2章 悪魔と過ごす日々①

 それから半月ほどがち、けいかいしながらもシスターとしてのせいかつばんは少しずつ整っていった。村人からは相変わらずよそよそしい態度を取られたが、事情を知らない子どもたちの中にはなつき始めてくれる子も出てきたし(今日なになにがあったと一方的に話をする聞き役になるぐらいだったが)、あいのないシスターになら何を話しても漏れないだろうと、彼女がいる時間帯をねらってざん室の利用者が少し増えた。……複雑である。

「主はいつでも私たちのことを見守っていて下さいます。善い事も、悪い事も、全てを見通しておられるのです」

 そして悪魔のクラウス。この半月で観察していて分かったのは、彼が神父として非常にゆうしゆうだということだった。こうやって週に一度行っている説法は実に堂々としているし、悪魔だと知らなければ、落ち着いていて包容力のある男性に見えなくもない……かもしれない。村人たちのなやみを聞いては助言をするなど、この村の精神的なり所になっているようだ。自分から会話を振れないネリネに対しても、事細かに様子をたずねてくれる。

「どうだい? だいぶここの生活にも慣れて来たみたいだね」

「おかげさまで」

 ネリネはいものミルクスープをすすりながら今日も素っ気なく返す。横長テーブルの対角線上の会話は、いつもの食事風景だ。

「料理もだいぶまともになってきたし、み込みが早いんだね。初日はどうしようかと思ったよ」

「……」

 初めて出した料理のひどさを思い出しグッとまる。言い訳めいた言葉が次々とのどもとに押し寄せたが、楽しそうにこちらを見ている悪魔と目が合いぷいっと目をらした。

 クツクツと笑いをみ殺すような気配が伝わってくる。ずかしさをごまかすようにスープをきこんだ彼女は、さらに料理のうでを上げようと決意したのだった。



 そこからは何事もなく数日が過ぎる。だが、嫌な客というのはまえれもなく来るものだ。

 ある日の午後、教会の裏手でせんたくものを取り込んでいたネリネのもとへその男はやってきた。

「おぉ~、ホントに情報通りだ。思ったよか近くに飛ばされてたんだな」

 ハンチングぼうをかぶった背の低い中年男が、いつの間にかペンとメモ帳を手に現れていた。シーツを手にしたネリネは警戒して一歩下がるが、男はえんりよに間合いを詰めてくる。

「……どちら様ですか? 教会に何かようでも?」

「いやいや、俺が用があるのはこんなショボい教会なんかじゃなくてアンタですよ、元聖女候補のコルネリアさん?」

 ピクッとねたネリネはシーツをにぎる手に力をめる。その反応で確信したのか、男は目をギラつかせながらさらせまってきた。

「どこに飛ばされたかなんて公表されちゃいないが、人の口に戸は立てられぬとは良く言ったものだ……クク、ようやくさぐり当てたぜ、こりゃいい記事が書けそうだ」

 どうやら男は新聞記者のようだ。いつか来るとは思っていたが予想外に早いしゆうらいにネリネはにがむしを噛みつぶしたような顔をする。それを気に掛けることなく、いやらしいみをかべた新聞記者はぎ早に質問をり出して来た。

「それじゃさっそく、世間的には辞退したことになってるが本当のところはどうなんだ、どうやってジル様を追い詰めた?」

「なんのことだか……」

「やっぱ自分じゃ勝てないと思ったから嫌がらせしてたんだろ? なのに生まれ変わって帰って来られてどんな気持ちだった? なぁなぁ」

「……」

 ニヤついた視線からのがれたくてネリネは視線を落とす。記者はネリネをおこらせてこつけいに仕立て上げたいのだろう。安いちようはつだとは分かっている、だが……。

 その時、ふと彼の足元でみにじられている物が目に入った。それを見たたんおびえは静かないかりに変化する。ネリネは真正面から相手を見つめ、ハッキリと言った。

「足をどけて下さい」

「あん?」

「花を踏んでいます、足をどけて下さい」

 そこでようやくおのれの足元を見た新聞記者は、チッと舌打ちをすると花をさらにグリッと踏みつけた。

「今、そんな事どうでもいんだよ、たかが花だろうが。質問に答えろや」

「良くありません。その花はここの職員がたんせいに育て、ひまかけて植えた物です。その気持ちを踏みにじるおつもりですか?」

 怒りをふくんだまなざしを向け、ネリネはぜんと続ける。

「そのような方にお話しすることなど何もありません、お引き取り下さい」

 先ほどまでの気弱な態度から一変したシスターに、記者はいらったように声をあらげた。

「っ、口には気を付けろやクソアマ! ……どうやら記者のおそろしさを分かっていないようだな。俺様の機嫌一つでお前をどんな悪役にだって仕立て上げられるんだぞ!」

「!」

 むなぐらつかまれそうになったその時、パシッと小気味よい音がひびいた。おどろいて顔を上げると、いつの間にか背後に立っていたクラウスが男の手を掴んで止めていた。おだやかな微笑ほほえみを浮かべた彼は、記者に向かって告げる。

