第3話 処分
青年の処分の日がやってきた。
皮肉すぎるほどの快晴さえ届かない冥牢の果てにて、一国を簡単に火の海に変えられるだけの戦力が集結していた。
「壮観…ですな」
「天秤の聖女率いる
アイリーンが周囲を見渡し生唾を飲む。それもそのはず比喩でも大袈裟でもなく、ここにいる戦力は破軍滅国を可能とする。
魔王由来の呪物処理だってこんなことにはならない。それこそアイリーンがこぼした様に魔王討伐規模の出兵である。
「過剰すぎでは…」
「いえ、万が一を考えての戦略です。これくらいが適当かと」
アイリーンのため息にピシャリと言葉をかぶせたのは完全装備のシャロンだった。
「あの時、私だけでは封印しきれませんでした」
「ははは!ご冗談を」
「封印鎖がゲートの表面で止まって入り込まなかったんです」
「ご冗談ですよね!?」
「つまり私に封印しきれない何かが彼のゲートの奥にいたということになります」
その言葉を聞いた瞬間、アイリーンが頭を抱えてうずくまった。
「うわー!聞きたくない聞きたくない!最悪じゃないですか!シャロン様に封印できないものってなんですか?!魔王かなんかに決まってます!」
「分かってるじゃないですか。それを考慮してのこの戦力です」
魔王退治がこの後に控えているかもしれないのだからアイリーンの嘆きも最もなものだ。しかしそんな嘆きをよそにシャロンはあの思いに老けていた。
「どうされました聖女殿」
「いえ…ただ彼の中にいたのは…」
記憶を遡りながらその手で感じた感触を思い出していると、シャロンの背中に衝撃が走った。
「また仏頂面して。美人が台無しよシャロン?」
「ニーナ、はしたないですよ」
背中に飛びついてきたのはニーナ・フェロット、天秤の聖女と呼ばれる聖女の一人です。
「何か悩み事?」
「あなたのせいで忘れました」
「んもぅ!むすっとしないの!」
「あざとい…」
ぷくっと頬を膨らましてシャロンの頬をツンツンと刺すニーナにシャロンは思わずそうこぼしてしまう。
「で?彼が例のイレギュラー君?」
「ええ。ガロンはあなたが?」
「分担を考えたらねぇ。あなたの封印も、エステリア様の火力も『万が一』が起きた時用だもの。ガロンの使用による消耗を考えたら任せられないわ」
聖遺物ガロン
超高火力の
使用者に並々ならぬ疲労を蓄積させる。
とは言ってもニーナは聖女の一人だ。ガロン一度の使用程度で行動不能になるほどやわではない。
シャロンとニーナはそんなたわいない雑談で時間を潰していると、健康的な褐色の肌を純白のローブの裾から覗かせた神官の一人が前に出る。
エステリア・シャリーフ
星占の異名を持つ聖女である。
「静粛に。これより第一級隔離指定存在の抹消処分を開始する。聖歌隊による支援のもと、聖女ニーナによる最大火力のガロンで対象を抹消する。問題発生時には聖女シャロンと私の部隊で対処、イコラスは聖女ニーナの守護に徹しな。質問は?」
女傑と呼ぶにふさわしいしっかりとした物腰。そんな彼女に反対するものはいない。
「「…」」
「ないようだね。それじゃあ始めるよ」
その一喝と共に全員が行動を開始した
「はぁー」
「気乗りしないのかい?ニーナ」
「私が認めた『一般人』で『善人』ですよ?そんな人間一人を灰に変えよっていうのにノリノリな方が怖いですよ〜」
ニーナの持つ遺物の一つ
「やぁご機嫌よう。気分はどうだい隔離指定存在君」
「ちょっとエステリア様!」
エステリアはツカツカと青年に向かって歩いていくと、その一歩手前で止まり声をかけた。
「これ外すよ」
そういうと青年の顔についていた鉄製のマスクを外し猿轡を解く。
