21-06 勉強会

 よくよく聞いてみると、のろは見えているものを単純に描き写すことしかできないらしかった。

 風景や人物といった本来線のないものを紙に落とし込んだり、オリジナルの絵を考えたり、お手本の絵を見ずに想像で描いたりすることはできない。

 色塗りにしてみても、一色で塗りつぶす以外に方法を知らない。


 描いたり塗ったりすることには、知識と技術が必要だ。

 それらを身に付けないままではほとんどの場合、猿真似すら成り立たない。


 絵が描けない側からしたらそれでも素晴らしい能力なのだが、残念ながら活かせる場面は限られそうだ。

 でも、手本をよく見て、バランスよく再現できる能力があるのなら、技術を学んで練習を重ねれば、化けるのではないか。

 紬希はのろの中に可能性を見出だしつつあったが、やっぱり言葉にできなくて、彼女には伝え損なった。



「さあさあ、いい加減私のスピーチの練習に付き合ってもらうよ!」

 菓子鉢が空袋でいっぱいになり、ジュースの空容器もお盆に並んだところで、彩生は立ち上がった。

「入場からやるから見ててよ!」

「へーぃ」

「客席にリラックスした人がゴロゴロしてたら練習にならないから正座か体育座りして!」

「注文が多いなあ」

 文句を言いながらも、聴衆役は言われたとおりに体勢を整えた。



 コンテストでは舞台下手しもてから入場し、中央に置かれた演台でスピーチをして、終わったら上手かみてに退場する。


 下手しもてにあたる部屋の角で一呼吸すると、彩生の顔つきが変わった。

 しっかりとした足取りの入場。

 慌てて話し始めず、聴衆を見渡す適度な間。

 そして、堂々としたスピーチ。


 完璧だ。

 一学期が終わって語学部が休みになってからも、家で練習を重ねたのだろう。

 学校で見たときよりも、明らかに仕上がってきていた。


 紬希は拍手しながら感嘆すると共に、強烈な焦りに襲われた。

 彩生のスピーチに比べて、自分はどうだ。

 全然できていないではないか。


「紬希もやりなよ!」

 彩生に促されて、紬希は焦燥感に駆られたまま、わけもわからずみんなの前に立った。

 日本語教室全員の前でスピーチするという地獄の特訓を繰り返した甲斐あって、複数人の前で発表することにも、ようやく少しは慣れてきたはずだった。

 でも今日はみんなの視線が特別痛い。

 胸が内側からどかどか叩かれ、視界がぐるぐるしてきた。

 彩生ちゃんのように上手くやらなきゃ!

 その思いが、紬希に今までの練習を無視したスピーチをさせた。



 なんとかやりきったが、拍手で上手かみて側に送り出されても、まだ動揺はおさまらない。

 終わった。

 失敗だ。

 紬希はしばし茫然自失に陥った。

 衝動的に背伸びしたスピーチが、良いものであるはずがない。

 ぼろぼろの出来に、やっと芽生えてきていた大丈夫という思いがぐしゃっとつぶれた。


 このままでは本番もほかの生徒のスピーチに影響されて、墓穴を掘ってしまう。

 今のうちにそれがわかったのは幸運なことなのだが、紬希はどうしても前向きに捉えることができなかった。


「二人ともやっぱすごいのですぅ」

「こりゃ、あたしも当日駆けつけなきゃな!」

 冗談めかして言うのろに、紬希は本気で待ったをかけた。

「そ、それだけはやめて! 観客は一人でも少ない方がいいから! ……ひとりもいなくてもちゃんとできる自信ないから……」


 紬希は自分の親に対してさえ、見に来るのを全力で止めていた。

 コンテストへの出場を伝えたとき、「仕事休んで見に行かなきゃ!」とるんるんしていた母親には酷かもしれないが、親にスピーチを見られるなんて絶対にごめんだ。


「紬希、のろがわざわざ英語スピーチなんか聞きにくるわけないでしょ。それにさ、自信持ちなって! 紬希のスピーチ、ちゃんとできてるよ。あとは自信と場慣れだけ!」

 彩生が紬希の両肩をぽんぽんと叩いた。


 実際のところ、紬希のスピーチは周りからしたら良くできていた。

 これなら本番の緊張の中でも、一定のレベルを保てるはずだ。

 彩生の言うとおり、あとは精神的なものが、紬希がどのくらいの力を発揮できるのかを左右する。


 周りはみんな、紬希の実力を認めている。

 あとは紬希が己を肯定するだけなのだ。

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