「話は聞きました。ここに居るのはネリネというただのシスターです。お引き取り下さい」

 しばしポカンとしていた記者だったが、黒の聖職服を見ると口のはしり上げた。

「ここの神父か。ちょうどいい、アンタにも聞きたかったんだ、なんだってこんなしようわる女をわざわざ引き受けて──」

 そこまで言った記者は掴まれた腕を引こうとした。だが、グッと引っ張っても一向に抜ける気配がない。

「おい? はなせよ、なんだお前っ……いてェ!!」

 神父はすずしい顔をして男の腕を握りしめている。ミシミシといやな音がし始めると、あっという間に記者の顔は真っ赤になっていった。

「ぎゃっ!! 離せっ、離せコラぁ!!」

「あぁ、すみません、あくしゆが痛いとよく言われるんですよね。あはは」

「わかった、わかったからこれ以上はっ、折れっ……!!」

 彼の顔色が真っ青になったところで、クラウスはパッと手を離した。反動でしりもちをついた記者は目をいて固まる。それに手を差しべながら、悪魔はにっこりと笑いかけた。

「教会から『コルネリアのついせき取材は禁止』と各新聞社に通達が行っているはずでは? おきて破りはしんばつが下りますよ、懺悔していきます?」

「ヒッ……、う、うわぁああぁ!!」

「お気をつけて~」

 転げる勢いでげていく記者を、神父はほがらかに手をりながら見送る。

 ネリネはそんな彼をじっと後ろから見つめていた。やがて厳しいまなざしで忠告をする。

「……あんな事をして、バレたらどうするつもりですか」

 しゃがんで踏まれた花に手をえていたクラウスは、その言葉に振りあおぐ。にへらと笑うと楽しそうに聞いて来た。

「あれ、心配してくれるんだ?」

 ハッとして自分の発言を思い返す。かんちがいをするなとネリネはあわてて弁解した。

「ち、違います! バレてわたしにまでがいおよんだら困るだけであって──」

鹿ぢからでごまかせる程度には加減したよ。それより、花の事で怒ってくれてありがとう、うれしかった」

 しんなりとした花にやさしくれる神父を見ていると、それ以上の言葉が出て来なくなる。ネリネはぷいっと背を向けると、洗濯物を手にその場を後にした。

「礼を言われる筋合いはありません、わたしも話の流れを変えるきっかけを探していただけですから」

 屋内に入ったところで、助けてもらった場面がよみがえる。むぅっとまゆを寄せたネリネは複雑な顔をしながら仕事にもどっていった。



 そんな付かず離れずのみような関係が続く中、神父クラウスてに『新聖女就任式』の知らせが届いた。首都ミュゼルでヒナコが正式に聖女となるので出席しろとのお達しだ。

「ついに君をとした彼女が大層な地位にくようだね」

「……」

 招待状をつまみヒラヒラと振る神父に対し、朝食後のお茶をれていたネリネは反応しない。もう終わった話だ。

 ところがこの腹の底が読めないあくは、ニヤニヤしながらとんでもない提案をしてきた。

「私とけいやくさえしてくれるのなら、式典をめちゃくちゃにして来ようか?」

「なっ……」

 ティーポットのねらいがずれ、テーブルクロスにドボドボと赤いみを作る。それを見たネリネはぎゃあと悲鳴を上げた。慌ててだいきを取りながらさけぶ。

「結構です! 余計なことしないで下さいっ、本当に!」

「おや、ふくしゆうしたくはないと」

 意外そうな顔でこちらを見るクラウスに、ため息をついたネリネは静かにかぶりを振った。

「わたしが聖女なんてガラじゃないのは自分が一番よく分かっています。ぎぬを着せられたのはくやしいけれど、ヒナコさんの方がわたしよりよっぽど聖女にふさわしいのは事実だから……」

 断罪の場で見上げた彼女を思い出す。はなやかで人気があって──これ以上考えているとますますくつになっていきそうだ。踏ん切りをつけるように、赤い染みをやっきになってたたく。

「わたしは地道に生きていくのが性に合っている。もうへいおんに暮らしたいんです」

 染みは手ごわかった。こうなったら丸洗いした方が早いかもしれない。テーブルからクロスを外した時、ふいに視線を感じて顔を上げる。悪魔は相変わらず微笑みながらこちらを見つめていた。その優しいまなざしにバツが悪くなり背を向ける。