「あら可愛い顔じゃないか」
「もう勝手なんですから…あらやだ可愛い」
「残念だね〜。こんな美青年がこの世から一人消えると思うと私の心は締め付けられてたまらないよ」
「お二方、その辺で…」
エステリアとニーナのやりとりをシャロンが横からために入る。
「震えちゃってまぁ。安心しな、痛みなんかありゃしない。気づけば神の国に一直線だからね」
「エステリア様、言い方というものが…」
「これからあんたは死ぬ。恨んでよし、憎んでよし。あんたに非は一つだってありゃしないよ」
あまりに無慈悲。
淡々と告げられる事実に、青年はただ目を伏せた。
小刻みに揺れる方が彼の感じる恐怖をありありと表している。
「なんか言い残すことはあるかい?」
記憶もない人間に何を言い残せと…そんなエステリアの酷な質問にシャロンは内心目を背けた。
「シャロンさん」
しかしその口からこぼれたのは他のだれでもなくシャロンの名前だった。
「え?」
「僕の過去はもうありません。多分どこにも」
懺悔ではない。独白でもない。辞世の句でもない。彼のその言葉は慈しみであった。本当に少ない、たった数週間の思い出を慈しみ、懐古するように、青年は言葉を紡いだ。
「でもあなたと話せた数回、あなたに救ってもらったこの命、決して無駄ではなかったと思います」
「そんなこと…」
シャロンにその言葉を返すことはできない。
『ありがとう』も『どういたしまして』も『ごめんなさい』も。どれもこれも自己満足にしかならないことを理解しているから。
「僕に過去をくれてありがとう。ほんの少しでも生きてた証をくれてありがとう。命をくれてありがとう」
ありったけのありがとうを
シャロンを含めてその場全員が固まる
善性
今、青年に降り掛かっているのは紛うことなき理不尽であり、常時なら受け入れざるを得ない不条理である。
死を前にして恐怖を感じるだけの理性を持っているにもかかわらず、他を恨まぬそのあり方は、善人の集まりである教皇庁の神官をしても『何かの欠落』に映るほどに歪み、そして真っ直ぐであった。
「…そうかい。ニーナ用意しな」
「…はい」
「…」
聖女達でさえ言葉を失う。エステリアには不気味にさえ写っていた。
「これよりガロン発動に入ります。聖歌隊、魔力増幅の
「「はい」」
「シャロン、神装鎖錠の用意をしな」
「了解しました」
シャロンは装備の稼働準備に入る。
(出番がなければよし…使うことがあるとしても…)
「ガロン発動準備完了。エステリア様アイズをお願いします」
ニーナの言葉にエステリアは頷く。一呼吸を置いて彼女は口を開いた。
「ガロン、発動」
女傑の一声の元撃滅の光が放たれたその瞬間、その光は大きく反れて石室の側面を抉った。
その原因は爆音と共に土埃を巻き上げながら石室の壁が破った何者かによって発動のその瞬間ニーナの照準が大きくずれたことに起因した。
『ゴォォォォォォォ!!!』
「な!?」
現れた黒い影に全員が驚愕に目を剥く。
「首無し…!?デュラハン!」
「なぜここに!?」
ニーナを囲むように展開していた聖歌隊の真横から突如出現した首無しの巨大な戦士は人2人分はある黒剣を横薙ぎに振り抜く。
「がっ!?」
断末魔と共に聖騎士が薙ぎ払われ、その背後にいた聖歌隊がもろとも吹き飛ばされる。
ガロン発動によって身動きの取れないニーナを一瞥すると、デュラハンは一直線に駆け出す。ドガンドガンと土を蹴る音が鳴り響いた。
「ぬんっ!」
ギッシュを含めた数名の騎士達が大盾でその突進を遮り足元に轍を作る。
「ふざけおって!これだから馬鹿力の
「エインロートル!これどうすんだよ!」
