる鍋の中身を見た。
鍋には何も入ってはいなかった。
か
か
か
空鍋だぁぁぁあああああーーーッッッッッ!!?!!!
俺は口には出さずに心の中で絶叫した。
それは不味いですよ聖歌ちゃん!空鍋はあかん!あかんて!ダメだって!
空鍋を知らないそこの君の為に説明しよう!
空鍋というのは好きな人が他の女の子と仲良くやってるのに嫉妬してヤンデレ気味に空っぽの鍋を掻き回す行為である!しゃっふるしゃっふる!
そこの君って誰だよ!?
いやそれよりも何よりも聖歌ちゃんヤンデレだったの!?
でも待って聖歌ちゃんにそんな様子は無い。目からハイライト消えてないし、目だけ笑ってないとか、微笑みながら暗黒オーラを放出してもいない。
いつも通り。聖歌ちゃんはいつも通りなのだ。普段と何も変わらない様子で、いつも学校で会う時と同じような感じだ。何もおかしいところが見当たらない。
見当たらないのにエア包丁に空鍋してる。
それが何よりも状況の異常さに拍車をかけていた。
端的に言って怖い。あまりにも激しくいっぱいとっても怖い。ガグガクと震えが止まらず今すぐにでも喚いて泣き出したい気持ちだ。
でもダメだ。堪えろ、俺。今の聖歌ちゃんを刺激するのはあまりにもよくない。よくなさすぎる気がしてならない。
「…………?」
今なんかベランダの方で物音が聞こえた気がした。
なんだ?
俺は息を殺して、物音を立てずに聖歌ちゃんから離れてベランダに向かった。
ベランダには全裸で縄に縛られたカズが転がっていた。
あ、目が合った。
口も縄で縛られ塞がれているカズは「んー!んー!」呻きながら悶えている。
そっと音を立てずにベランダの引き戸をあける。
「カズ落ち着け。今から縄を解くが死にたくなかったら絶対に声を上げるな?わかったな?」
コクコクと頷くカズを確認して俺はカズの縄を解いた。
「もう……!なんなんだよあの女!いきなり僕の事を縛ってぶん殴りやがって……!」
「カズ、文句は後だ。今はこの場を一刻も早く脱出しろ」
「は?脱出?」
「そうだ。おまえを縛り上げたのは聖歌ちゃんだろ?」
「うん。確かにあの白井とかって女だった」
「その聖歌ちゃんなんだが……今、部屋に居る。そしてなによりその聖歌ちゃんの様子がおかしい」
「……なんか、あの女、僕の事を縛った時も殴った時も終始にこにこしてて気持ち悪かったんだよね」
「そうか……それなら尚更さっさと帰った方がいい。服持ってくるからすぐ帰れ」
「……わかった」
カズの服を取りに行こうと俺は踵を返して振り向いた。
「にこにこ」
振り向いたそこには満面な笑みを浮かべ包丁を握りしめた聖歌ちゃんが立っていた。
「ひぃい……!?」
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