「い、今の話は忘れて下さい」

 いけない。また油断してしまった。どうしてこの男相手だと本音をらしてしまうのだろう。悪魔のしようあく術だろうか? それに『濡れ衣』だなんて発言が本部に伝わったらまためんどうな事になってしまう。そんな事を考えていたネリネに、クラウスはのほほんと言った。

「いいんだよ、信者のなやみを聞くことも神父としての立派な務めだからね」

「……」

 悪魔のくせにそのそとづらの良さはなんなのか。いっそ見習うべきかもしれないと、やるせなさを鼻からき出し出て行こうとする。ところがドアに手をかけたところで背後からの言葉は続いた。

「私は知っているよ、君はそんなことできるような人間じゃないってことをね」

 ピクリと手が止まる。そのまま背中を向けていると、クラウスは何の含みも持たないやわらかいこわで言った。

「共に生活を送る内に確信に変わったよ。曲がったことがだいきらいな君には、だれかを追いめるなんて真似まねは出来ない。だいじよう、真っ当に生きていればいつかちゃんとむくわれる。見る人は見ているのだから」

 そのなぐさめの言葉を聞いた時、きあがってきたのはわずかな反発心だった。振り向きはせずかたい声を返す。

れいごとですね。残念ですがこの世界では正直者ほど鹿を見るんです」

 どうして自分はこんな可愛かわいくないことしか言えないのだろう。胸中に苦さが広がる。ネリネは今度こそ出て行こうとした。だが、


「でも、それを理解してもなお、君はきような手を使ったり人を出しいたりはしない。そうだろう?」


 ハッとして思わず振り返る。クラウスは優しいまなざしでこちらをまっすぐに見ていた。

「私はそういう不器用なところもふくめて、君を好ましいと思っているよ」

 ニコ、と微笑まれてどうが胸を穿うがつ。言葉の意味を考えれば考えるほど、それは温かな春の雨のように、カチカチにみ固められていたネリネの心に染みこんでいった。

 ツンと鼻の奥が熱くなる。まずいと思ったしゆんかん、気づけばその場から逃げ出していた。ほぐれかけた心は、それまでき止めていた感情のぼうへきをあっけなくくずし始めてしまう。

(悪魔のゆうわくだ!! そうに決まってる! でなければ……こんな気持ち)

 自室に飛び込んだネリネはドアを勢いよく閉め、もたれかかるようズルズルとしゃがみこんだ。かかえたままだったクロスに顔をうずめて、激しいどうと様々な感情が吹きれる心をいなそうとする。

 ふつふつと湧きあがる嬉しさと同時に背徳感がこみ上げる。悪魔なのに、言葉に耳を貸してはいけないのに。

(いつぶりだろう、誰かに信じてもらえたのは)

 たとえ悪魔でも自分を信じてくれる人が居た。それは形だけの言葉かもしれない。けれども、それは確かにネリネの心をり動かしたのだ。

(どうしよう、嬉しい……)

 ネリネは静かに泣いた。自分がどれだけ優しい言葉にえていたのかを、この瞬間初めて思い知らされたのである。



「おや?」

 その晩、いつものように夕飯のはいぜんを終えたシスターは着席した。神父が声を出したのはその位置が変化したからだった。それまで、できるだけはなれたななめの位置に座っていたのが、一つこちらに近付いている。

 クラウスはそれ以上特に何も言わず口のはしり上げた。それに対しネリネはすました顔で問いかける。

「何か?」

「いいや?」

 それ以上の会話は無く、二人は静かに食事を開始する。けれども、それは重たい空気などではなく、どこか心地ここちよいちんもくだった。カチャカチャと食器が触れ合う音がひびく中、おだやかに時が過ぎていく。二人のきよがほんの少しだけ縮まった、そんな夜だった。



 ある日の午後、の教会で食後のお茶を飲みほしたネリネは、よし! と、気合いを入れて立ち上がった。

(あの悪魔が出かけて半日、今がやつのことを調べる最大の好機!)

 そう、今朝早くの事、クラウスはヒナコの就任式に間に合わせるため首都に向けて出発していた。最後までめんどくさいとをこねていた彼を馬車にほうり込み、教会に戻ったネリネは日中の仕事を片付ける。そして引き返してくる気配が無いことを確かめた上で、ひそかに温めていた計画を実行することに決めたのだ。

(今日こそ奴の部屋に、調査に入る!)

