芸能人に会えないのは当然だよね。会えなくなっても、別にそれって今となにも変わってないよね。

『はあ、マジ結衣李ゆいりちゃん天使すぎるだろ』

『だれだそれ』

『ちょ、おまえ、結衣李ちゃん知らないとか、マジかよ』

『だからだれだよ』

『あの圧倒的国民的ソロアイドルの長多川ながたがわ結衣李ちゃんをご存じでないと! はぁ、おいおい、マジかよ。これだから田舎もんは』

『田舎もんはお前もだろ。こんなクソど田舎から一歩も出たことないど貧乏が、何を語るか』

『わかってねえなぁ。結衣李ちゃんは圧倒的に国民的なの。ど田舎とか関係ないの。国民なら知っていて当然なの! 知らないお前こそ非国民だ!』

『暴論怖っ。──で、その圧倒的国民的アイドルがどうかしたのか』

『どうもこうも、俺の中の圧倒的天使なの。めっちゃ可愛いの。いつ何時だって彼女のことを考えちゃうの。そういう存在を推しって言うんだよ。お前知らねぇだろ』

『へえ……あ、そう』

『全ッ然、興味なさそうだな』

『ないね。だってその人、芸能人なんだろ。お前、だれでもいいけど芸能人に会ったことあるか?』

『いや、一人もいないけど』

『だろ。会ったことはおろか、直接見たこともない、なんなら一生そんな機会も訪れない人間の何を好きになれと』

『一生見れないは言いすぎだろ。そりゃあまあ、そうかもしれないけど、でもいつか、たくさん金を稼いで、こんなくそど田舎抜け出して……』

『いいや、無理だね。こんな何もないど田舎に芸能人が来ることもない。会いに行くったって、金はねぇし、貧乏人には暇すらもねえ。ありえないんだよ。──そこでだ。お前にいいものがある』

『……なんだよ、藪から棒に』

『このボタンなんだが』

『おい、どこから出した』

『このボタンは世にも不思議なボタンでな。一回限りだが、押すと一億円がもらえる』

『一億円!』

『ただし、押したら最後、押した人間がもっとも推している人間に一生会えなくなってしまうという。さあ、どうだ。押すか?』

『え……お、押すわけねぇだろ! そんなの絶対……』

『いいのか? 一億円だぞ。俺らが一生かかっても手にできない大金が一瞬の動作で簡単に手に入るんだぞ。なあ考えてもみろ。このままボタンを押さないで生活し続けたとして、そのアイドルに絶対に会えるって保証はあるのか?』

『それは、まあ……絶対といえば、ないかもだけど……』

『断言するがないね。それに、芸能人ってのは遠くから眺めるくらいがちょうどいいんだ。表に見せない裏の顔は醜いかもしれない。それに、きっとそのアイドルは超絶金をもっているはずだ。それこそ、一億円くらいは簡単に稼いでしまうはずだ。俺たちがそんな生活水準の差を見れば、たとえ天使のようにかわいくても、自分はなんてみすぼらしいんだろうなって、みじめに感じるはずだ。憎たらしいとさえ思ってしまうはずだ。お前はそれでもいいっていうのか?』

『たしかにちょっとはみじめに思うかもしれない。でも』

『想像力を働かせろって。会ったことのないたった一人の人間に一生会えなくなるってだけだろ? 友人でも家族でもない人間だぞ。別にいいだろ』

『わかってるよ。でもちょっとでも可能性があるなら残しておきたいんだよ! たとえ0.01%でも結衣李ちゃんをこの目で一目見れたら、俺はきっと……。きっと……』

『きっとなんなんだ。きっと自分の人生が報われるとでも言いたいのか? あのな、虚しいんだよ。見ているこっちが悲しくなる。たしかに0ではないな。頑張れば一目拝めるくらいはできるかもしれないな。だがそれくらいが関の山で、それ以上の関係になることは絶対にありえない。好きな芸能人が結婚するニュースを見て、絶対に自分がその相手にならないとわかっていたはずなのに、自分にも可能性があったかのように悔しがるやつと同じくらいに気持ちが悪いぞ。なあ、無駄なんだよ。だったら、今ここでボタンを押す。そして大金を得て、ど田舎から抜け出して、都会の服や常識をその金で身に着けて、そこそこの職について、高望みせずに普通の人と出会って、その人とそれなりの人生を送ればいいんだよ。お前が死んで、自分の一生を振り返ったとき、『結局会えなかったな。こんな人生になるなら、あの時素直にボタンを押しとけばよかったな』って、きっと思うはずだ。なあ、諦めろって。それがってやつなんだよ。一時の感情とか、非現実的な馬鹿みたいな夢とか、そんなのは捨てるべきなんだよ』

『そこまで、言われたら……いいや、やっぱり……。でも』

『躊躇うな! 押せ。一億円だ。ほら押せって』

『うぅ……。ああ、くそっ……』

『押せって!』

『わかったよ! わかったから。……うぅ、ごめんね結衣李ちゃん……。俺、一生陰から応援するから……だから……』


 ポチ。


『押したな。よし、それでいい。それじゃあ、金なんだが、明日か明後日あたりにお前の家に届くはずだ。おいおい、そんな顔するなって。もともとお前の人生に交わることのなかった人間だ。ていうか、そんな人間なんてごまんといる。好きになるなんて感情は一時のバグみたいなもんだ。歳を取れば可愛くなくなる。新鮮味も無くなって飽きる。嫌な部分を多く知ることになる。それでいい。それでいいんだ。今この瞬間、お前はたしかに賢い選択をしたんだ』

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