「若いくせに老兵に頼るな!だが少なくともこの後ろにだけは通すでないぞ!ガロンは発動時間が長い。奴の攻撃のを受け暴発でも起こしてみろ!わしらもろとも全員灰になるぞ!」
ギッシュの怒号と共に騎士達は盾を押し返す。押し切れぬと判断したデュラハンはその巨躯に似合わぬ速度で後ろに飛び退いた。
「シャロン!」
「分かりました。アイリーン」
エステリアの指示を受け、シャロンとアイリーンはデュラハンの両椀に鎖を巻きつけ地面に固定する。動きを封じられたデュラハンは猛り声を獰猛にがなり上げ、黒剣で地面を叩きつけた。
「今ですエステリア様!」
「死になアンデッド」
拘束された数旬の間にエステリアはアンデッドとの距離を詰める。
解言と共に遺物を解放したエステリアはデュラハンを袈裟斬りに両断した。声にならない叫びをあげ、空を仰ぐデュラハンは、その視界の端に一つの存在をとらえた。
鎖に繋がれた青年
デュラハンには何か別のものに見えたのだろう。歓喜とも呼べる方向を上げ、崩れかけた鎧の胸部に構うことなく青年に走り出す。
その速力は先ほどの比にならぬほどであり、少し距離を置いたシャロンはもとい、エステリアでさえ捉え切ることができなかった。
「にげ…」
シャロンはその言葉を口にした瞬間青ざめる。
そうだ逃げられるわけがない。逃げられるわけがないのだ。両手両足を拘束され、その自由の一才を自分達が奪ったのだから。
距離を瞬く間に縮めた化け物は肋を開きその頭を取り出した。何かを感じたのか崩れかけた両手を高く掲げたデュラハンは青年の左胸に爪を突き立てる。
「ゴブフッ!?」
口から鮮血を噴き出す。
「あいつ何を!?」
何かをこじ開けるかのように胸を引き裂くデュラハンの姿に、シャロンは思わず駆け出していた。
「あぁぁぁァァァア!!」
断末魔を上げる青年に誰もが顔を顰めた。肉が裂け、折れた骨が剥き出しになっている。
「それ以上彼を辱めるな!!」
シャロンの腕から数百ものの銀鎖が飛び出てデュラハンを貫いた。
『ゴォォォォォォォァァァア!?!?』
絶叫を上げるデュラハン。それでもなお腕は突き刺さったままだ。なけなしの力で開きかけた胸をこじ開けようとしたその時、エステリアが大刀を振り下ろした。腕を無くしたデュラハンはついに膝から崩れ落ちる。
完全に停止したかのように思えた数旬ののち、化け物は最後の意地を見せる。
「こいつ!」
エステリアが今度こそ体を完全に両断しようと大刀を振り抜こうとした時、シャロンはその心臓から黒い何かが飛び出すのを目撃した。
デュラハンの全身を包んだそれは一度は開いた胸に近づけるも、わずかに動きを止める。
その瞬間、黒い繭から解放されたデュラハンは幾重もののくらい鎖に貫かれ木っ端微塵に粉砕するまで貫かれた。
『許されざるもの踏み入るなかれ。彼方は神域なり』
シャロンの脳裏に言葉がよぎる
(誰の…いや誰への言葉?)
「…ロン、シャロン!」
「あ、ニーナ…彼の遺体は…」
「よく見なシャロン。ありゃもう人間じゃないよ」
「…え?」
石室の中央に横たわる彼の体には裂けた肉も折れた骨も突き出ていなかった。体外に出た血は未だ床にこべりついてるものの、外傷は全く見受けられない。
「一体何が…」
「一番近くにいた私だって解りゃしないんだ。これはもう、処分どうこうの騒ぎじゃないね」
未知と不可解だけが残り、第一級隔離指定存在抹消案件は未了のまま問題は教皇庁最高議会へとおくられた。
聖女が寿退社するその日まで @hakari_takasi
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