 ここ最近は何となく流され気味になっていたが、密告ノートの作成を忘れたわけではないのだ。とはいえ、さすがに他人の部屋を勝手にあさることに後ろめたさが無いわけでもない。

「……」

 しばしあごに手をやり考えていたネリネは、いそいそとほうきぞうきんを持ち出してきた。これはそう、あくまでも掃除のいつかんなのだと自分に言い聞かせることで罪悪感をまぎらわせようとする。

「お、おじゃまします」

 誰がいるわけでもないのだが、そんなことをつぶやきながらクラウスの部屋のとびらをキィと開ける。部屋はいたって簡素な造りで、な内装も無くスッキリとせいとんされていた。というより、ほとんど物が無い。

「アー、これはやっぱりホコリがたまってますねー、掃除しないといけませんねー」

 大根役者もびっくりな棒読みを口にして(本人はいたってである、念のため)箒できながらぎこちない動きでしんにゆうしていく。はたからみれば何をしているんだとっ込みたくなるようなしん者丸出しのシスターは、ばやく視線を走らせた。

(秘密の日記帳とか無いかしら……)

 机はネリネの部屋に置いてあるものと同じで、引き出しのない簡単なものだ。ベッドも全く同じで、その下にまがまがしいしようかん用のほうじんいてあるなんてこともない。クローゼットもさりげなく開けてみたが、えの神父服が二着と、ほかにはシンプルな私服が少しだけ。……下着を漁るのはさすがにやめておこう。

「調査のため、調査のため」

 ブツブツと呟きながらパタンと閉めると、ベッドわきほんだなが目に入った。少しかがんで背表紙の題名を追っていく。教会に関する本がいくつかと、あとは下段にはか少女向けのれんあい小説がズラリと並んでいる。

(……読むの?)

 みように思いながら一応他にも点検してみたが、特にやましい物は見つからず、うむむとうなり声をあげる。この結果は果たして良かったのか悪かったのか。



 それから二日後の昼ごろ、首都から無事帰ってきたクラウスはヘトヘトな様子で馬車から降りてきた。ちょうど買い出しの帰りにぐうぜんはちわせたネリネはみちばたでそれをむかえる。

「ただいま、あーつかれた!」

「お疲れ様でした、案外早かったですね」

「そこはおかえりって言ってくれよ~。ぎよしやがめちゃくちゃ乱暴な運転で飛ばしまくってきたんだ。あーしりが痛い、四つに割れてるんじゃないかこれ」

「横に割れるんですか」

 泣き言を言う神父と下らないやりとりをしながら並んで歩き出す。教会にもどる道すがら式典の様子を聞くことができた。

「ヒナコ殿どのはまぁ、とどこおりなくと言った感じか。それよりひどかったのがエーベルヴァインきようだよ」

 ハァッとため息をついたクラウスは、ネリネの元養父のふるまいをうんざりした顔で語った。

「就任式の後に開かれた祝賀会で、事あるごとに君とはかかわりがないことをふいちようして回っていたよ。どこまでこすいんだか」

「あれはまぁ、そういう人ですから……」

 どこか遠いまなざしでネリネは呟く。元気なようで何よりだ、早く自分の事は忘れて欲しい。

「こっちは何か変わったことは無かったかい?」

 とつぜん聞かれてギクッと内心あせる。少し視線を泳がせたネリネは、どうようさとらせないよう努めて冷静な声で答えた。

「いえ、特には」

「そう? あぁそうだ、おみやげがあるんだ。手を出して」

 ポケットをゴソゴソと漁る神父に、何だろうと少しけいかいしながらも手を差し出してみる。やさしくにぎり込まされた手を開くと、そこにはそうしよくほどこされた小さなガラスびんがあった。とろみのあるはくいろの液体が中で揺れている。

の保護にも使えるこうだって。最近、水仕事が増えて手がれてるみたいだったから」

 ふたをカコッと開けると、やわらかな甘いかおりがこうをくすぐった。ラベルを見ると、それはネリネが首都に居たころに見かけたことがある店の物で、そう気軽には買えない値段のはずだった。こんなぜいたくひんもらえない──と、言いかけるのだが、となりくつたくなく笑う神父を見て何も言えなくなる。

「ミュゼルはにぎやかでたくさんの物があふれてるけど、早く君のもとへ帰りたくて仕方がなかったよ」

「……」

 もう教会が見えてきた。もんを開けて入ろうとした所で、ネリネは少し小走りで先に中に入る。くるりとり返った彼女はしかめっつらで、それでも少しだけほおを染めて彼のことを出迎えた。

「……お、おかえりなさい」

 いつしゆん目を見開いたクラウスは、へにゃりと笑うとそれにこたえた。

「ただいま」

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